王座にて

 ノーミル暦四八八年、四月。トゥルケン王家が、一瞬にして滅んだ。無理な弾圧への反発の声を、ウラガーンがまとめ上げた。北にあるウラガーンはわずか千の兵でしかないが、民や、かつて軍人であったような者がこぞってそれに参加し、王都は内側から崩れた。


「ルゥジョーよ」

 丞相、いや、王ニコは、自らの腹心である雨の軍の指揮者を見下ろしている。

「北で、何を見た」

「国の、滅びを」

「それは、ここにいても、分かる」

 ニコというのは不思議な男である。おそらくこのとき、三十を超えるか超えぬかというくらいの歳であるが、王としてその座にあるときの彼は、異様なまでの風格を備えていた。

「なぜ、トゥルケンは滅んだ」

「ラハーンが、わが国に戦いを挑んだことが、発端です」

「それも、ここにいながらにして分かることだ」

 ニコは、静かな眼をしながら、この子飼いの腹心の頭頂部を見ている。

「ウラガーンだ」

「――はっ。ウラガーンです」

「ウラガーンが、全ての元凶だ。戦うはずではなかったトゥルケン精霊軍を焚き付け、我が国に攻め込ませた。あのとき、俺は、俺を北に釘付けにするための策だとばかり思っていた」

 しかし、違うようだな、とこの広すぎる王の間に、声を溶かした。

「いや、それも、そうか。だが、俺を北に釘付けすると同時に、こんにちの滅びのことを思い描き、トゥルケンに手を付けたのだろうな。南にも、北にも、自らの息のかかったを置いておくために」

 だとすれば、ウラガーンとはやはり、この国の歴史が始まって以来、初めての性質を持つ組織であるということになる。

「どこまでも、この国を滅ぼそうとしているらしい」

「巫女を、抱えているのも、厄介です」

 ルゥジョーは、そのために行動している。そして、雨の軍の最大の存在理由でもある。精霊の巫女アナスターシャを慕い、ウラガーンのもとにはあちこちから傭兵や流人が集まっており、今なおその数は膨れ上がっており、各地の大商人などの中でも援助を申し出ている者が増えているという。

 北のトゥルケンと南のバシュトー。そして、中央に集う人。それらは全て、精霊の巫女を核とし、龍になってナシーヤを一呑みにするのだろう。


「それが出来るのは、何故だろうな、ルゥジョー」

 ルゥジョーは、答えを求められた。無理にでも、何かを言わなければならなくなった。

「それだけ、この国に渦巻いている不平や怒りが、大きいからだと思います」

 ニコは、哄笑した。

「ルゥジョー。あちこちを歩き回り、眼が曇ったか」

「はっ」

「ウラガーンにそのような真似が出来るのは、人がいるからだ」

「――人」

「そう、人だ」

 ニコが、座から立ち上がった。傍らに直立するザンチノの眼が、それを追った。

「人がおらねば、いかに怨嗟の声を上げようとも、それはふくろうや狼の鳴き声と変わらん。人なのだ。人が、その声を、目に見え、手で触れられるものに、変えるのだ」

 この王の間の石壁や天井が、ニコの声を響かせ、べつのもののように変換し、ルゥジョーの耳を包んだ。

「北で、お前が見たもの。兵を指揮するウラガーンの将。ルスランと言ったか。それに、トゥルケンの戦乙女ラーレ。ほかには?」

 人。今ニコが挙げた名は、この王都にいながらにして聞き知ることが出来る名。しかし、ルゥジョーにしか見えぬ者どもがいる。それこそが、ある意味での、ウラガーンの本質。

「――イリヤ。ジーン」

 ウラガーンの諜報部隊。この頃になると、ナシーヤ側でも、その名を特定していたふしがある。

「ほう」

 ニコの眼の色が、少し変わった。

「あの者らが、トゥルケンの民や、弾圧により地位を失った軍部の者を焚き付け、そのために、トゥルケンは一気に覆りました」

「なるほど。奴らのやり口は、いつも同じ、というわけだ」


 ウラガーンは、人の心というものを知っているらしい。

 まず、それが依る核を設ける。それはアナスターシャであり、北においては馬上の聖女などと呼ばれていたラーレ。そこに、形にならぬ声が集まるように。極限まで高められた密度の中で、人の心の内にある漠然としたものは、急激に純度を高め、爆発的な燃焼を見せるのだ。

 正直、ニコは、ルスランなる将がどれほどの武勇を持っていようとも、あるいはザハールなどという庸兵あがりの将がいかに人知を超えた武を持っていようとも、それが力である限り、いくらでも対応出来ると思っている。ニコが注意を払っているのは、その武の発動ではない。その武の発動を可能にすることが出来るだ。


「病になったとき、人は薬を用いるな」

 ルゥジョーも、ザンチノも、眼を上げた。

「薬にも、色々ある。熱を下げるもの。下した腹を治めるもの」

「はっ」

「だが、病そのものを殺すような薬は、無い。身体の中で、病が暴れられぬようになるような薬があれば、人は病に怯えて暮らさずとも良くなるのにな」

 ルゥジョーは、背中が粟立つのを感じた。

 それを、自分にしろ、とこの主君は言っているのだ。

「分かるな、ルゥジョー。病なのだ。痛みを和らげる薬や、熱を下げるだけの薬では、病そのものは癒えぬのだ」

 病が、身体で暴れることが出来なくなる、薬。

「武は、どうでもよい。それを削ぐに越したことはないがな。だが、お前には、お前にしか見えぬものを見、お前にしか殺せぬ敵を、殺してもらいたい」

 ルゥジョーは拝跪し、退がった。


「厄介なことに、なってきましたな」

 ザンチノが、はじめて言葉を発した。

「今に、始まったことではないさ」

「王となられ、はじめの仕事が、このようなことであるとは」

「まだ、正式に王となったわけではない。アナスターシャを取り戻し、ウラガーンを潰したのち、俺は自らが王であると宣言するつもりだ」

「若だけが、この国を救うことが出来るのです」

 そうしみじみと言う老いた腹心に、ニコは笑いかけた。

「俺は、いつも、考え過ぎる。それゆえ、抜くべきときに剣を抜けなかった。王となるには、それではいかん。今後、俺は、一切のためらいを捨てる」


 ザンチノは、ニコをずっと見守ってきた。彼の父の代から仕え、若い頃からたすけてきた。だから、ニコを、実の子以上の感情で見ている。無論、彼にも妻子はある。しかし、それはほとんど忘れ去られたようになっており、彼はひたすらニコに熱中し続けていた。

「心せよ、ザンチノ」

「はっ」

「俺は、この国の全ての人に安寧をもたらし、導く。そのため、悪にでも龍にでもなる。一切の妥協はせぬ。優しさも、要らぬ。どのような手段でも用いる。俺の全てを投げ打ち、龍に喰わせてでも、俺は、それをする」

「はっ」

 ザンチノは、膝をつき、従う意思を改めて示した。その肩に手を置き、ニコは、微笑んだ。

「俺が何をしようとしているのか、お前が知ってくれている。今は、それだけで十分なのだ」

 ザンチノの眼が、熱くなる。

「出来れば、アナスターシャも。それに、ルゥジョーも。彼らの定めは、彼らには酷すぎる。彼らのような者ですら、龍とならねば生きられぬ。そのような世は、もう終わりにしよう」

 熱さが、滴となって、石の床に墜ちた。

「俺は、アナスターシャを取り戻し、妻とする。子が出来れば、ルゥジョーに、かつてのお前のように、その面倒を見させるつもりだ」

 だが、それを望む前に、しなければならぬことがあり過ぎる。アナスターシャは、自らの意思で龍となったのか。それを追うはずのルゥジョーは、何故すぐにでも彼女を連れ戻さず、あちこちを渡り歩いているのか。


 ウラガーンとは、一体何なのか。

 ルゥジョーの手前、全てを見透かしたようなことを言ったが、ニコには、分からない。何故、抗うのか。何故、戦うのか。

 人の依り代にならんとするならば、国家こそが、そうであるべきなのだ。今から、ニコは、この国家そのものを、そのように作り変えてゆこうとしているのだ。それを、何故阻むのか。

 もしかしたら、はじめのところから、見ているものが違うのかもしれぬ。


 いや、あるいは、同じものを見ながら、別の場所から見ているのか。それがゆえ、彼らは抗うのか。

 分からぬ。しかし、ニコのこうとする道を阻むならば、踏み越えるまで。足で踏めるほど小さなものではないなら、そう出来るよう、砕くまで。

 一切の妥協もなく。

 血で血を洗うことになろうとも。

 必ず、それをせねばならない。

 あの病は、身体の中に飼うには、暴れすぎる。だから、ふつうの薬などでは、意味がないのだ。


 蛇を得ようとするなら、まずその頭を潰せ、という諺を思い出した。

 それが龍の場合、いきなり頭を潰すというわけにはいかない。サヴェフやヴィールヒというウラガーンの中枢に手を付けようとした瞬間、張り巡らされていた全てのが暴発し、取り返しの付かぬことになるやもしれぬ。

 龍には、二本の牙がある。そして、九枚の鱗があるという。まずは、鱗なのだ。それを剥がせば、龍はその力を失う。そののち、牙を折り、それから、ようやく頭を潰せるのだ。


 いや、頭を潰さず、手に入れてもよい。

 もし、サヴェフが国家の側に加担するなら、それは非常に有能な官吏となるだろう。あの狂人がそれを受け入れるとは思えぬが、一息に潰す前に、一度問うてみるのもよいかもしれぬ。拒めば、その首を刎ねればよいのだ。


 ニコは、この王の間から動くわけにはゆかぬ。

 だから、ルゥジョーがいる。

 陽の光の当たらぬ闇の中に腕を入れるという作業をする、もう一人の自分。ニコは、ルゥジョーが、そのようになることを期待している。

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