望まぬ再会

 彼らが目指すべきは王都グロードゥカであるから、用もないこのチャーリンを出ようとした。ここからなら、もうあと数日で到着する。

 到着して、まず何をするのか。どうやって、自分たちを売り込むのか。

 ザンチノは、ウラガーンと関わりが深いのだ。スヴェートのほんとうの父は十聖将の一人ルスランで、ザンチノは彼の父と戦ったのだと言った。そして、宰相サヴェフは、かならず彼を求めるとも言った。

 しかし、何も持たぬ彼らがいきなりグロードゥカに押しかけて、受け入れてもらえるものだろうか。ああ、お前がスヴェートか、待っていたぞ、というような具合に話が進むなら、もっと早くに向こうから使いを寄越してくるはずである。

 どうやって軍に入るのか、マーリを中心にして様々に意見を出し合った。スヴェートは、いつもそれを聞いているだけだった。

 今のところ、とりあえずグロードゥカに入り、軍にかけ合い、無理ならば傭兵としてでも雇ってもらえぬかとかけ合うしかないだろう、というような話になっている。あまりに弱く、行き当たりばったりであるとマーリは苦笑していたが、なぜか楽しそうでもあった。

 しかし、彼らは、思わぬところで足を止められてしまう。

 いざ中央を目指さんとチャーリンを出ようとしたとき、西門を固めていた兵に行く手を阻まれたのだ。

「この地に入られたトゥルケン候ラーレ様の、ご出陣だ。それが済むまで、この門を開くわけにはゆかぬ」

 そう言って戦斧ヴァラシュカを光らせる兵に、彼らは閉口した。門から一度離れて、

「しかし、これは機かもしれん。ラーレ候の軍に加えてもらうことができれば、グロードゥカに入るのも容易かろう」

 とマーリが案を出した。

「俺たちは、わずかに三十足らず。ろくな武装もしていない。そう上手くいくかね」

 リャビクが首を傾げる。

「まあ、任せておけ。お前たちは、俺の言う通りにしていればいい。しかしスヴェート、肝心なのはあんただ。あんたが肝を据えなければ、どうにもならん」

 当のスヴェートは、暦がもう少し進めば黄金色の小さな花を星屑のように咲かせる木の、その葉が青く繁っているのをなんとなく見ている。

「肝が据わる、か。仰々しいな。いいさ。ふつうにやる」

「どうやら、問題ないらしいな」

 不敵に笑むマーリが声を低くして語る策に、一行は聴き入った。


 果たして、ラーレの軍はこのチャーリンから西へ向けて発した。北のトゥルケンからここに入り、ザハールの本拠に変事がないことを確かめ、そしてグロードゥカに入るのだろう。

 馬は、白馬か栗毛ばかり。兵装は、ことごとく白銀しろがね色。

 戦斧を握った二千ほどの歩兵がまず石畳を踏み、続いて騎馬の槍隊。そして、さいごに騎馬の弓隊。

「機動力を活かし、とことん敵を翻弄する。そういう軍らしいな」

 と、訳知り顔でマーリが言ったが、ラーレの軍はもともとそういう触れ込みでされていたから、彼が特別に軍事についての深い知識を持っているということにはならない。

 その最後尾に、ひときわ美々しい白銀の軍装の将。

 あれが、戦の女神。街路の両脇で出陣を見送る人々は、ことごとく息を飲んだ。

 ただ馬を歩ませているだけの姿ですら、ふつうの兵などとは明らかに違った。

 それに向かって、まずマーリと数人が駆け出した。ラーレの周りの兵が、なにごとかとその進路を塞ぐ。

「トゥルケン候ラーレ殿とお見受けする」

 駆け寄る彼らに目もくれず進んでいたラーレは、そこではじめて馬を止め、脇を見た。兜の目庇まびさしの下の顔を見て、リャビクが声を上げた。

「あ」

 ラーレの表情は、変わらない。

「お前。昨日の」

 リャビクが路地裏の軒先で出会った女は、やはりラーレであった。しかしラーレはそのことを忘れてしまっているのか、何の反応も示さない。

「おい、リャビク。どういうことだ」

 段取りと違う。焦ったマーリが声を裏返す。

「どうもこうも、ない。昨日、俺はこの女に投げ飛ばされ、剣を突き付けられたのだ」

「ああ、お前か」

 ラーレは、ようやく思い出したようである。

「何の用だ。昨日の続きか」

 殺気立った眼の兵とは違う、涼しげな眼。

「いや、ちがう。あんたに用があって来た」

「わたしは、急ぐ。見て分からぬか」

「そこを押して頼む」

 リャビクが、いきなり額を地に擦り付けた。

「ここにいる皆で、中央を目指している。ほんとうなら、ここであんたを呼び止め、ザハールの手の者だと喚き散らし、捕らえられるつもりだった。そうして、実は俺たちはあんたらと共に中央に行きたいと願っていて、首魁スヴェートの父がかつてあんたらと共に戦ったルスランであることを説く場を得るつもりだった」

 マーリが、頭を抱えた。そうでもしなければトゥルケン候ラーレのような遠い存在に近付くことすらできないと思って立てた決死の作戦である。それを全て吐露してしまえば、おしまいではないか。

「スヴェートは、どこにいる」

 ラーレの眼の色が、変わった。そこに激しさは全く無く、もっと別の何かがあるのを全員が見た。

 たとえば、やわらかな雨のような。それが、土をそっと濡らすような。そういう光が、そこにあった。

「俺が、スヴェートだ」

 この旅塵にまみれた鎧兜すら着けぬ一団の中から、スヴェートが一歩進み出た。

 赤土を捏ねたような髪を後ろに結び、同じ色の無精髭を生やし、真っ黒な瞳でラーレをまっすぐに映した。

「──スヴェート」

 ラーレが、馬から降りた。兵がなにごとだろうと思い、構えたままであった武器を引いた。

「スヴェート」

 小さく鎧を鳴らし、濡れたままの石畳を踏んだ。

 朝まで、雨だったのだ。

「スヴェート」

 ラーレには目の前にいる若者がそうであると確かめるまでもなく何か感じるものがあるらしく、吸い込まれるように彼の瞳の中に映る己に向かってゆっくりと歩いた。それがどのような表情をしているのか分かるほど近くで足を止め、また呟いた。

「スヴェート」

 光。そう言った。そして、この戦いの女神は、その光を瞳からこぼし、悲しげに微笑んだ。

「また、会えるとは」

「俺を、知っているのか」

 ラーレは答えない。あまりに急なことで、スヴェートは彼女にやわらかく抱き締められたまま、少し身じろぎをした。それでラーレが何かに気付いたように身を離し、二人は個と個になった。

「お前に会うことができて、嬉しい。しかし、お前もまた、来てしまったのだな」

 スヴェートの問いに対する返答にはなっていないし、何のことか分からぬようなことを言う。

「わたしは、望んでいた。おまえがもう二度とわたしたちの前に現れたりすることがないことを」

 それだけ言い、ラーレは背を向けて、馬に戻ろうとした。

「待ってくれ。ザンチノを、知っているだろう。ザンチノは、言った。中央は、必ず俺を求めると。しかし、求めに応じて答えるのではなく、自分で選び、決めろと。だから、俺はここにいる」

 ラーレの足が、止まった。

「似たようなことを言う者が、多すぎる」

 ぽつりと、滴のように言葉を放った。

「俺は、自ら為すことを知り、選んだ。そして、願った。一人の賊も、志を掲げて剣をかざす者も、そして英雄ザハールも、変わりないと思った。皆、己のために誰かから何かを奪うことをする」

 スヴェートの声が、天を揺らした。べつに、声を張り上げているわけでも何でもない。しかし、それでも、天は滴を墜とした。もとより濡れているそれが、さらに地を濡らしてゆく。同じ滴の中で、スヴェートはなおも続ける。

「それを、断ち切らねばならない。人が人から奪わぬ国の、そういう世のために」

「やめておけ」

 ラーレは振り返らず、言った。その声に、色はない。つい今しがたスヴェートを抱き締め、その名を呼んでいたのとは別の人間のようだった。

「わざわざ、死ににゆくようなものだ」

「いいや、死なん。連れて行ってくれ。あんたと一緒に、俺は中央に行く」

 なぜか、ラーレの背が動揺を見せた。

 しばらく軍装から雨を滴らせ、やがて大きく声を発した。

「中軍の輜重隊に、空きはあるか」

「はっ」

 成り行きを見守っていた兵の一人が、声を上げた。

「この者らに、輜重を押させろ。ぬかるみから出るのに使ってもいい」

「連れてゆくのですか──?」

 ラーレの軍においてはあまり質問をするという習慣がないらしく、兵は問うことをやめた。

「ありがとう」

 スヴェートが、ラーレの背に向かって言った。言い終わって、背に粟が立つのを感じた。

 喉に、滴とは別の冷たさ。

 剣である。

「口の利き方に、気を付けろ。人足にんそくの分際で」

 いつ抜いたのか、全く分からなかった。スヴェートは、身動きひとつできない。

 これが、あの戦いをくぐり抜けた、戦いの女神の剣。

 だが、言葉遣いを叱責されるということは、彼らはたとえ荷運びの人足であったとしても、ラーレの軍組織に加えられたということである。

 グロードゥカに至るまで、彼らはただひたすら荷車を押した。雨に濡れ、泥にまみれても、誰も文句を言う者はいなかった。いや、中には兵として軍に加わることのみを想像していた者も多くいたはずであるから不満に思わぬ者は皆無ではなかったのであろうが、誰も口を開く者はなかった。

 ただ人足として使役されているだけではないような、なにかとてつもないことをしているような、そういう気がしていたのかもしれない。少なくとも、ラーレという稀代の戦士は、スヴェートを特別な者として捉えている。


 史記は、言う。

 ラーレは自らが名を与えた者との再会を、最も望んでいなかったと。再びそれと会うときは、その者が自らと同じ道に足を踏み入れるときに他ならないからだと。

 それでも拒絶しきれなかったのは、スヴェートの発した、一緒にゆく、という言葉に彼女の心のどこかの部分が揺さぶられたからであろうと。

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