さいごに
これまで長きに渡って描いたのは、ウラガーン史記の、そのはじまりの一節のことである。はじめに、この作業とは文字の中の存在となった彼らに、血と肉と魂を与える作業であると述べたと思うが、果たしてどうであったろうかと自問する。
彼らは等しく生き、求めた。その手段はそれぞれであったが、国の乱れた世のことであるから、戦いというものを通してそれを行うのが彼らにとってはある意味自然なことであったのかもしれぬ。
彼らは、時代の中で自然人として生きる自らの行いの不自然を知った。それを人に知らしめ、あるべきを定めた。史記も彼らのその働きを評価するからこそ、彼らをこれほどまでに濃く描いたものであろうが、こうして見てみると、彼らは決して同じ方向を目指したわけでなく、同じものを目指しながら異なる道筋を各々に選び取っているように思える。
サヴェフ、ザハール、ペトロ、ルスラン 、ジーン、ベアトリーシャ、サンラット、サンス、ラーレはことごとく死んだ。十聖将のうち、生死が知れぬのはイリヤのみである。彼は、ベアトリーシャを唯一の光と早くから知り定めていた。それゆえ、パトリアエが成ってからは、雨の軍を率いるだけの存在となり、おおよそその自我など消滅してしまったかのような行動しか見せぬ。
しかし、筆者は思う。彼がパトリアエに付き、サヴェフの思う通りに働いていたのは、自らが愛した者とともに歩むはずであった道を指でなぞるような悲しい行いであったのだと。それは、逆行と言ってもよいだろう。
そして、英雄王ヴィールヒは、イリヤとは同じではないにしても、その逆行の中で、人の求めるものを見た。サヴェフを失った瞬間から、彼を支配するものは地下の暗闇でもそこで培われた退廃でもなく、生死という人にとって最も思う通りにならぬものを賭してまで求めなければならぬ、当然のものに取って代わった。
彼は、知った。もともと存在するからこそ、強くそれをかき抱き、願い、求めなければならぬのだと。当然であることを許容し、自らそれを知ることを忘れてしまえば、人は簡単に歪むのだと。それを正すことができるのは、同じように歪んだ行いによるほかないのだと。
大精霊も、龍も、常に彼らの中に同時にある。天に無数に貼り付いた星の歌を聴き、歌う彼らは、それを知った。
彼らはこののち暦をパトリアエ王国暦とあらため、より強固な国政を打ち出してゆくが、そのことはあえて描くまい。ひとまず、筆者の目的は果たされたように思うからだ。
また、次代を担う者のことも、あえてしつこくは追わぬ。リシアが復活の巫女として信仰の対象となって人の心を繋ぎ、スヴェートは隻腕隻眼ながらパトリアエ王国軍の主要な位置に就き、マーリは若き宰相としてそれを支え、バシュトーはザハールの子シトを新王として戴いたがパトリアエと特に摩擦を起こすことなく、パトリアエもそれを黙認するような運びになったとのみ付け加えておく。
ただ、史記に、戦いの処理が落ち着いたあと、スヴェートがリシアを伴い、ザンチノを訪ねたとあるから、そのことのみを描くこととする。
パトリアエ王国暦一年、その国土の東端、ラハウェリの坂道に彼らはあった。
「グロードゥカに、来てくれるかしら」
「さあな。だが、もう歳だ。こんな山深いところで過ごすよりは、いくらかいいさ」
スヴェートは、育ての親であるザンチノを、グロードゥカに迎え入れようとしているらしかった。リシアをそれに同道させているというところから、二人のその後の関係は察することができる。
中央はなにかと目まぐるしいが、この東の大山脈に差し掛かったところにある小さな村は彼がここで養育されていた頃と何ら変わりなく、そのはずれを貫く貿易の道を、石を運ぶ荷車やめずらしい品を東からもたらす見慣れぬ服装の隊商などが行き交っている。
坂を今にも滑り落ちそうな具合に建つ彼の生家も、健在であった。久方ぶりにそれを見上げ、スヴェートは苦笑した。
「ザンチノは、来ぬかもしれんな」
「どうして?」
「屋根も、壁も、ほら、扉の脇の木までも、たいせつに手を入れている。あの木は、雪が降る前の頃に小さな花を付けるんだ」
「星屑の花、ね。こんなところにも、咲くなんて」
しばらくそうして家を見上げ、やがてその中に二人は足を踏み入れた。
陽が傾く頃、彼らは二人でその家から出てきた。
大きく手を振ってなにかを言い、そして寄り添うようにして坂を降りていく二人を、小さく縮んだ白髪の老人が、いつまでも見送っていた。東の山を燃やすように、はるか地平に沈む陽が、老人の笑顔と共に刻まれた深い皺を浮かび上がらせている。
その目には、たしかな光があった。老人は、それが光であると知る者であった。
陽のあるうちに、と慌てるようにして坂を駆け下りる風があった。その匂いからして、それは初夏のことであったのだろう。
ウラガーン史記 墜星の滴 完
ウラガーン史記 墜星の滴 増黒 豊 @tag510
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