第10話 それはひとときの夢物語
「誰か待ってるのかな」
「この町の人?」
さわさわとした喧騒に、学校の廊下を歩いていた麗子が止まった。
見れば、女生徒達がどこか浮き足だった様子で窓の外を眺めている。
(なんだ…?)
不思議そうな麗子に、たまたまそこにいた拓真が声をかけてきた。
「校門のところにねえ、めちゃくちゃ綺麗な男性がいるのよ」
「へえ…そんなことか…」
確かに校門の前に、下校途中の学生に紛れて、傘を差して佇む人の姿が見える。
さしたる興味も湧かず、すぐに踵を反して家に戻ろうとした麗子だったが、傘の隙間からその人物の顔が見えた瞬間、ぴたりと足を止めた。
「…!!」
そのまま光の速さで階段をかけ下り、彼の元まで一目散に向かう。
「おい!お前っ!何してんだ!?」
息も絶え絶えに怒鳴るように話しかけると、校門の前にいた人物が傘を上げて笑った。
「麗子ちゃん。お勉強お疲れ様」
「あ、ありがと…凜」
そこにいたのは蛇の姿でもなく、いつもの真っ白な姿でもない、着物を着た人間の凜だった。
「久々に人間に見えるようにしてみたんだけど、どうかな?」
「ど、どうって…」
そもそも凜は、御神木の付近以外では人の姿はとらない。
多めの力を使うらしく、こうして麗子以外にも見える形で姿を現すこともなかった。
(どうって…)
まじまじと凜を見つめる。
髪は薄い茶色になり肌も黄色味を帯び、かなり人に近づいた容姿になってはいるが、その綺麗な顔は健在だ。
神秘的な雰囲気が抜けたぶん、どこか親しみやすく映った。
(ていうか、カッコ…)
「な、なんでそうまでしてここに来たんだよ!」
よぎった感情を慌てて振り切る。
顔を真っ赤にしながら尋ねると、凜はにこにこと笑った。
「この姿じゃないと買い物とかできないからね…それが終わったから、麗子ちゃんを待ってたんだ」
「アタシはついでかよ…言ってくれれば買いに行ったのに。なんだ?また依頼でもあったのか?」
「うん。僕からの依頼なんだけど…麗子ちゃんの手料理が食べたいな」
凜の言葉が理解できず、固まる。
背後から人の視線が集中していることも忘れて、麗子がまぬけな声を出した。
「……は?」
「ごちそうさま」
古い木造アパートの麗子の一室に、ぱちんと手を合わせる音が響いた。
テーブルには、すっかり空になったカレー皿が置かれている。
麗子が湯を沸かそうと席を立った。
「もっと前から言ってくれたら、もうちょい凝ったもん作ったけど」
「…ううん。カレー食べてみたかったんだ。僕の時代にはなかったし…それにとっても美味しかったよ」
「だろ?よく意外だって馬鹿にされるけど、一人で食うことの方が多かったからな」
「意外じゃないよ。麗子ちゃんは素敵なお嫁さんになるね」
「よっ…!?や、やめろバカ!からかいやがって!」
麗子が真っ赤になりながら、慌てて顔を背ける。
それでも普段ひとりで食べることの多い彼女にとって、誰かが食卓にいるというのは新鮮で、どこか幸福感があった。
さらには、凜とふたりでスーパーで買い物をして、ふたりでキッチンに並んで作った夕飯だ。
(なんていうか…普通の恋人って感じで楽しかったな…)
凜が目立つので人からの視線は少々熱かったが。
「また作ってやるからさ、同じようにして来いよ。蛇の姿じゃこうは食べられないもんな」
そう言いながら麗子が、中身を入れ直そうと凜の前にある湯飲みに手を伸ばした。
瞬間、ぐっと腕を引かれ、バランスを崩す。
「ちょっ…」
体勢を直す前に、麗子を温かい感触が包んだ。
(…え?)
気がついたときには凜にぎゅうと抱きしめられていて、一瞬で麗子の全身が赤くなった。
「凜!?おまっ…」
「麗子ちゃん」
耳元で名前を呼ばれて、完全に思考が停止する。
みるみるうちに麗子の鼓動はまるで太鼓のように響き渡った。
その音がどうか彼に聞こえないようにと必死で願う。
そんな麗子の願望をよそに、凜はゆっくりと口を開いた。
「あと24時間後、僕は消滅する」
瞬間、ぴたりと時が止まって、静寂がその場を支配する。
「言うのが遅くなって、ごめんね。麗子ちゃん」
そう言った凜の表情は、いつもの通り笑顔。
けれど人ではない彼の胸からは、なんの音もしなかった。
時計が静かに時を刻む。
雨が窓に叩きつけられる音が、先程よりも大きくなっていた。
「な、なんだよそれ…」
やっと絞り出した麗子の声は掠れていて、期待を込めて凜を見る。
たった一言、冗談だと言って舌を出して笑ってくれるだけで良い。
「……」
「どういうことだよ…凜!」
黙って微笑んでいる彼に、期待には応えられないのだと悟った。
凜は、麗子を落ち着かせるように、静かに口を開く。
「…僕は、この町に古くから巣食う怨霊を抑える為に神になったって言ったよね?」
「あ、ああ…」
「でもね、僕ができたことは結局、臭いものに蓋をしたぐらいのことなんだ」
何百年も試してはきたが、あれを浄化することはできなかった。
こうしているうちに彼らの怨念は大きくなり、反面忘れられた凜はどんどん力を失っている。
「もう、僕の力で抑えてはいられない。ここで終わらせないと、何の罪もない町の人達に襲いかかる」
「やめろ…」
「幸い、麗子ちゃんが頑張ってくれたから、神力は足りてる。僕が犠牲になれば…」
「やめろ!なんだってそんな…!アタシはそんなことのために協力したわけじゃねえよ!」
続きを聞きたくなくて、思わず凜の胸を叩く。
「…なら麗子ちゃんは、町の人が犠牲になってもいいの?」
「な…そ、そうは言ってねえだろ!アタシはただ…」
「そういうことだよ。…誰も悪くない。仕方のないことなんだ」
町か、凜か、ということだ。
何百年もかけてたどり着いた道だ。
彼が出した結論に、自分が挟む隙はないのだろう。
それがわかっていても、麗子の手先は震え、他に結論を探してしまう。
(やめろ…なんで、なんで凜なんだ)
「なら、どうしろって言うんだよ…お前は、お前はまた、人の為なんかに死ぬのかよ…」
「〝なんか〟じゃないよ、麗子ちゃん。君は知っているはずだ。人間はそのひとりひとりが、誰かにとっては代わりのいない、かけがえのない存在だって」
その言葉に、麗子の脳裏に母親の顔がよぎった。
それをかき消すように頭を振って、凜の目を見据える。
「ならお前の価値はどうなるんだよ!…人にはダイヤモンドを選べって言っておいて、お前はどうなんだ。お前のその選択肢は…ダイヤモンドなんかじゃないだろ…?」
懇願するように絞り出した一言だったが、凜は首を振って、微笑んだ。
「麗子ちゃん。人生には、例え
彼はやはりいつもの、人の良い優しい笑顔を浮かべている。
慈愛に満ちた、神様らしい表情だ。
「それでも、その石塊でたくさんの人が幸せになれるのなら、それだけでも僕の選択は価値があると思わないかい?」
「……っ」
思わないと、はっきり口に出して言いたかったのに、麗子の喉は何かが詰まったように声が出なかった。
たったひとりでも人間がいなくなることが、近しい人にとってどれだけ悲しいか、自分は知っている。
狂おしいほど、知っているのだ。
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