第3話 特殊環境下での日常は最早、非日常です。

「————全く。何やってんだあんなとこで」

 エレベーターの中で呆れる海堂さんに俺は何も言い返せない。

 はずみちゃんの言っている約束は思い出せないままだし、一部始終話せばこの男はまた笑い出すだろう。それでも、監視フロアに置いてあった非常用連絡電話を使って助けを求めた俺をこうして迎えに来てくれた事には感謝をしていた。

「まぁいいけどよ。しっかし京耶ってなかなか珍しい名前だよな。勇者の名前としては中々良いけどよ」

「どういう事ですか?」

 顔を向けると、海堂さんは俺の鼻先を指差した。

「いや、だからさ。もしお前が太朗って名前だったら何かしまらなくね? 勇者太朗って。現実味がありすぎるだろ。身近すぎるっつーか。だから京耶で良かったなって。及第点じゃん? 漢字も珍しいし。欲を言えば成上のカミが神様の神だったらもっとそれっぽかったけどな!」

「は……はぁ」

「何だよ褒めてんだぜ! もっと喜べ!」

「いで!」

 バシンと叩かれた背中の衝撃が全身に走った。ブレイバーの人達ってみんな加減を知らないのだろうか。

 下のフロアに着いてエレベーターが開くと海堂さんは振り向きもせず「んじゃこれからは気をつけろよー」と言って去って行った。見えてはいないだろうけどその背中に一礼して俺も部屋に戻った。


「あー……」

 ベッドに倒れ込む。これさっきもやったな。ついでに剣を持っている手も離すと床にさっきも聞いた金属音が響いた。

「何か可愛かったよな……はずみちゃん」

 一人ごちる。まるで男の子のようだったあのはずみちゃんはすっかり女らしくなっていた。元々、端正な顔立ちはそのままに女性らしさを帯びていて、くりっとした目に通った鼻筋。口元にあるほくろはセクシーだった。あんなのが同じ学校にいたらきっと告白されまくりだ。

「……でも、つえーんだよな」

 寝返って天井を見つめる。陽宮さんよりも細く俺よりも小さい体の何処にあんな力が秘められているのだろうか。手の痺れはまだ微かに残っている。あんな美少女になったと言うのにあんなに強いなんてアンバランスにも程がある。あんなのが同じ学校にいたらきっとどんな不良も目を合わさないようにするだろう。

「あ。そういや。飯ってどうすりゃいいんだ?」

 おもむろに鳴った腹の音に現実が下りて来る。そう言えば今日は朝に旅館で食べてから何も食べていない。どうりで腹ぺこな訳だ。

「あ、そうだ」

 現実に戻った俺は寝そべったままズボンのポケットから携帯を取り出す。

「まぁ……そうだよね」

 圏外。当然だ。何となく拓人達が気になったがこれでは電話もメールも送れない。

 今は陽宮さんの言葉を信用する他ない。

「あー! 腹減ったー! 腹減ったー!」

 ベッドの上でバタバタと騒いでみる。これだけ重厚な造りなのだから外に声は漏れないだろう。となれば今日の鬱憤を存分に晴らしてやる。


「……お腹がすくと機嫌悪くなるのも相変わらずね」


「はずみ! ちゃん! なんで?」

 騒いでいる自分の声のせいで扉が開く音も聞こえなかったのか、いつの間にか開いている扉の前にはずみちゃんが立っていた。

「どうせそんな事だろうと思ったわよ。ほら早く。食堂まで案内してあげる」

「しょ! 食堂!」

 その言葉に俊敏な動きで立ち上がり、部屋を出る。

 前を歩くはずみちゃんは振り返りもせず、そして俺の手をさっきみたいに握りもしなかったが、こうして気にかけてくれているのが少し嬉しかった。

「ここよ。好きなのを取って好きなだけ食べて平気。無料だから」

「タダなの?」

「もちろん。だから気にせず食べて」

「よっしゃ!」

 俺は入り口横に置いてあるトレーを取り料理が並ぶレーンに走る。こんなに腹が減ってると全て食べ尽くしてしまいそうだ。とにかく美味そうなものを手当たり次第によそって、室内に整然と並んでいるテーブルに視線を滑らせる。

 はずみちゃんの姿を発見して、俺は素早く彼女の目の前にトレーを置いて座った。

「京耶君。そんなに食べられるの?」

「もちろん! 腹へってんだ! そっちはそれで足りるの?」

「……おかわりするわよ」

 顔を赤らめてそっぽを向くはずみちゃんは一層可愛らしかった。でもやっぱり食べるんだ、とちょっと納得してしまった。あの頃は、はずみちゃんみたいに沢山食べないと大きくなれないって母さんに言われ続けてたもんな。

 食堂の料理はどれも美味しくて、沢山盛ったつもりだったが一瞬で平らげてしまい、おかわりに走る。はずみちゃんはまだ一回目を食べていた。

 次のターンも山盛り。俺が戻ると同時にはずみちゃんはおかわりに立つ。流石に二ターン目はペースが落ちてきて、これで恐らく終了だなと感じた。

 ゆっくり味わう方向にシフトしてたら、目の前に山盛りのトレーを持ったはずみちゃんが登場する。それは特盛りを超えた宇宙盛り。俺の一、二回目を足しても敵わない量だった。

「……食べるね」

「何よ。別にいいでしょ」

 ぶっきらぼうに言い放つが、その顔は真っ赤だ。はずみちゃんはさっきと同じゆっくりなペースでその山を崩していった。

 俺がようやく食べ終わり、食後のコーヒーを取って戻るとはずみちゃんも席を立った。結局、同じタイミングで食後を迎えられた事が何だか優越感だった。

「え?」

「何よ?」

 戻って来たはずみちゃんのトレーにはまた宇宙盛りの料理が乗っていた。

「まだ食べるの?」

「うるさい! 今日なんにも食べてなかったの!」

 数多のバンと宇宙盛りトレーを置いて黙々と食べ始める。いくら今日何も食べてなかったとは言え、一度に食べられる量は限られているだろう。俺は徐々に崩れていく山を眺めながらコーヒーを飲んだ。

 結局、はずみちゃんはあの後もう一回おかわりをした。俺もコーヒーをおかわりして飲みながら、またもや崩れていく山を眺めていると、ある疑問が浮かんだ。

 最初のあれはもう半分食べていた後だったのだろうか?

 はずみちゃんとの差が全く埋まっていない事を証明された俺は意気消沈しながら部屋に戻り、打ちひしがれた心をごまかすように目を瞑った。



――――翌日、食堂で朝食を食べていると目の前に陽宮さんが座った。

「おはようございます。昨日は眠れましたか?」

「まぁ。それなりに」

 ホントは自分でもビックリするくらいにグッスリ眠っていたのだが、変な見栄が働いてしまう。トーストをコーヒーで流し込みハムエッグに手をつけた。

「俺は今日、何かするんでしょうか? それとも作戦実行まで待機ですか?」

 待機だといいんだけど、それだけだと退屈してしまいそうだから何か軽い用事をくれとサインを送ったつもりだったが、陽宮さんが朝食に手を付けずに放った言葉は意外なものだった。

「いえ。やる事はちゃんとあります。今日はまず、その剣の分析から始めます。材質検査からその剣の持つ力の実証実験まで行いますので成上君の協力が必要です。それが終わったら午後からブレイバーと合同で訓練を行って頂きます。少しでも慣れておかないと指示を受けて行動に移せない場合もありますから夜までみっちりですね」

 言い終わるとトーストを齧って朝食を始める。俺はそれを眺めながら思った。


 休み、全然なくね?


 ――――朝食を終えて陽宮さんと共に実験室へと向かう。

 ラボと呼ばれているそこには様々な器具が置いてあり、研究員も十名以上いた。

「これが、禁秘の理の全体像ですか。いやはやなるほど……」

 室長を名乗る初老の男がアクリルのケースに置かれた剣を眺めながら呟く。まずは材質検査から、そこから電磁波等、様々なものを照射してテストしていく。この時、俺に出番はないので後ろの椅子に座って興味深くモニターやスコープ、ケースに入った剣を観察している研究員を観察していた。

 みんな真面目なのだけど何か楽しそうな雰囲気だ。誰も笑っていないのだが、飛び交う言葉が止まらない。常に誰かが自分の考えを口にしている感じ。結果が出る度に討論大会が始まる。そして新たに実験。そして考察。それの繰り返しを飽きもせずずっと続けていた。

 趣味を仕事にするとこんな風になるのかな。と無趣味な俺はそれを見ながら自分の将来を考えていた。

「うーん。とりあえず現代の科学ではこれが何で出来ているのかはわかりませんね」

 室長は全く見た事もない物質だと告げた。出来うる限りの事を試して分からないのだから、仕方がないけど室長はちょっと嬉しそうだ。

「ますます興味が湧きますねぇ。いやぁこんな気分は久しぶりですよ。そしたら次の実験に移りましょう」

 俺はあんまり興味ないけど、次の実験は剣の持つ力を実証する実験なので付き合わないわけにはいかない。とりあえず、俺が剣を持って目の前に置かれたリンゴを切ってみる。

 切れた。けど案外切れ味は良くない。何だか押しつぶしたような感覚もあるくらいだった。

 次はプラスチックの箱。

 壊れた。切れた訳ではない。思いっきり振った金属で破壊したような感覚だ。

 そして次はレンガブロック。

 少しだけ欠けさせる事は出来たが、それだけだった。

 これって伝説の剣としてかなり終わっていないか?

 とりあえず剣の方にダメージは見当たらないので強度はまずまずと言った結果だ。そして切れ味の実験はここで一回中断して今度は俺以外に誰も持つ事が出来ない事の証明。

 用意された台に剣を置いて、研究員達が次々に剣を持とうとする。しかし、やはり触れる事も出来ず空を切ってしまう。拓人や秋本先生の時と同じだ。

 これには研究員みんなが驚きを隠せないようで、みんな何度も何度も試していた。

 でも、実験はこれ以降行き詰まる。他には特筆するような力は見受けられないし、切れ味はハッキリ言って悪い。ただ強度は凄まじく、色んな装置で潰したり引っ張ったりしてみたが全く折れる事なく、傷がつかない。それと材質が不明。わかったのはそれくらいだった――――。


 結局、時間は予定より長引いてしまって遅めの昼食を陽宮さんととる。

「一体何なんでしょうねこれ」

 カレーを頬張りながら隣の椅子に置いた剣を指差すと、陽宮さんも首を傾げた。

「ここの研究で分からなければきっと今の地球じゃ誰も解明出来ませんよ。まぁ文献にも勇者以外に持てない事の他に何か力を持っている記述は特に見受けられませんでしたし。まぁ絶界樹には絶大な効果を発揮するみたいですから」

 目の前で同じくカレーを食べている陽宮さんはまるで俺を慰めるような口ぶりだったが、別に俺は落ち込んではいなかった。だって明日には任務を終了してこの剣とはオサラバなんだから。俺にはもうほとんど関係のない話だ。

「次は少し遅れてしまいましたがブレイバーに合流して訓練ですね。恐らく成上君に過剰な要求をしてくる事はありませんが、単なる高校生には少しキツいかも知れません。頑張って下さい」

 考えるだけで落ち込む。

 そう、俺は単なる高校二年生なのだ。なんだって国家機密部隊の精鋭に混じって特訓しなきゃならないんだ。なんて文句も言っていられない。俺には剣を扱えると言う特殊能力以外に何の力もないのだ。つまり多少例外だけど下っ端である事には変わりない。

 カレーを口に運ぶスピードをだいぶ緩める。少しでも時間稼ぎをして特訓の時間を減らすのだ。ここで稼いだ五分が後々功を奏すのだ。


「――――ちょっと! 遅い!」


 食堂の入り口から声が響く。はずみちゃんだ。俺を発見してズンズンと向かって来る。

「もう遅いから迎えに来ちゃったよ。行こ。あと少しじゃん。早く食べちゃって」

 はずみちゃんは俺の横に立ち監視するように俺のカレーを見ている。これじゃノロノロ食べていたら完全にバレる。座らない所を見ると、早くとは三十秒以下で食えと言う意味だろう。逃げ道はない。

 諦めた俺は流し込むようにカレーを平らげて立ち上がった。

「お、おまたせ!」

「はいはい! 行くよ!」

 腕を引かれてよろめきながら連れ去られる。凄い力だ。歩くスピードを合わせてようやく体勢を戻す背中に「食器は片付けておきますから」と陽宮さんが声をかけて来た。食堂を出る寸前で振り向き「すいません」と頭を下げると、陽宮さんは表情も変えず、手を挙げて答えた。

 再度体勢も立て直し、並んで歩いていると言うのに尚も腕を引かれながら歩く。

「なぁ。訓練って一体どんな事するんだ?」

「ん? そうね。多分京耶君だったら一時間で音を上げるような事かな」

「……何で決行前日にわざわざそんな事を」

 思っていた言葉がそのまま口に出る。何を考えているんだブレイバーの連中は。そして陽宮さんは。

「まぁあの人達は特訓バカだからね。常に体を動かしていないと不安なのよ。私はそんな事ないけど」

「だからってそれに俺まで付き合わせなくても……」

「もちろん! 京耶君と私は別行動よ!」

「え? どういう事?」

「だからそのままよ。ブレイバーの人達とは違う訓練をするの」

 歓喜。前言撤回。みんなちゃんとわかってるじゃないか。むしろ陽宮さんも変な告げ方をしてくれたもんだ。ブレイバーに合流じゃなくて、はずみちゃんと一緒にと伝えてくれたらもう少し、カレーの味も違っただろうに。

「なれたらきっと逆に気分良いわよ! 私なんかはもう楽しくて仕方ないくらい! 訓練だから真面目にやってるけど心はウキウキよ! 夜まで楽しみましょうね!」

 はずみちゃんはノリノリで軽やかに足を運ぶ。おいおい、そんな事言われたら俺まで何だかわくわくしちゃうじゃないか。昨日の件があったからつい不機嫌なままかと思えばそうでもないし。明日で終わっちゃうのがもったいないな。折角だから大事に過ごそう。こんな経験、普通に生きてたらきっと出来ない。この剣を抜いた事を喜べるように、今を楽しもうではないか。

「よっしゃー! 特訓だ!」

「お! やる気だねー! よっしゃー!」

 俺が走り出すと、はずみちゃんも走り出す。腕は掴まれたまま直ぐに俺は引っ張られる形になった。

 足速すぎ。



「とーちゃーく!」

 開いた扉の向こうにはヘリが一機スタンバイしていた。俺がここに来た時の場所とは違うようでヘリ一機分のスペースしかない。はずみちゃんがパイロットに「お待たせです!」と挨拶をしながら俺をヘリの中へ引っ張り上げると、そのままヘリは垂直に浮かび上がる。意気揚々とヘリの扉を閉めて俺を座らせベルトを着用させると、自分も向かいに座って同様にベルトを着けた。

「何処へ行くの?」

「ん? 上へ行くだけよ」

 ヘリはどんどん上昇して、閉じていた天井が口を開ける。

「上って……フロアはあそこと監視フロアの二つだけだろ?」

「うん」

「うんって……じゃあ一体何処へ行くんだよ」

「だから上よ。上空」

「は? 空? そんな所に何があるんだ? あ、もしかして明日の場所をちゃんと確認しとけって事?」

「それは必要ないわよ! 私たちがちゃんとサポートして行くから! 今日はただの降下訓練よ! スカイダイビングって言えば分かりやすいかな?」

「え? それってつまり……」

「うん。空から飛び降りる練習。とは言っても私と一緒にだから覚える事はほとんどないんだけどね。ぶっつけ本番じゃビビっちゃうだろうからて隊長が気を使ってくれたのよ」

 感謝しなさいよ。とはずみちゃんは言うが、俺には海堂さんのあの笑い方が脳裏に浮かんだ。絶対に嫌がらせだ。

「ま。夜まで時間あるし。いっぱい出来るから。最終的には気分良いわよ。昼も良いけど夜もまた格別よー?」

 絶望。夜までみっちり。俺は何回上がって飛び降りてを繰り返すのか。さっきの気分は地下フロアに置いて来てしまったようで心には隠れていた不安が渦巻いていた。

「はー! 最高! 今日は晴れてるし絶好の降下日和ね!」

 目の前で浮かれているはずみちゃんが恐ろしい。こちらとしては晴れていようが曇っていようが関係ない。とりあえずこのまま飛び降りずに済む方法をさっきから模索しているのだが、仮病以外思いつかない自分の頭が憎かった。


「ひゅー! いいねー!」

 降下の準備を整えてヘリの扉を開けたはずみちゃんは高らかな声を上げる。俺は入り込んで来る風の寒さからか恐怖からかわからないがガチガチと歯を鳴らしているだけで全く言葉が出て来ない。

「よーし! 行こうかー!」

「ちょちょちょちょっと待って! 待って!!」

 ようやく弱気な声となって口から出た言葉は何とも情けないもの。はずみちゃんの体に固定された俺は必死で開いた出口の縁を掴み続ける。何故、俺の体が前なのか。これがはずみちゃんにおぶられる形だったらもう少し恐怖感も和らいだかも知れないが、そうなるとこうして心の準備をする間もなく飛び降りられそうな気もするので何とも言えない。

「もう覚悟決めなって。大丈夫よ」

「いや。わかってる。わかってるからもう少しだけ待って」

「もう……これが本番じゃなくて良かったわ。やっぱり練習必要だった」

「わかってる。わかってるよ。いくぞー。いくぞー……」

 理解はしている。飛び降りないなんて選択肢はもうないって事ぐらい。でも体はそれを拒み続けていた。まるで、死ぬぞ! と俺に忠告するように自らの意志で拒み続けていた。


「はい。もういいね。せーの!」

「いや! ま! ちょ! ちょっわあああああああーーーー!!」


 後ろから無理矢理押し出される。力でははずみちゃんに敵いっこないのだから結局、主導権は彼女が握っていたのだ。もちろんいつかは飛ぶ気でいたのだが、意志に反して放り出された体は今までにないくらい固まっている。飛ぶ、と言うより落下している感覚。飛び降りる時は叫んでいたのに今は全く声が出ない。「うううう……」と小さく唸っているだけでもちろん目を瞑っていた。

 ゴオーッと鳴り響く空間で急にガクンと空に引き止められるように体勢が変わる。

「ねぇ! 絶対目閉じてるでしょ! 開けてみなよ! もうパラシュート開いてるしゆっくりだからさ!」

 背後で明るい声が聞こえる。その声を信じてうっすらと目を開けてみる。


「……ん? ――――うぉーー!」


「でしょ! 絶景かなー!」

 広がる大地とは正にこの事。地上にいればあんなに狭かった視界が、空が大地がどこまでも広がっている。俺は生まれて初めて世界が広い事を知った。いや、前から知ってはいたのだ。ただこうして見ると実感出来ると言うか、やっぱり想像出来ていなかったんだと思う。パノラマの視界はきっと、どこで飛び降りてどこを見ていたって爽快で絶景なんだと思う。


「さあさあ! ヘリポートに着地したらもう一回だよ!」

「いやいや! もういいよ! もう十分だ! これでもう覚悟出来たから大丈夫!」

「はいはい! 二回目でそれ確認しまーす!」

「いやホントだって!」

「はーい! 着地するよー!」


 ズザッと地上を擦るように数歩進んで着地する。地上に足を着けているのがこんなにも安心するとは。俺は飛べなくてもいいやと本気で思う。どこまでだって歩いて行く。空を落ちて行くより百倍マシだ。

「とりあえず、ヘリが戻ってくるまで待機ね!」

 はずみちゃんは俺と体を切り離しパラシュートを片付ける。俺は上空に見えるヘリを眺めて、どう逃げ切ろうかと考えたが、仮病以外に新たに考えついたのが、何とか頑張って平気なフリをする。だけだったので心の奥底で三回目も覚悟した。

 結局、あれからはずみちゃんのオーケーが出るまでに計七回飛ぶハメになった。しかもラストの二回は夕方のダイブと夜のダイブを体感して欲しいと言うはずみちゃんの余計な心遣いだった。

 確かにまた違った顔を見せた世界は絶景の他なかったが、それ以上に俺は体力も精神力も大いに削られていて最早、感動する気力すら枯渇している状態だった――――。



「あー! お腹空いたねー!」

 食堂へ向かうはずみちゃんは、あと百回飛んでも大丈夫な気がするくらい元気が良く、気力も体力も全く削られていない。ただ単に腹だけ減っている状態に見えた。

「明日は勝負の日だからね! いっぱい食べないと!」

「うえーい……」

 俺の返事は弱々しい。挙げた拳も弱々しい。

 腹の状態は自分でもよく分からなくなっていた。減っているような一杯のような。七回のダイブで胃がシェイクされてしまったんだろうか。どちらにしろあまり食べる気がしないのは確かだった。

「今日は中華だねー!」

「ん? あぁ。うん……うん」

 食堂の扉が開くと沢山の中華料理が並んでいる。途端に香りが鼻を通り抜けて、あれだけおかしかった腹の調子が一瞬で戻った。

「餃子にエビチリに焼売に小龍包に炒飯に酢豚に北京ダックに……」

 既に俺を置いて呪文のように料理名を唱えながらトレーに料理を盛りつけているはずみちゃん。負けじと俺も後に続く。

「餃子に天津飯に麻婆豆腐に青椒肉絲にフカヒレにチャーシュー……」

「あ! 私もチャーシュー!」

「あと春巻きに……」

「あ! 私も春巻き!」

 気付けば二人とも山盛りに持った料理で周りからの注目を集めていた。もちろん俺もはずみちゃんも気にせず着席して食らいつく。

 ガツンと来る味付けはドンドン箸を進ませてくれる。

 幸せだ。これならあと一週間はここにいたい。正直、修学旅行で食べた夕飯よりも美味い。あれはあれで拓人がいたおかげもあってなかなか楽しいものだったが、いかんせん量が限られている。こんなにがっついては周りからひんしゅくを買ってしまい明日からの学校生活に支障をきたしてしまうだろう。しかし、ここには俺がどれだけ食っても平気なくらいに沢山の料理がある。もちろん量に驚いている人もいるが嫌な顔をしている訳ではなく、むしろ面白がっているようだ。そして俺の目の前には俺より食う女がいる。そう、仲間がいるのが一番大きい。俺のパートナーは食事の時までパートナーでいてくれるありがたい存在だった。

「おっさきー!」

 いち早く食べ終わり、おかわりしに行く姿が何と頼もしい事か。俺は多分、次のおかわりで試合終了だが、きっとはずみちゃんは更にもう一回おかわりに行くだろう。俺は食後のお茶を飲みながらそれを見て「よく食うな」と言うのだ。そうすれば自分の中で大して食っていない気になれる。おかげで腹も八分目に感じられるのだ。本当は十二分目くらいなのだけど。


 予定通り、俺が二回目を食べ終わって食後のお茶を飲んでいる時にはずみちゃんは三回目に突入した。

「……相変わらず食うなお前は」

 しかし、お決まりの言葉を口にしたのは俺ではなくはずみちゃんの隣に座った海堂さんだった。

「隣、失礼します」

 俺の横には陽宮さんが座った。はずみちゃんは「ほっといてください」と海堂さんに一瞬牙を剥いてまた黙々と食事にありつく。海堂さんは苦い顔をして自らも食事を始めた。

「あ。そうでした。これを」

「何ですかこれ?」

「剣を入れておく鞘です。このベルトで腰に巻き付けておいて下さい。剣を入れたらこの上のホルダーを閉じていれば勝手に抜ける事は有りませんから」

 陽宮さんから茶色い頑丈そうな革製のベルトつき鞘が手渡される。そう言えばヘリに置きっぱなしだ。多分俺以外持てないからきっとそのままになっているだろう。取りに行かなくては。

「おや? 剣は持っていないのですか?」

「あ。すいません。ちょっとヘリに置き忘れてしまって……後で取りに行ってきます」

「おう。それなら俺が一緒に行ってやるよ。また呼び出されちゃ敵わねーからよ!」

 海堂さんが口一杯に頬張りながら豪快に笑う。

「行儀わる……」

 隣で半眼を向けるはずみちゃんの口にも料理が詰まっていた事に何かを言うものはいなかった。


 ————食事を終えた俺は剣が入っていないホルダーを腰に着けて海堂さんと並んで歩く。

 海堂さんは思ったより小食でおかわりする事はなく、はずみちゃんとは逆に一体何がこの頑丈そうな肉体を作っているのか不思議だった。

「しっかしお前。ずっと学ランじゃねーかよ。もしかしてそれで飛んだの?」

「えぇまぁ……インナーは着ましたけど」

「とんでもねーな! じゃあ明日もそれで行けよ! 下手に迷彩着るよりその方が勇者感が出るだろ! その学ランに剣ぶら下げてる姿がコスプレみたいでカッコいいぞ!」

「……本気で言ってるんですか?」

「っぷ! 本気だよ! 別に明日も過酷な要素は一つもないしな! 靴だけは俺達と同じブーツにしとけ。その運動靴じゃ頼りない。いやーカッコいいな! 羨ましいな! っぷ!」

 いつもの笑い方。この人、この任務を遊びと履き違えてるんじゃないのか?

 ヘリの扉を開けて中に置き去りにされていた剣を鞘に入れてホルダーを閉める。海堂さんがまたもや笑いを堪えているのを見て自分で鏡を見るのが少し恐くなった。剣も鞘もカッコいいのだが、あまりにも非現実的なアイテムの為、日常の代名詞にもなりえよう学ランにひどく合わない事ぐらいは百も承知だが、そこまで似合わないのか。これで軍事用ブーツなんて履いたらますます意味の分からない方向に向かうのだろうな俺は。

「さ。明日は本番だ。しっかり寝てしっかり成功させようぜ」

 突き出して来た拳に戸惑ったが、ほどなく意味を理解して拳をコツンと当てた。海堂さんは頷くと「ついでに靴も持って行け」と替えの備品が置いてある所へ案内してくれた。中には靴や服の他に様々な銃や弾薬等が並んでいて、俺は自分のサイズに合いそうな迷彩服を手に取ったが海堂さんは無言でそれを奪い去り、元に戻した。俺は本気でこの学ランで日本を救わなければ行けないらしい。

 結局、靴だけを手に取って部屋へと戻る。一応、靴を履き替えて一気に姿見へと振り向いた。

「これ文化祭っぽいな……はは」

 乾いた笑いが虚しい。これマジでコスプレって言われても否定出来ないな。

 寝よう。忘れて寝よう。

 俺は学ランを脱いでベルトを外す。そして靴を脱ぎながらベッドに潜った。自分が明日やる事にまだ現実味を帯びていないのが少し不安だったが、陽宮さんやその他の施設員、そしてブレイバーの存在が、何とかしてくれるだろうと言う気にさせてくれた。

 そう、俺の気持ち云々は関係なく作戦は速やかに実行されて実感の湧かぬまま日本は救われ、俺は日常に戻る。うん。それでいいのだ。それがいいのだ――――。

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