トゥルケンの滅び

 王都を目指したウラガーンを、民は支持した。

 王都と言っても、ナシーヤのそれに比べば規模は小さく、大きめの砦に毛の生えた程度のものであった。

 とは言え、本来なら、襲撃に備え城門は堅く閉ざされているはずで、まずそれを破るという作業をしなければならないはずであったが、ウラガーンの旗が近づくと、それは勝手に開かれた。

 王都の中で、ウラガーンの諜報部隊の扇動を受けた民や帝国主義派の兵などが暴動を起こし、城門を開いたものらしい。


 時の流れというのは、それ自体に加速性を持つ。一つの事柄が別の事柄を呼び、それは流れとなり、流れ自身を加速させる。だから、流れの無い静穏なときには困難であるはずのことも、ひとたび流れの中に置かれれば、あっさりと動いたりするものだ。

 それを、今、ラーレやルスランは、目撃している。

 確かに、いかにトゥルケンが小国とはいえ、一年も二年もかけて王城を囲んで攻めるには兵も時も足りぬ。だから、短期でものごとが動くような準備を整えてから彼らは事業に乗り出したわけであるが、いざ実際にそれを目撃すると、やはり驚きがある。



 いつの時点のことかは分からぬが、サヴェフが言ったとされる言葉で、有名なものがある。

「機とは、果実のようなものだ。人は、木の下で、ただ手を広げて待てばよい。そうすれば、それはひとりでに落ちてくる」

 そして、とサヴェフは言う。

「その木を選ぶのが、難しい。果たしてその実が手にすべきなものなのかどうか、半分は、賭けのようなものだ。だから、あらゆる可能性について検討し、考え抜き、自分が得るべき実を付ける木を見極める。次に、ほんの少し、その実が落ちるのを早めるには、どうすればよいのかを考える。更に、己の望む時にその果実が落ちるようにするには、どうすればよいのかを考える。そして、最後は、思い込むことだ。必ず、落ちると」

 何とも単純で、実践の難しい理屈であるが、いかにもサヴェフらしい言葉である。

 それが、今この北の地において、実現しようとしている。



「城門が、開いた」

 ラーレが、馬を進めようとする。

「いや、待て」

 ルスランが、それを制する。

「何故です、ルスラン殿。今こそ、機会」

「重装歩兵、前へ。弓、左右。騎馬は横一列」

 ルスランの野太い号令が、寒さで茶色くなった草が点々と生える王都の南の原野を揺らした。

 堂々たる布陣で、ウラガーンはその姿を王都に見せ付けた。

 その陣形を崩さず、一歩ずつ歩み寄ってゆく。城壁や櫓からの矢が届かぬぎりぎりのところで、停止。

「見せてやるのだ。我々がもたらすものが、いかに揺るぎないものであるかということを」

「動かざること山の如し、というわけですね」

 このナシーヤやトゥルケン一帯の地というのは東西の交易の中継点になっているから、彼らは物や文化以外にも、こういったも早くから輸入していた。無論その言葉が、誰が何のために発したものであるかということまで知る者は少ない。その意味だけが伝わっているというような格好であったから、ラーレはこの話おいて、この有名な文句を口にした。


 城門は、開かれたまま。

 城壁の上には多くのトゥルケン兵が出ており、原野に布陣するウラガーンに向けて矢を放ったり、罵声を浴びせたりしている。

 ウラガーンは、待っている。

 その兵が、城門の外に飛び出してくるのを。

 軍師ペトロからもたらされた策は、必ずトゥルケン王都を守る兵を、原野に向けて追い立てる。


 そのまま、夜が来た。

 それでも、千のウラガーンは動かない。ただ、その場にあかあかと火を焚いて、自らの存在を誇示し続けている。

 城内では民が兵に逆らったりして揉め事が起きているのか、夜が更けても騒ぎの声が漏れ聴こえてきた。

 そのまま、朝を迎えた。

 一睡もせぬまま、ウラガーンは同じ場所にあった。



 彼らが、待っているもの。

 それは、夜の間に、既に果たされていた。

 ウラガーンとは凄まじい力を秘めた集団であるが、同時に正規の軍ではないだけに、兵数が少ない。ゆえに、彼らは力押しが出来ぬことを別のことで補おうとしてきた。例えばベアトリーシャの工兵などがそうであろうし、ナシーヤにおいてあまり発達の見られていない兵器の類の開発などもそうである。

 そして、諜報部隊。それはナシーヤと同じくらいの規模を持っており、正規の構成員でない者まで合わせれば、どれくらいの人数がウラガーンに加担しているのか分からぬほどである。

 彼らは、国の中に渦巻く内なる声と声を繋ぐことで、それを得た。そして、それがルスランやラーレの進軍を助け、今王都の前で彼らが待つものをも現実にする。


 それを担うのは、イリヤ。

 力押しが出来ぬなら、こういう方法が最も効果的である。ナシーヤの諺にある、

「蛇を得ようとするならば、まずその頭を潰せ」

 という通りの行動を取るために。


 その千の兵が火を焚き、微動だにせず布陣している同じ夜、イリヤは王都の中を駆けていた。大人数であれば、かえって身動きがし辛くなる。だから、五名のみを引き連れ、外のルスランやラーレが待っているものを目指した。


 城門を開いたのは、イリヤとジーンの隊である。それが扇動した民も、五百余りが参加している。民と、駆け付けた守兵との間で、閉じろ、閉じぬの押し問答となり、小競り合いにもなった。そうすると、はじめ成り行きを見守るのみであった別の民も集まってきて、収集のつかない騒ぎになった。

 守兵は、次々に集まってくる民に手を焼いた。下手に殺せば、それは鎮圧ではなく虐殺である。ただでさえ弾圧により王家の声望が失墜している今、そのようなことをすれば、この王都の騒動を発端にしてトゥルケンは滅ぶだろう。


 イリヤは、南の門の方で大騒ぎが続いている間に、北を目指している。

 夜更けのことであり、なおかつ民も兵も皆南門に集まってしまっているから、街路に人影はなく、人家の明かりもまばらであった。

 木造の建築物の多い中、煉瓦と石で造られたもの。それが、王城であった。やはり、街の大きさに比例して、ナシーヤのものほど巨大ではない。

 人の背丈の二倍ほどの内壁の通路を塞ぐ門の周囲には、さすがに守兵がいる。

 その誰にも接近を勘付かせることなく、イリヤ達は忍び寄る。

 音もなく、守兵どもが転がる。

 門をゆっくりと開き、その隙間から吹く冷たい風に少し眼を細め、内壁の中へ。人の気配はある。しかし、数はそれほど多くない。

 一気に、やる。そう、闇に溶けるような声で、イリヤは自らが引き連れる者に言った。皆、闇の中で頷く気配を立てた。


 明かりの漏れている主城。その裏口に回る。騒ぎを受け、兵や使用人などが眠らずに警戒を敷いているらしい。

 発見は、免れぬかもしれぬ。だが、急がねばならない。

 裏口の扉の鍵を壊し、屋内へ。

 屋内のあちこちには火が焚かれていて、外とはうって変わって暖かく、明るい。

 ひとつ通り過ぎる度に、それを消してゆく。

 イリヤ達の姿を見た城の者は、悉くその血を石の床に撒いた。

「何者だ!」

 守兵。十人ほどの集団。非常事態を受け、城内を見回っていたものらしい。

 イリヤの連れる一人が、それに当たる。他の者は、それを見捨て、先へ。


 目的は、トゥルケンの王を殺すこと。全員が生還することではない。イリヤがこの五人を選んだ理由は、隊の中で特別腕利きであるからではない。無論、腕は立つし、身のこなしも軽い。だが、それは、イリヤの隊の者なら、全員がそういう風に訓練を受けている。

 この五人は、隊の中でも、ひときわ臆病であった。

 そういう者の方が、このような任務には向いているとイリヤは思っているのかもしれない。

 臆病とは、危険から身を遠ざけようとすることある。その心の働きが特別に強いということは敵に発見されにくく、相手への情よりも自らの身の安全のことを第一に考えることが出来る。だから、守兵に発見されても、全員がそれに当たった一人を見捨て、目的を果たすために先を急げるのだ。


 別の者が、また別の敵に当たった。剣と剣が触れ合う音が、暗闇を払う火に揺れた。おそらく、先ほど十人の敵に当たった者も、この者も、生きて帰ることは出来ないだろう。

 王城の中に忍び込み、王を殺す。ナシーヤにおいて、彼らは既にそれをしている。しかし、あのときは、王都は厳戒態勢でも何でもなく、誰もが寝静まった夜のことであったのだ。

 いかにトゥルケンの王城の規模がナシーヤの半分にも満たぬといっても、城内に兵が密集して詰めていたのでは、発見されて当たり前である。

 ナシーヤの王城に忍び込んだときとは、違う。あのときは、一切の証拠を残さず立ち去る必要があった。だから、誰一人として死ぬことは許されなかった。だが、今回選んだ五人は、前提で、選んだ者だ。



「お前、あとお前。それに、お前」

 そんな風に、イリヤはこの五人を指名した。

「お前達、死ねるか」

 そう問うた。誰もが、首を縦に振った。

「そうか。死ぬかもしれぬ。はじめに、それだけ言っておく」

 それから、作戦についての説明を始めた。イリヤ自身も、死ぬかもしれぬと思っている。だが、イリヤは、不思議な気持ちであった。自ら剣を振るい、陽の当たらぬところで敵を葬っているうち、死というものが、とても近い場所にあるような気がしていた。自分が死ぬというのがどういうことなのか、初めから彼は分かっていなかったし、この時点で、より分からぬようになっている。

 ただ、考えないことはない。たとえば、自分が死んだ後、ベアトリーシャがどのような顔をするのか、というようなことを。きっと、表向きには、悲しむ素振りも見せず、せいせいした、くらい言ってのけるのだろう。そして、また誰もおらぬところで、誰も見ることのない涙を流すのだろう。

 彼女の涙を見ることが出来るのは、イリヤだけであった。だから生きなければ、とは別に思わない。ただ、そのことが頭をよぎるのみであった。

 段々、も掴んできた。一人屠る度に、彼の腕は確かなものになっていった。より少ない動作で、確実に標的を仕留めるには。血を流さず、一撃で殺すには。こちらに気付いていない場合。あるいは、気付いてしまった場合。どこをどう斬れば、声を立てないのか。どこをどう斬れば、命を奪わず、動きだけを止められるのか。

 そういうことが、分かってきた。



 それを、実行した。

 イリヤの眼前に、敵。

 兵ではない。服装から、王の血に連なる者なのだろうと思った。騒ぎを聞き付け、なにごとかと様子を見に来たのかもしれない。

「――だれか」

 その声が上がりかけたとき、イリヤの片刃の剣が、その者の喉を貫いた。

 薄い色の瞳に、自分自身が映っているのを見た。それは、その者の手から落ちた松明の火に照らされながらなお、暗闇であった。

 黒い髪。このために、理不尽に虐げられてきた。まともな職を得ることも出来ず、誰かが捨てたものを拾って食うしかなかった。ナシーヤ人の中で黒髪とは少数と言うには多すぎるが、ベアトリーシャ然り、往々にして何かしらの差別を受けていた。

 それが、自らの存在を誇示するように真っ黒に染め上げられた外套を纏い、剣を伸ばしている。その剣が、高貴な衣装を身に着けた金色の髪の者の喉に入っている。

 薄い色の眼から、光が消えた。それでも、なお暗闇そのもののようになったイリヤは、そこにいた。

 どれだけ自らの存在を誇示しようとも。

 どれだけ、色を重ねようとも。

 黒は、一層その黒を深くするばかりであった。

 足元に転がったその者は、まだ二十に満たぬ年頃の、女であった。

 彼女が持つものを、得るはずであったものを、その命を、イリヤは奪った。


 たとえばサヴェフやザハールのように、何のために、という明確な目的意識は、イリヤには無い。彼にある行動原理は、ただ一つ。

「自分にしか出来ないことを、する」

 それは、かつて、彼のが、彼に説いた教えである。それに、彼は従い続けている。


 そのまま、王の居室へ。

 王は、軍装を身に纏い、座していた。

 部屋の外で、僅かな闘争の気配。そして、断末魔。

 乱暴に開かれた扉から乱れ入る、黒い影。言葉も無く、剣を構え、床を蹴った。

「無くならぬものだな」

 その王が、イリヤ達のことが見えていないかのように、嘆息した。イリヤは、黒い外套のフードの下で、眉をひそめた。

「戦いというものは。どうやっても、無くならぬ」

 王は、嘆いているようだった。

「戦いをする者は、戦いを呼ぶ。それを滅ぼすには、戦うしかない。そしてそれは、また戦いを呼ぶ」

 イリヤには、王の言うことに興味などない。ただ黙って、剣を構え直した。

「戦いをする者を、この国から無くそうと思った。だが、戦わなかった者が、今度は戦うようになった。難しいものだ」

「民の怒り。どうやら、国を滅ぼすのは、そういうものらしいぞ」

 イリヤが、珍しく、声を発した。何か思うところがあったのかもしれない。

「そうなのだろうな。お前は、ウラガーンか」

 答えない。それが、答えである。

「ウラガーンとは、一体、何なのだ。突如としてナシーヤに現れたかと思えば、この国に手を付けて。この国は、帝国主義派と保守派に別れ、互いに反目し合っていたが、もう戦わぬと決めていた。何故、お前達はラハーンを焚き付けた。そして、何故、今またこの国に戦いを強いるのだ」

 それをイリヤに問うても、無意味である。たとえばここに居るのがサヴェフや、あるいはヴィールヒなどであったら、王との会話ももう少し違ったものになっていたかもしれない。


 イリヤが王に対して発することの出来る言葉は、もう、あと僅かなものしか残ってない。

 それを、吐いた。

「――何故、お前が死ぬか、分かるか」

「分からぬ。人とは、分からぬものだ。人の歴史が始まって以来、人が人を治めた試しがないのだ」

 それゆえ、戦いは生まれる。いつ生まれたのか誰も知らぬまま、気付けば自らのすぐ隣で、当たり前のような顔をして居座っている。それゆえ、この王は、死ぬ。

「お前が死ぬ理由は、お前が、知っている」

 イリヤの片刃の剣が翻り、王の首を飛ばした。



 その首を持ち、また城外へ。そして、騒ぎの起きている城門へと持ち込まなければならない。

 首とは、重い。それをぶら提げるイリヤを守るため、一人が死んだ。

 屋外に出たところで五十ほどの兵に囲まれ、そこから脱するため、イリヤともう一人が奮戦した。文字通り、死にもの狂いである。

 イリヤは、内壁から脱出することに成功した。あとは、城門へと急ぐのみである。

 背後の内壁。その向こうでは、五十の兵と、自らが連れた部下の最後の一人が、折り重なって死んでいる。

 全身、傷だらけであるが、死ぬほどのものではない。

 倒した敵の血なのか、王の首から噴き上がった血なのか、自らの肌から流れ出る血なのか分からぬ滴が、彼の駆けた痕を示すように、点々と続いている。

 それは恐らく紅い色をしているはずであるが、夜の闇の中では黒かった。

 それをたっぷりと吸って重くなっているイリヤの外套も、それがこびりついてべとべととした艶を放っているであろう黒髪も、本来ならば紅く染められていなければならない。

 だが、どちらも、黒だった。

 血で塗り潰すことが出来ぬ、黒だった。

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