北へ墜ちる星

「それで、名高きウラガーンのヴィールヒが、このバシュトーに何の用だ」

 歓迎の準備をして、日が暮れてから改めてサンラットはヴィールヒを自らの幔幕に招き入れた。国の王と言っても、その暮らしは一介の民と変わらない。

 家畜の糞を乾かし、固めて作った器に注がれた酒はナシーヤのものよりも強く、それが微妙に喉を刺す。慣れぬうちはそう感じるが、慣れてしまえばになる。そうサンラットは言った。ヴィールヒは何も言わずにそれを飲み干し、もう一杯求めた。

「ほう。この酒を飲んでも、何も感じぬか」

「感じぬことはない。だが、感じたところで、どうということはない」

 ヴィールヒは、興なげに二杯目を干し、器を置いた。

「お前を、見に来た」

 拍子が遅れたが、自らがここに至った理由を明かした。

「俺を?ウラガーンのヴィールヒ直々に、か」

「俺がここにあるのが、それほどおかしいか」

「おかしくはない。だが、あのウラガーンを率いるヴィールヒが、わざわざ一人で俺を訪ねてくるというのが、不思議なだけだ」

 確かに、サンラットにしてみれば、そうであろう。


 サンラットはウラガーンの援助を受け、王となった。

 ウラガーンは、ナシーヤで信仰の対象となっている精霊の巫女すらもそれを助け、その兵を率いるザハールやルスランといった将の武はまさに神武。その頂点にあるはずのヴィールヒが、どうしてこのような遠く離れた南の地にやって来たのか、不思議であろう。


「この国を、どう思う」

 サンラットは、単刀直入に問うた。

「さあ。別に、どうとも思わん」

 これまで触れ合ってきたウラガーンの誰とも、ヴィールヒは似ていなかった。彼らの誰もが、志を説いた。国とは、人から奪うためのものではなく、人に与えるためにあるべきなのだ、と。だから、サンラットは、この生まれたばかりの国がそのようなものであるように見えるかどうか、ヴィールヒに問うたのだ。

 ヴィールヒは、どうとも思わん、と答えた。

 ヴィールヒはもっと高い志を持っていて、その眼鏡に適わぬという意味なのか、ほんとうに興味がないのか、分からない。

お前たちウラガーンの志を受け継ぐに値するか否か、確かめにきたのではないのか」

 ちょっと拍子抜けしたように、サンラットは言った。まったく、このヴィールヒという男は、人の拍子を崩してばかりの男である。


「お前は、俺を歓迎した。それは、何故か」

 意味のない沈黙ののち、ヴィールヒはぽつりと言った。

「それは、お前が、ウラガーンのヴィールヒと名乗ったからだ」

「では、もし、俺がお前が国と呼ぶこの雛鳥のような集団の者をことごとく殺せば、お前はどうする」

 言われて、サンラットは、穴の開いたように眼を開き、ヴィールヒを見た。

 この南の地域にずっと古くから言い伝えられている神に、それは似ていると思った。

 その神は、雷電を纏い、地上の全てを破壊し尽くす、黒き風。それを、太陽の神が抑えているから、この南の地には雨が降らぬのだ。そういう神に、似ていると思った。

「それでも、お前は、俺を受け入れるか」

 サンラットは、答えることが出来ない。

「敵とは、そのようなものだ」

 そして、とこの黒き風の神は、続けた。

「国とは、そのようなものだ」

ナシーヤのことを、言っているのか」

「そうだ。そして、この雛鳥のことをも、俺は言っている」

俺たちの国バシュトーも、ナシーヤのようになる、と」

 ヴィールヒは、顔に影を生じさせた。少ししてから、笑ったのだということが分かった。

「俺を、からかっているのか」

「いいや。未だ来たらぬことを言っても、無意味だと思っただけだ」

 僅かな棘が、サンラットの心に芽生えた。ヴィールヒが嫌いなのではない。少し違うが、畏れたのだ。

 これほど得体のしれぬ男を、見たことがない。もしかすると、これは、ほんとうに人ではないのかもしれぬ、とすら思った。


「北で、は、全てを奪おうとしている」

 ヴィールヒが、器を差し出してきた。サンラットは、家畜の胃で作った袋から、酒を注いでやった。

「お前達の言う、与えるだけの国。それが、奪わずして、得られるものかどうか」

 確かに、ザハール率いるウラガーンの軍は、従う部族は寛容にバシュトーに組み込み、従わぬ部族は血の一滴まで残らぬほどに殺しつくした。今、サンラットが拠る大河に潤されたサラマンダルの地も、そこに定住していた最大の部族を殺し尽くして得たものである。

「北でしていることも、お前がここに至った道も、変わりはないのだ」

 道、とヴィールヒは言った。道ならば、さらにこの先に続いてゆくということではないか。

「その先に、何があるのだ」

 南の民は、その先にあるものを、知らない。

 ナシーヤで生まれたヴィールヒも、知らない。

 その道筋を曲げることを、今しているからだ。

「知らん。確かめたくば、今一度、北へ」


 三杯目の酒を、飲み干した。

「お前は、北で戦い、その無為な行いに嫌気がさし、ここに戻ってきたのだそうだな」

「その通りだ。北の戦いは、ひどいものであった。誰が、何のために戦うのか、誰も知らない。それなのに、眼の前の敵は、自分の命を奪おうとしてくる。ただ、それから身を守るため、敵を殺す。そんな戦いだった」

「そして、お前は、そこから逃げた」

 その言葉が、サンラットの戦士の誇りを、微妙に傷付けた。

「逃げ、この南に帰り、隣の部族から食い物を奪うだけの戦いを続け、そして俺たちウラガーンの思想に感化され、また奪うことを始めた。その先にあるのが、与えるための国だったとしても。今度は、お前は、そこからも眼を背け、逃げ出すのだろうか」

「そのようなことは」

「そう。未だ来たらぬことを、俺は言っている。気にするな」

 それきり、ヴィールヒは立ち上がった。

 立ち上がり、幔幕を閉ざす布を開いた。

 その向こうには、夜があった。

 乾燥しているためか、ナシーヤよりも星の数が多い。

 ひとつ、それが北へ向かって流れた。

「また、星が墜ちた」

 ヴィールヒの背が、そう言った。

 その頭上には、星の河があった。

「あれが全て地に墜ちれば、どうなるのだろうか」と一人呟き、幔幕を出ていった。

「ここは、なかなかに居心地が良い。もう少し、留まるとしよう」

 とも。

 この夜の中、どこへ行こうというのか。サンラットは、開け放たれた布の向こうに消えてゆくヴィールヒの背を、ただ見つめているしかなかった。

 その姿が消えても、なお星は墜ち続けていた。



 北での戦い。

 はじめ、各地の候が、長く争うものであった。それは、領土というものにナシーヤ人がこだわりを持つためであろう。ナシーヤの地は豊かであるから、領土がそのまま生産力となり、それが国の力となるためだ。南の民からすれば、土に縛られ、しがみついて生き、戦うだけの民であった。

 サンラットがかつて傭兵として北にあったときは、ナシーヤ人とはそのようなものであった。

 だが、この数年で、北の戦いというのは随分様変わりしたらしい。その変化をもたらしたのは、紛れもなく、ウラガーン。いや、ウラガーンという組織自体、その乱れが生んだもの。ゆえに、何故変化が起きたのか、誰にも言い当てることは出来ぬ。

 ただ、サンラットは知っていた。ザハールの、あの苛烈な戦ぶりを。

「殺し尽くせ」

 彼は、自らの兵に、そう命じた。そうして、バシュトーに従わぬ部族の者を、自ら進んで殺し、その血を浴びた。そして、彼は、とても悲しそうに言った。

「俺は、俺を、最後の人間にしたいのだ。人から、何かを奪うということをする人間の」


 何のために、この国は作られた。

 サンラットは、考えた。

 何故、ウラガーンはこの地にやってきて、精霊の巫女の言葉を人々に聞かせ、従わぬものを殺し尽くし、ひとつにしようとしたのか。

 その先にあるものは、一体何なのか。

 見なければならぬもの。目を背けてはならぬもの。

 そして、見てはならぬもの。

 国とは、難しいものである。ただ、サンラットは、ヴィールヒの言葉を受けても、なお信じている。国とは、与えるために存在するべきものであると。

 そのために奪うということから、眼を背けてはならぬということも、思った。


 星が墜ちる先に、あるもの。

 あの空にある星の河が全て墜ちれば、地には流れが出来るのだろうか。そして、それは、何を押し流すのだろうか。

 分からない。

 分からないから、考えるしかなかった。

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