最終話 いつか晴天の空の下で


古い木板の隙間から日の光が入り込む。

麗子は鳥の鳴き声と、猛烈な暑さに目を覚ました。


「あっつ!いてえ!」


がばりと跳ね起きると同時に、勢いよく天井に頭をぶつける。


「…?あ、生きてる…」


頭を振ると髪からは大量の砂がこぼれる上、手足は鉛のように重いが、心臓はまだ動いている。

慌てて傍に横たわるあつ子も確認するが、ちゃんと息をしていた。


「生き残ったんだ…」


外に飛び出すと、空には真っ青な晴天が広がっていた。

木はなぎ倒され、そこに山があったことなどわからない程ひどい有り様だが、巨大なクスノキだけは残っていた。

この木が盾となって、社を土砂から守ったのだ。

眼下の町は半壊状態だが、形を残している部分もある。


「やった…!凜!勝ったんだ。勝ったんだお前は!」


麗子が目に涙を溜めて振り向き、そして言葉を失う。

クスノキは、まるでその役目を終えたかのように、半分に折れていた。











「レイコ!俺様の社が完成したぞ!見に来い!」

「麗子!山にゴミ捨てに来た馬鹿がいたんだよ!なんとかしてくれ!」


右と左からいっぺんに話しかけられて、麗子は額に青筋を浮かべ口を開いた。


「だからよお…神と動物が気軽に遊びに来んなって言ってんだろ!」


その怒声は建物全体をびりびりと揺らし、外の立て看板が倒れる。

それが終わるのを待って、鼓太郎と雷伍は耳を塞いでいた手を外した。

麗子は苦々しい顔でぼやく。


「お前らのせいでアタシ一時期、梟に喋りかけてるヤベエ店主って話題になったんだからな」

「話題になったのならよかったじゃねえか」

「そうだぞ。こんな流行らない店、何かしらで宣伝しないとマズイぞ」

「いやだから、その話題がイカレ店主ってやべえだろ!宣伝どころか悪評だわ!…それに、ちゃんと依頼はきてっから。明日も通訳の仕事があるっつーの」


そう言いながら、麗子が店に貼られたカレンダーを指差した。

ここがいかに繁盛しているかの主張だったが、予想外に雷伍が反応する。


「明日は予定があるのだな?なら是非とも今日社に行ってこい。新しい神主も来たし、俺様の立派な社を見るべきだ」

「ハァ?なんでアタシが…」

「良いのか?嫌な奴かもしれんぞ」

「……」


麗子が静かになった。

目の前の雷伍には何を言われても一向に構わないが。

(神社のことを悪く言われたりするのはムカつくな…)

上着を持って立ち上がる。


「あつ子の様子見てくるついでに行ってくるわ!店頼んだ!」

「おまっ…梟と神に店番させんなよ!」


鼓太郎の声を無視して、「何でも屋」と書かれた立て看板を直した。

自転車に跨がりペダルを漕ぐと、爽やかな風が麗子の頬を撫でる。

今日も、瞳成町は平和だ。






「アキエちゃん」


麗子が現れると、あつ子がベッドに横たわりながら顔を上げた。

その傍の椅子に腰かける。


「元気か?」

「そりゃもちろん。今日はねえ、みんなで歌を歌ったんだよ」

「そりゃすげえじゃねえか。鏑木のやつ、ちゃんとやってんだな」


円はこの施設で働いている。

先ほどすれ違った時は、後輩に指導をする彼女を見た。


「アキエちゃん。再婚はしたのかい?」

「結婚すらしてねえよ」


とんちんかんなことを言い出したあつ子に苦笑する。

麗子の母親と、麗子を勘違いしている彼女は、のんびりと続けた。


「もったいないねえ。アキエちゃんならすぐに良い人が現れるのにねえ…もう心に決めた人がいるんだねえ…」

「…そうだな」


首元の指輪、今はふたつになったそれを触りながら、麗子が返事をする。


「あれから10年も経っちまったのにな…」


町並みも人も大きく変わり、彼女は26歳になった。

10年前のあの後、麗子は猛勉強をし国立大学に入学。

卒業後は会社員として働いたり、外国まで行ったが、結局この町に戻ることを選択した。

(色々やってきたけど、やっぱり凜と過ごした半年間が、忘れられなかったんだよな…)

この10年、麗子とて別に男性と何もなかった訳ではない。

だが結局、あと一歩のところで思ってしまった。


「…あいつより好きになれる奴が、いないんだよなあ…」


施設を出た麗子が、山の階段を登りながら呟く。

古びた木の板ではなく、舗装された石階段だ。


「だいぶ、歩きやすくなったな…」


麗子が鳥居の前で止まる。

振り向けば、晴天の下でキラキラと輝く町並みが広がっていて、思わず目を細めた。


「…あいつはこれを守ったんだな」


10年前のあの災害で、町は半壊した。

それでもひとりとして犠牲者が出なかったこと、山の巨大なクスノキが流されず土砂を受け止めたことで被害は最小限に抑えられる。

町の人々は奇跡だ神の神業だと涙を流し、半ば忘れられかけていた凜の社は折れたクスノキを中心に再建された。

復興のため仮に設置されていたが、先日工事が終わり、立派な神社が建てられたのである。


「もう凜はいねえけどな…雷伍の居心地が良くなるだけって考えると腹が立つけど、良いこともあったしな」


同時に、瞳成町の悲しい歴史が紐解かれ、犠牲となった彼らはきちんと供養された。

今は資料館もでき、雷伍によれば「もう化けてでることはない」との話だ。

(凜のしたことは…無駄じゃなかった)


「よいしょっと」


階段の一番上にたどり着く。

迎えるのは大きな鳥居だ。


「よお!」


中に入ってすぐ、掃き掃除をしている男性が目にとまる。

背を向けていた彼が、こちらに気がついた。


「お前が新しい神主なんだ、ろ…」


麗子の声が止まる。

吹き抜けた風は木を揺らし、彼が集めた葉を根こそぎ持っていった。

それでも怒るどころか、空を見上げ嬉しそうにしている。

まるで、生きること自体が楽しくて仕方がないというように。


「ただいま、麗子ちゃん」


振り向いた彼は、相変わらず人の良さそうな顔で笑った。






「ふくろうちゃんだ!」

「かわいい!」


鼓太郎は大きな瞳に囲まれて、だらだらと汗を流していた。

店の外から声が飛んでくる。


「何してるのー?行くわよー」

「「はーい!」」


鼓太郎のまわりにいた子どもふたりがいなくなり、母親のもとへ向かった。


「今日のご飯は何かしらね~」

「パパは料理もお野菜もつくるの上手だもんね!」


遠ざかっていく声に、鼓太郎がふうと胸を撫で下ろし逆立てていた羽を戻す。

そのやりとりを一通り見ていた雷伍は、愉快そうに笑った。


「ハハハ!見える奴は大変だな」

「うるせえよ…俺からしたら、神のほうが大変だ」

「俺様は自分のためだけに存在する神だからな。そう苦労はない」

「そりゃそうだ。…そんなお前が人思いだったとは、知らなかったぜ」


その言葉に、雷伍がぴたりと止まる。

鼓太郎は続けた。


「まさかあの時、消えかかってた凜を保護して、長い年月をかけて少しずつ再生させてたとはな」


一瞬の沈黙が訪れる。

彼はいたずらっ子のような表情で、鼓太郎を見た。


「…リンがあいつらの攻撃を受けてもなお消えなかったのは、想定よりも多く神力が貯まっていたからだろう。ヒトの信仰心とは馬鹿にはできぬな」

「……」

「リンとレイコが懸命に磨いた原石よ。俺様が拾ってやるだけで、より美しくなるのならば、なあに。少しだけ手伝ってやろうと思ってな」


目を閉じて雷伍が笑う。

こんなに心が踊るのも、ずいぶんと久しぶりだ。


「お陰ですこぶる気分は良い。これがあやつらの言う…ダイヤモンドの選択というやつなのだろう?」


風が町を吹き抜けていく。

荒北拓真は、打撃を受けた地元を支えることを選び、公務員になり町の広報担当になった。

菊池真由は希望の大学に無事合格、現在は医大生として多忙な日々を送っている。

夢を叶えた者もいれば、そうではない者も、麗子のように紆余曲折を経て人とは違う道を選ぶ者もいた。

それでも磨くことを怠らず、懸命な努力の末に掴んだ道ならば。

その選択は、ダイヤモンドより価値がある。

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ダイヤモンドの選択 エノコモモ @enoko0303

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