先生と破壊の神(その4)
「――ごめんね」
声が聞こえる。
「川本さん、お願い! 戻ってきて――」
私の名前を呼ぶ声。私、どうしたんだろ? 体が動かない。そうだ、先生を助けなきゃ! とっても恐ろしい物を見てしまったような気がする。思い出したくない何かを。
くちびるに温かさを感じた。心地よい感触にとろけそうになる。強い力で引っ張られるけど、ここから出るつもりはないから。
えっ、今度はとても熱い口付け。さっきのとは違う。なんだかとても安心できる。体温が上がっていく、暑くてたまらない。私の中の何かが、どんどん膨らんで一気にほど走る。
解放感に浸っていると、再び、ゆっくりとくちびるを塞がれる。つい最近も感じたことのある、欲望を刺激される口付け。
三つのくちびるが私を奪おうとする。強い感情を私にぶつけてくる。本当はわかっていた、最初から、そう、あの時から私は奪われていたのだ。
――せんせい
ふわふわと体が浮いたと思うと、何かに呑み込まれた。お尻が冷たいものに触れて、意識もはっきりしてくる。目を開けると、見慣れない風景が目に飛び込んできた。ソフィア、山田先生、知らない男の人、女の人……人間じゃない何か。私とみんなは、クリスタルで出来たテーブルを挟んで、同じくクリスタルで出来た椅子に腰かけている。テーブルは、何かの金属で出来た地面に置かれていて、見渡す限り何にもない、まっ平らな世界が広がっている。
「じゃこるん、こちらへどうぞ」
蛇と一体化した女の人が、手招きすると空いている椅子に白姫先生が座った。
じゃこるん? 白姫先生を、その名で呼ぶのは一花だけだ。まさかあなたは、一花なの?
女の人は、みんな揃ったので会議を始めると言う。知らない男の人から問われて、自分のことを「タドミール」だと名乗った。破壊の神でAIなのだそうだ。
タドミールが語りだした真相は、受け入れがたい内容だった。私とソフィアに悪魔と天使が封印されていたこと。タドミールが一花として学園に潜り込んでいたこと。ルシファーさんや、白姫先生を利用して、自分の理想郷を作ろうとしていること。私は、彼女の妃になるのだそうだ。
試しに椅子から立ち上がろうとしたが、出来なかった。今から起こることを、ここで黙って見ておけと言うことだろう。こんなことなら、白姫先生に山田先生との関係を聞いておけばよかった。この状況では聞けそうにないもの。
先生の顔をぼおーっと見ていたら、ルシファーさんが、タドミールに何か失礼なことを言ったらしい。皮肉な笑みを浮かべていた横顔に紫色の線が走り同じ色の血が滴り落ちた。何が起こったのか分らなかった。
白姫先生の方をこっそりと見る。そう言えば、リリスドリームで牢屋に閉じ込められていたとき、心の声で先生と話が出来たことがあった。もしかしたら、今もできるかもしれないと思って念じてみる。
「先生! 先生! 聞こえますか?」
先生は、怪我をしたルシファーさんの方を心配そうに見ている。呼び掛けに答えはなく、気付いた様子もない。私から解き放たれた悪魔と共に能力も失われたのだろう。
「メフィストだ。黙って聞いてくれ! これから君たちの手元にプログラム魔法のボールが送られてくる――」
聞こえてきたのは、山田先生の声だった。秘密基地だったビルのそばで、山田先生と白姫先生は、お互いにメフィストとエヴァと呼びあっていたっけ。そのあと、頭をぽんぽんと……、また思い出しちゃった。
「わかったら三回瞬きをしてくれ」
本当は、よくわかってないけど三回瞬きした。山田先生は、ドジだけど信用できるいい先生だから。きっと今も私達を助けようと一生懸命やってるのだろう。先生の言う通り、リリスドリームでも使ったことのあるボールが手元に現れたので、手のひらに隠し持った。
タドミールが、ディミオス将軍の軍団が到着したと、興奮ぎみに言い、大量のアサシンが平原を埋め尽くしているのを見た。私が呼び出しちゃった数十名のアサシンでもあんなに手強かったのだから、こんなにいっぱいいたら本当に世界が征服されてしまうかもしれない。
背後でカンカンカンと足音が近付いてくる。角が生えた白馬に股がった黒い鎧の騎士。黒と白の組み合わせが美しいと思ってしまった。騎士は、自分がディミオス将軍であると女性の声で名乗った。不思議と将軍の声に恐ろしさは感じなかった。なぜだろう?
将軍の声に応えて、眼下のアサシンたちが歓声を上げるのと同時に、山田先生の声が再び聞こえた。
「今だ、ボールにキスしろ!」
私も急いで、隠し持っていたボールにキスをした。キラキラと文字の帯が空を舞って、光の粒子が集まってくる。真っ赤な翼をバタバタと羽ばたかせ、今度はちゃんとガルーダ鳥のカルラが現れた。ソフィアの灰色狼フェンリル、白姫先生の白蛇、
ルシファーさんの背後に、巨大な姿を現したのは――九つの長い首、ごつごつとした硬い皮膚を持つ――見たことのある怪物。
――ヒュドラだ。
倒したはずのヒュドラが、グネグネと首をねじらせながら低い声で唸るのを聞いて、身が縮こまるを感じた。
魔法の効果なのか体が自由に動かせるようになっている。さっきまでみんなに指示を出していた山田先生は居なくなっていた。まさか、逃げたのかな?
「そこの人間の小娘! 名前は?」
ルシファーさんが、面倒くさそうに尋ねる。
「ソフィアよ」
「かすみです」
「よし、ソフィアは俺と一緒にディミオスを攻撃しろ、かすみはエヴァと一緒に、タドミールを攻撃するんだ」
「わかったわ」
「わかりました」
なんだか勝手に決められちゃったけど、白姫先生と一緒というのが嬉しかった。
「川本さん、私の後ろに下がって援護して!」
先生は私の前に立って、両手を広げた。ドラゴンの火の玉から私を守ってくれた時のように、強い意思のようなものを感じて胸がきゅんとなった。
「仕方ないですね、『神』に逆らうとどうなるか、思い知って下さい」
タドミールは、驚いた様子もなく淡々とした口調で言った。
「夜刀、行け!」
忠実な大蛇は牙を剥き出して、敵に向かう。タドミールは、襲いかかる白蛇に怯むことなく、天を指差した。
「
「えっ!」
凄まじい轟音と共に、稲妻が夜刀を襲った。光の刃は、すんでのところで夜刀をそれて、飛んできた赤い矢に命中し火花となって弾けとんだ。赤い矢は、カルラが放った
タドミールは、再び天を指差している。またサンダーボルトを打つ気なの!
「カルラ! 防いで!」
「えい、えい!」
カルラが素早い挙動で、次々と矢を放つ。一本、二本、三本と休まず打ち続ける。矢が向かった先は、タドミールではなかった。背後に出現した黒い穴に全て吸い込まれてしまった。
――
リリスドリームで、私達が使ったプログラム魔法がそっくりコピーされている。一旦下がった夜刀もサンダーボルトを警戒して近付けない。
「小娘、下がってろ! ヒュドライージス作動!」
ヒュドラの九つの首から、銀色の槍が吐き出された。ただの槍ではない、この形は――グングニルの槍だ! 四本がタドミール、五本がディミオスに向かって飛んでいく。
「
タドミールが魔法を発動する。たしか、大天使ミカエルもこの魔法でグングニルの槍を防いでいたはずだ。最強の槍が結界に突き刺さる。大きな音が響き、光の粒子となって弾け飛んだ。
八本の槍に耐えた結界だったが、最後の槍でひびが入った。砕け散った槍の破片が、ディミオスの黒い兜をかすめる。
ガシャーンという金属音。女騎士の兜が割れて後方の地面に転がった。納めてあった金髪がフワッと肩にかかり、ディミオスの素顔があらわになった。
「あっ、ああっ!」
ルシファーさんの様子が変だ。呆然と立ち尽くしていると言ったほうがいいのかもしれない。
――母さん
確かにそう聞こえた。
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