国を壊す
雨が降り出して少しした後、南西の城門が、開かれた。
激しい攻めに、千あった守兵はほとんど壊滅したのだ。
それを棄てることは、敵をこの首府の中に入れることを意味する。だから、主兵どもは、文字通り死にもの狂いであった。
南西から攻め寄せるウラガーンが、千という少数であったことも幸いした。この首府が起伏の多い丘陵地帯の中に開かれた盆地のような場所に築かれているとはいえ、さほど峻険な山越えなどは必要なく、ウラガーンは荷駄や騎馬を従えたままそこに至ることが出来た。
巧みにそれまでの経路にある砦などを回避しながら、彼らは誰にも知られることなく、いきなり首府の前に現れた。
もし、密かにやり過ごしてきた背後の砦などから軍が発せられれば、彼らは背後を突かれる。だから、サヴェフの隊の兵が常にそれを求める伝令兵に注意を払い、見つけ次第捕殺した。
そして、万一取り漏らしがあった場合に備え、可能な限り戦いを終え、この地域を離脱する。そういう作戦である。
今、開かれた南の門から、ラーレとサンスの兵が城内になだれ込んだ。
わずか数百の兵が、このユジノヤルスクの首府の門を破る。これまでのナシーヤの戦いの歴史において、例のないことであった。
北に、所属不明の軍二万。その報せが、守備軍を混乱に陥れた。眼前で攻めの構えを見せる軍が、北からの本軍の侵攻を秘匿するための陽動であると思わせたのだ。
そのため、南西に集まりつつあった守兵は現場から引き剥がされ、北へ向かった。
無論、北からの二万の軍など、存在しない。ジーンと彼の従える兵がこのチャーリンの守備軍斥候隊に偽装してもたらした虚報である。
そして兵の集まった北側で、火。
人が多ければ多いほど、混乱の伝播は速い。北へ備えて気を張っていたところに、突如として城内で起きた混乱に、彼らは惑った。とにもかくにも、その混乱は治めなければならない。実際、火の手は上がっているのだ。
そしてその現場に出た指揮官を、イリヤは手当たり次第に斬った。
守備軍は、得体の知れぬ恐怖に支配された。それは、焦燥を生んだ。
自分達が、一体、何と戦っているのか。そのことすら、それは守備軍に見失わせた。
その間に、ウラガーンは手薄になった南を攻め続け、遂にそれを壊滅させ、城門を開いた。
それには、ラーレの騎射の凄まじさとサンスの援護の他、ベアトリーシャの工兵が用いた兵器が効いた。
それは多大な衝撃と損害を守兵に与え、戦意を削ぎ、彼らを勝利に近付けることにおいて大きな役割を担った。単なる力攻めではなく、こういう道具をよく用いるのが、彼らの戦いの特徴でもあった。
そして、この戦い自体が、もっと大きなものを秘匿する役目を担っていた。
ヴィールヒ。軍にさきがけて、単身でチャーリンに入った。槍だけを持ち、平服のままで。
彼は、この巨大な街の街路のどこかに潜み、ただ待った。どこに潜んでいたのかについては史記がそれを記していないから、分からない。
とにかく、彼は、ただ待った。あちこちで混乱がもたらされ、それが広がってゆくのを。
そして、雨が降り出した頃、彼は姿を現した。
文字通り雷光のごとき技でもってその姿を見た者を葬り去り、彼はあろうことか主城に忍び込んだ。
忍び込んだといっても、ただ彼は歩いてそこに至り、内門をくぐり、候が居る城塔をその足でもって登ったに過ぎない。
ただ、三十ほど居た内門の警備兵は全て死んでいた。
城塔の中にも兵は多くいたが、その中でヴィールヒを見た者はいなかった。
ただ、候だけが、それを見た。
そして、死んだ。
最終的に、チャーリン守備軍は、兵が千、隊長級の者が八十五、その上の立場である指揮官級の者が二十一死に、その候すらも死んだ。
ウラガーンの損害は、僅かに二十。ラーレの騎馬隊が三、サンスの歩兵が十七という具合である。
サヴェフやペトロが戦況を遠望していた本陣にあった七百ほどの本軍は、用いることが無かった。
たったそれだけの戦力と損害で、彼らは、一万二千からなる守兵を保有するユジノヤルスクの首府チャーリンを陥落させたのである。
候を殺したまま主城に居座ったヴィールヒ。その後異変を察知し、数十にものぼる人間が城塔の最上階に足を踏み入れたが、彼と同じ床を踏んだ者は全て屍になった。
その槍グロムから血を滴らせ、屍が積み上がった室内で、彼はただ立って四角く穿たれた窓の外の雨を眺めていた。
全身に浴びた返り血を、それは洗った。しかし、全てを取り去ることは出来なかった。
サヴェフの本軍が、その後、チャーリンに入った。
堂々と、旗を立てて、進軍する。
そして、この数万の人口を保有するナシーヤ中東部きっての都市に、その存在を見せ付けた。
「我らは、大精霊の導きにより、ここに至った。北の戦いもまた、大精霊がこのナシーヤに対する怒りを表し、起こしたものである。惜しくも王家の軍によりそれは破られたが、人の子よ。果たして、それを喜ぶべきか否か」
考えろ、とサヴェフは声高に呼ばわりながら、馬を進めた。
勇敢な兵の一隊が、その行く手を遮った。
「大精霊が、お前たちのような者を、導くものか」
そう彼らは言い、武器をサヴェフに向けた。
周囲の兵がサヴェフを守ろうとするが、サヴェフはそれを制した。
「認めるか、認めぬかは、貴様ら次第だ。だが、見よ。我らは、実際に、今ここにある」
民よ、と更に声を張り上げた。
「大精霊が、我らを導いている。内なる怒りを、我らに託している。そして、それは、我らだけが特別であるということの証とはならぬ。民よ。よく見よ。己が見る者の瞳に映る己の姿を」
剣を、抜き放つ。
何の変哲もない剣である。彼は、ヴィールヒの大精霊の怒りの
それが雨の粒を弾き、このチャーリンの街路に現れた。
それを見守る人々からは、どよめきが上がった。
「それが、この国の姿だ。それを、認めるな。求めろ――」
馬腹を蹴った。
水飛沫を上げ、駆ける。
行く手を塞ぐ兵どもとの距離が、見る見る縮まってゆく。
「――自らが見る者の瞳に映る己が、笑うことを」
駆け抜けた。
行く手を塞ぐ兵は、五名あった。それらは、全て死骸になっていた。
民を包んでいたどよめきが、更に大きくなる。それが、雨が地を打つ音に重なり、混じる。
それはまるで、雨の一粒ずつが声を持つかのようであった。
サヴェフは、全身にそれを浴び、剣をかざした。
「我らは、追い、求め、戦い、示す者。それは、我らが、大精霊によって与えられたこの地に生きる命を持つがゆえ。我らは、それにのみ従う」
そのまま、ヴィールヒが居る主城に入っていった。
その守兵とも戦闘が起きたが、ラーレ、サンス、ザハールの三将が率いる兵の苛烈な攻めと、またどこからともなく現れたイリヤの隊の援護により、抵抗はすぐに止んだ。
歴史に、ウラガーンがはっきりと姿を現した。
彼らは、紛れもない反乱軍であった。
その大義は、今サヴェフが声を張り上げて語った通りである。
今のウラガーンに、このユジノヤルスクの首府は、大きすぎる。維持することは不可能である。だから、はじめから、解放することが目的であり、手に入れることは考えていなかった。
ヴィールヒは、かつて言った。
国から、国そのものを奪う、と。
このようにして、彼らは国の形を壊してゆくものなのであろう。
自らが、王権に取って代わろうなどとは、考えてはいないらしい。
ただ、この乱れを、根から絶つ。そのために不要なものを、壊してゆくのだ。
ちょうど、
だから、彼らは、文字通り、ウラガーンだった。
――龍は、奪うもの。
奪い、壊し、洗い流すもの。
そうして全てが流れたその大地にこそ、精霊は人を呼び、実りをもたらすもの。
龍は、壊すもの。
精霊のもたらすそれを苛むとき、初めて精霊は怒り、これを討たんとする。
龍と精霊は互いに争い、空の雨は雷電を含み、河はまた人の営むところを押し流す。
その連環を断ち切るは、滅びにあらず。
眠り。
互いに争い、そして龍と精霊は互いに眠る。
そうしてはじめて、河は人を富ませ、地は人を養うようになった。
ウラガーン史記 序章 第一項「神話」より抜粋
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