老勇と龍

「全く。何ということをしてくれたのだ」

 ロッシは、手傷を受けて戻ってきたザンチノに向かって、声を荒げた。

「まさか、このようなことが——」

 ザンチノが、小さく呟いた。

「あれほど、待てと言ったにも関わらず、お前はその命を破り、勝手に攻めた。そして、騎馬隊に、僅かでも傷を付けた。この責は、大きいぞ」

 たった、二騎。たった二騎の敵に、ナシーヤ最強の王家の軍の騎馬隊が、損害を被ったのだ。

 鉄棒を振り回す栗毛の馬の将に二十、ナシーヤ人とおぼしき白馬の男に、五十は討たれたか。三千の軍からすればその損害はごく軽いが、相手は二騎だったのである。


 そのまま騎馬隊が突き破られそうになったため、ザンチノは即座に退却を命じた。味方を援護するため斬られた斧の柄をを捨てて剣を抜き、白馬に追い縋り、その足を止めた。

 白馬の男の背を捉えたと思ったとき、いきなり槍の石突きが襲ってきた。白馬の男がザンチノの放つ殺気に応じ、無意識に槍を引き、背後に繰り出したものらしい。それを咄嗟に避けたが避けきれず、ザンチノは兜を飛ばした。

じじいにしては、よく動く」

 白馬の男は振り返ってそう言い捨て、眼を細めると、もと来た方へ去って行った。


「申し開きのしようもありません」

「どうするのだ」

「自刎致します」

「それは、王都に戻ってからだ。お前は軍議にかけ、裁く」

「はっ」

「それより、どうするのだ」

 あり得ぬほどの力を持った者が、二人いる。はじめ、その侵攻の鮮やかなことから、南の民に軍略を授けた者がいるのかとロッシは思っていたが、違うらしい。

 あの騎馬の二騎があれば、おそらく、砦の二つや三つくらいなら、簡単に陥ちるだろう。

 そういう敵の性質が分かった今、どう攻めるのか、ということを問うている。

「まず、歩兵を繰り出し、砦を囲みましょう。門が破れ次第、今一度騎馬隊を繰り出し、援護をさせつつ、一息に」

 無難である。この世のものと思えぬような相手を前に、このような策が通じるものか、どうか。

 歩兵で取り囲んでいるところに、またあの二騎が飛び出してくれば、損害を被るのではないか、という懸念もある。


 ロッシは、それを率いてみて、はじめて思った。王家の軍とは、不自由であると。

 王家の軍は軍組織でありながら、国家の力の象徴のような面もある。返して言えば、それが常勝不敗であるからこそ、各地の候は王家に従う。

 それが負けた、あるいは南方の民族の僅かな兵ごときに手こずった、というような評判が広まれば、ロッシの足元は簡単に崩れ去ってしまう。従って、その戦いに、一点のきずも許されぬ。

 いや、今回に限って言えば、ただ攻めるだけでよいはずであった。あり得ぬことが、起きたというだけのことである。


 ザンチノもまた、沈痛な表情をしている。彼は、ロッシなど屁とも思っていない。だから命令違反をしたわけであるが、それはそれとして、たった二騎の騎馬に対し、退却を命じるしかなかった己を恥じているのだ。

 ニコがいれば。彼は、心の底からそう思ったことであろう。


「あれを見ろ」

 兵が、声を上げた。

 ザンチノとロッシが丘に設置した本陣の見晴台から見ると、原野に、人の群れがある。

 土煙の上がり方から見て、恐らく、騎馬隊。その数、千ほどとザンチノは読み取った。

 バシュトー全軍。どういうわけか、せっかく拠った要所の砦を捨て、打って出てきたものらしい。

 彼らにその行動を取らせることが出来る条件があるとすれば、一つしかない。

「北だ!歩兵三千、騎馬二千、北に向け、鱗の陣」

 直感的に、そう指示を下した。

 ウラガーン本隊が、背後から来ている。それを警戒し、斥候は北にも数多く放っている。しかし、誰一人として戻って来てはいないのだ。ウラガーン本隊が、ここに足止めされている王家の軍の背後を突きに来ていると見ていい。前の騎馬隊との、挟撃という形になる。


 鱗の陣とは、百人ほどを一塊とし、それを段違いになるように配置する陣形のことで、その並び方が魚の鱗のようであることからそう呼ばれている。

 ひとつの塊に敵が当たれば、その左右の塊からの攻撃を受けなければならないという、防御に適した陣形である。

 まず北からの敵を受け止め、その間に南から突進してくるバシュトー騎馬隊を潰す。そういう腹らしい。


 南からのバシュトー騎馬隊が、先に王家の軍にぶつかった。その勢いは凄まじいが、丘を駆け上がりながらの突撃であるから、すぐに勢いは死に、引き返して行った。その背に矢を射かけたが、矢を放った瞬間に花が開くようにして散らばる騎馬隊に損害を与えることは出来なかった。

 ぽつりと、白馬が見えた。ザンチノの大斧ヴァラシュカを斬った者であろう。


 北からのウラガーンも、丘を縫うようにして迫っている。

 それが王家の軍の背後に至るまで、バシュトーは南からひたすら攻め続けるつもりなのだろう。

 北から迫るウラガーンにも、矢を射掛けた。南のバシュトーは開くようにして回避したのに対し、ウラガーンはむしろ密集して一匹の獣のようになることで矢を避けた。

 騎馬を疾駆させながら密集するというのは、なかなか出来ることではない。やはり、相当な練度を持っているものらしい。


 北か、南か。自分はどちらに当たるべきなのか、ザンチノは一瞬考えた。

 北のウラガーンには、鱗の陣で当たっている。だから、それほど大きな損害を被ることはないだろう。

 各個撃破。

 力を、南に集中する。

 数は少なくとも、信じられぬほどの武を持つあの白馬の男と栗毛の馬の男を、討つ。

「突撃。逆落としに攻めろ」

 ザンチノがそう怒号を響かせ、騎馬隊を駆け下りさせた。

 左右の端から順に、鳥が羽を広げるようにして駆け下り、ザンチノは一番最後、鳥でいうところの胴体の部分で駆けた。

 千のバシュトーを、その翼で包み込むようにして討とうという陣形である。

 翼を目一杯広げた巨大な鳥が、丘を駆け下りている。

 ちょうどバシュトー騎馬隊が馬を反転させ、また丘を登ろうとしているところであった。

 包める。

 討てる。

 四方から包んでしまえば、千騎のバシュトーなど、瞬き一つの間も保たぬ。


 丘の上から、異様な騒ぎが聴こえてきた。

 ザンチノが振り返ると、丘の頂上で整列しているはずの歩兵が、乱れていた。

 だからといって、馬を止めるわけにはゆかない。

 背後で何が起きているのか分からぬまま、突き進んだ。


 鳥の翼が、閉じてゆく。

 その中心に、バシュトーの騎馬隊。

 閉じ切った。

 ごく僅かな抵抗の後、バシュトー騎馬隊はことごとくその屍を晒さなければならない。

 だが、バシュトー騎馬隊は、その包囲の一点を突き破り、砦の方へ駆け出した。

 百ほど数を削ったらしいが、あの二騎は無事らしい。

 そこではじめて、ザンチノは背後の本陣で何が起きているのかを見た。


 また、あり得ぬことが起きていた。

 丘の上で、陽光を跳ね返しているのは、漆黒の軍装。馬までもが黒い。

 ウラガーンの騎馬隊。

 何重にも敷いた鱗が、一撃で破られたらしい。

 歩兵が、混乱している。

 助けなければ。しかし、戻れば、バシュトーが馬を返し、背後を突いてくる。

 かなり危ない状況であった。

「ここで、踏み留まれ。バシュトーを、本陣に近付けるな」

 そう指揮官の一人に言い含め、ザンチノは単騎で馬を返し、丘を駆け上がった。


 本陣にしている場所では、ウラガーンの騎馬隊が暴れ狂っている。

 鱗の陣の一点を破り、百ほどの一隊が本陣を襲っているらしい。

 破られた一点以外の鱗は無事であるが、北からの圧力を支えるのに精一杯で、本陣に加勢することが出来ないでいる。


「ロッシ様!」

 ザンチノは、三百ほどの兵に守られているロッシのもとへと急いだ。あんな豚でも、討たれれば終わりなのだ。守らねばならない。

 ウラガーンの騎馬隊は、そこをまっしぐらに目指している。

 歩兵や騎馬が入り乱れてそれを阻もうとするが、近付いたと思ったら倒れるというような有様だった。

 何か変だと思い、ザンチノは馬をロッシの方めがけて駆けさせながら、ウラガーンを観察した。


 弓を使っている。

 それも、見たこともないような。

 腕ほどの長さの柄を持ち、横に開いた弓。柄からは取っ手のようなものが生えており、それを回すと、短い矢が連続して放たれた。

 矢が尽きると、兵は弓の上部に付いている木箱を外して捨て、馬の鞍に括り付けた同じ木箱を装着し、また撃つ。

 このような武器を、ナシーヤの者は見たことがない。


 遥か東の国で生まれ、始皇帝で有名な秦の時代にその原型が既にあり、三世紀頃の三国鼎立さんごくていりつの時代に出現した天才が改良したとされるこの兵器には、連弩れんどという名がある。

 その天才は、領土の南方の密林地帯に住む蛮族を制圧するため、樹木などの遮蔽物の多い空間でも弓の効果を発揮することが出来るよう、この兵器を改良した。早い話が、自動小銃アサルトライフルである。取っ手を回すことで爪が起き、弦に引っかかって弓を引き、更に回すことで木箱から矢を一本落として装填し、更に回せば爪が倒れ、矢が放たれるという、三世紀に生み出されたとは思えぬような武器である。

 その完成度の高さは、その開発から遥か後代、何と日清戦争のときの清朝兵の通常装備に用いられるほどであったという話があるほどである。


 それを、このとき、ウラガーンは用いていたと史記には記されている。

 ユジノヤルスクの攻城戦で用いた投石機同様、ベアトリーシャが開発したものであろう。こういった精密な工作を行うことが出来る部隊を持っていたというのも、ウラガーンの強みであろう。



 普通の騎馬の突撃なら止められたであろう鱗の陣は、これによって破られた。

 そして、本陣の兵をも次々と倒してゆく。

 だが、矢とは消耗するものである。ザンチノがロッシを取り囲む集団の中に突き入ったとき、ウラガーンの矢が切れた。

 勢いが死んだ。押し返すなら、今である。

 ロッシのすぐ側を、通り過ぎた。どのような表情をしていたのかは、分からない。

 王家の軍の騎馬と歩兵が、矢が尽きて退却を始めるウラガーンに追い縋った。


 漆黒の軍装。あれが、将であろう。

 王家の軍にもたらされている情報によれば、騎馬隊を率いるのは、かつてグロードゥカの戦士であったザハールという男。

 それが自ら殿しんがりとなり、自軍の撤退を助けている。

 ザハールの働きは、凄まじいものであった。彼には、連弩など要らぬ。

 戦場の経験が長いザンチノがはっとするほど、その戦いぶりは美しかった。駆ける馬の上で右に左に長剣を振るい、王家の軍の兵を屠り、この丘を地で染めている。

「待て——」

 ザンチノが、その背に取り付こうとした。

 それよりも早く、ザハールはウラガーンの兵の中に潜り込んだ。そのまま先頭まで駆け抜け、また鱗を内側から破るつもりなのだろう。


 取り逃がした。

 ロッシを討たれるという最悪の事態だけは、免れたが。

 南は、と思い、ザンチノはまたロッシの側を駆け抜け、バシュトーの抑えに回った騎馬隊を見下ろした。

 今更のように、白馬の男に兜を飛ばされたときに出来た額の傷が痛んだ。

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