城を攻める

「攻め落とせ」

 ラーレの叫びが、その率いる百余りの騎馬隊に染み渡った。

 彼らは、瞬時に狂奔した。まっしぐらに丘を駆け下り、原野を突き抜け、都城の壁へ。

 遅れて、サンスの率いる歩兵二百。

 一万を超える主兵の居る城にまず向かったのは、僅か三百。

 城壁では、いよいよ精霊の軍——と、彼らは対外的に自称していた——が寄せてきたものと思い身構えたが、その手勢の少ないことを見て嗤う者もあった。

 その中には、

「いや、あなどるな。この城壁に、あれだけの数で攻め寄せる敵など、いるはずもない。奴らは、殆ど損害を出すことなくダムスクを陥としたほどの軍だ」

 となにごとかの策が埋伏されていることについての危惧を訴える者もあった。

 丘の方からは、ベアトリーシャが指揮し、組み立てさせた兵器が降りてきている。


 そのとき。

 主城の反対側すなわち北側で、騒ぎが起きた。

 何事かと南側の指揮官が人をやる前に、急報。

「申し上げます。北より、軍。その数、二万」

 そういう内容であった。

 総指揮官の命令で、すぐさま南西の守備隊のうちの多くを回した。


 残ったものは、およそ千。攻め手は守り手に比べて三倍する数の兵を要すると言われるから、守るには十分すぎる数である。

「撃て、撃て」

 とサンスが叫び、その隊が弓を放つ。

 ラーレは、自ら城壁より撃ち下ろしてくる敵の矢の的になるべく、牽制運動を繰り返している。

 その騎馬隊は一個の素早い生き物のように動き、敵の目当てを惑わせる。

 城壁の上にある者は、思ったよりも敵が手強い、と感じたことであろう。


 ラーレは、そうしながら、見ている。

 その城壁の、を。

 兵の動き。

 必ず、集団には指揮者がいる。

 その指示や命令は、波のように人の中へ伝わってゆくということをこの戦いの天才は知っている。

 それを、見ている。

 一箇所。それを見、両の剣を納め、鞍の右に結わえた弓を取る。左には、矢筒。

 馬は、激しく駆けている。その上下の振動の中、自らと、それが狙うべき一点を結んだ。

 弓を、引き絞る。

 息を止めてはならぬ。そうすれば、手が振れる。そっと、吐くのだ。

 弦鳴り。

 風を切る矢が飛び、ラーレが見据えた一点へ吸い込まれてゆく。

 城壁の上の指揮者の胸に、それはあたった。


「どう思う」

 ラーレの働きを、である。

「想像以上だ。あんたの言う通りだったな、サヴェフ」

「必ず、加わって来ると思っていた」

「そうかい。あんたの目利きには、いつも感服させられる」

 本陣にした丘の上から、サヴェフとペトロがラーレの動きを遠望している。

「討てぬものを討つ。あれは、そういう働きをするようになるかもしれんな」

「サヴェフ。あんた、あの娘に、何を期待している?」

「まだ、問うな」

 ペトロは、暗い顔をし、黙った。問いたい気持ちはあっても、それを今してはならぬような気がしたのだ。

 ラーレの騎馬隊が縦横に駆け回りながら、城壁のを次々と沈黙させてゆく。

 城壁の上の者が思うように動かぬのは、サンスの隊から雨のように矢が射掛けられて来ることにもよる。だが、それだけでは、三倍にもなる守兵を崩すことは出来ない。

 そこへ、ベアトリーシャの率いる工兵隊が、木と鉄で出来た車のようなものを曳いてゆく。


 それは、城壁からの矢の射程を遥かに離れたところに至り、停止した。

「本当に、届くんでしょうか」

 ベアトリーシャの副官が、不安げに彼女に問う。

「届く」

 ベアトリーシャは、眼前の城壁を見据えている。

「備え」

 号令。

 車に取り付けられた腕の先の、大きな籠のようなものに、丸いかめを載せた。

「放て」

 車の土台と腕とを繋ぐ綱を切ると、腕が回り、籠が勢いよく立ち上がる。その勢いでもって、甕が射出された。

 この兵器は、東西の戦史に例がある。だが、ナシーヤにおいては、前例のないものであった。ベアトリーシャは、貿易によってもたらされた書などから、この兵器を着想したのかもしれぬ。

 普通、そのような兵器が射出するのは、岩や石である。しかし、このときベアトリーシャが射出したのは、甕。

 そこが、彼女らしい。


 ラーレも、サンスも、突如として背後から城壁に向かって飛ぶそれを見上げ、眼で追った。それらは城壁にぶつかって砕けるか、その上の兵を薙ぎ倒して割れるかした。

 甕が飛んできて割れたところで、この堅牢な城壁と、そこにひしめき合う兵には、あまり効果はない。

 だが、サンスは、城壁の上で混乱が起きているのを見て取った。

 あちこちで上がる、叫び声。

 発射された甕は、中に液体が容れられていたものらしい。それを浴びた者が、皆叫び声を上げながら苦しんでいるのだ。

 はじめ、油か、とサンスもラーレも思った。だが、ただ油を浴びただけで人が苦しむというような話は聞いたことがない。

「毒の水——?」

 とラーレが見て思ったそれは、硫酸である。


 ベアトリーシャがヴァダシーチ焼ける水と呼ぶそれは、硫酸である。ナシーヤにおいては硫黄と、東の山で採れる特別な鉱石を混ぜ合わせたものを水に溶かして作る。ベアトリーシャの生まれた鉱山などには先人がたまたま発見した技術としてこのとき既に伝わっていた。

 無論、近代以降のようにそれを工業的に生成したりすることはなく、濃度も今のものに比べて遥かに低いが、人の身体や鉄の鎧を溶かすには十分すぎるほどである。

 そうなると、サンスの隊の矢が更に効果を発揮する。硫酸を浴びずに済んだ者も、混乱の中で防戦したり応射することは出来ず、見る見る城壁の上の兵は減った。



「変わった女だとは思っていたがな。まさか、あのようなものまで用いるとはな」

 サヴェフが苦笑いしながら言った。

「これは、今後も使える兵器だと思う。ベアトリーシャは、弾を替えることで、様々な効果が期待出来ると言っていた」

 ペトロが、眼下の城壁で起きている混乱を見ながら言った。本陣からその人の姿は豆粒のようにしか見えないが、明らかな動揺が走っているのが分かる。

「それで、そろそろ頃合いか」

「そのはずだ、サヴェフ」

 二人の眼は、騒ぎが起きたという城の北側へ。

 そこから、煙が上がっている。




 城外に、敵二万。こちらに向け進軍中。哨戒のための斥候として発していた者のうちの一人が、慌てふためいた様子で駆け戻り、そう告げた。しばらくして、別の者もそう告げた。立て続けにその報せはもたらされ、いよいよ間違いの無いことであるとこのチャーリン守備軍の首脳は判断し、その対応に追われた。

 それはもう、大騒ぎである。南から攻めてくるウラガーンは、囮だったのだ。どうりで、あからさまな小勢で無意味な攻めをしてくると思った。

 だが、気付くのが、早かった。

 今まさにチャーリンに向かって進軍してくる敵への備えをする時間はある。

 指揮官は、落ち着いて、対策を講じることにした。

 しかし、城塔に登っても、北の原野に見えてくるはずの敵は、いっこうに現れない。

 なにかが、おかしい。

 指揮官は、そう感じた。ひとつひとつ、考えた。

 まず、報せが誤りであった可能性。それは、まずない。敵の数については一万五千と言う者があったり二万二千と言う者があったりであるが、それは見た者が受けた印象によって増減するものであるから、いい。複数の者が、北より敵がこちらに向かって進軍しているという報せを持ち帰っており、その兵の数も、情報を統合しておおよそ信憑性があると判断できたのだ。

 南には、ウラガーン。間違いなく、北からの軍もウラガーンであるか、それに呼応する勢力であろう。

 手薄である北に、戦力を集中し、一気に破る構え。そのために、南で陽動を行う。

 ならば、北からの本体は、いとも簡単に発見され過ぎてはいないか。

 このチャーリンはなだらかな丘陵に囲まれた盆地のようになっている原野に築かれた城塞であるから、北からもし軍が攻め寄せて来たとしても、埋伏しながらそれを進軍させる経路はいくらでもある。無論、それぞれの攻め口には多少の警戒を強いているが、それにしてもあっさりと発見され過ぎではないだろうか。


 遥か向こうに見えるその丘陵の線には、まだ異常はない。

 ふと、気付いた。もし、その報せ自体が、ためのものであったとしたなら。

 北に、軍など存在しなかったとしたら。

 どうやって、その誤報を斥候に信じさせたのかは分からぬ。だが、遥か東の国では、藁を束ねた人形に鎧を着せ、兵に見せかけたというような例がいくらでもある。

 何か、ある。

 そう思ったとき、また騒ぎが起きた。

「火です」

 とその報せをもたらした者は言う。城内の、北側を中心とした区域のあちこちで火が上がっているというのだ。民が恐れて逃げ惑い、大変な騒ぎになっている。

 城塔から城内を振り返ると、なるほど、黒煙があちこちで上がっている。


 ナシーヤは、南部や西部においては石造りもしくは煉瓦の建造物が多い。しかしこのユジノヤルスクの建造物のほとんどは、木造である。城壁や候のいる本城こそ石や煉瓦であるが、民家や一般の建造物は、豊富な森林資源を利用した木造である。火は瞬く間に燃え広がり、混乱は更に大きくなり、兵のうちの多くを消火や、民の避難に割かなければならなくなった。


「城は、今頃、大変な騒ぎだろうな」

 サヴェフが、髭を撫でながら、他人事のように言う。陽光を嫌う癖のある彼は兜は用いず、粗末な鉄鎧だけを身につけ、外套のフードを被っていたが、風が出てきて陽が翳ったためにそれを外した。

「雨が、降る。その前に、仕上げられるか」

 そう、この作戦を立案したペトロに問うた。

「大丈夫だ。イリヤを、信じよう」

「あの男とは、古い付き合いであったな」

 ペトロは、妙な気分になった。イリヤなら、サヴェフもまだ彼がザハールを含めて四人で行動し、森の賊に入るかどうするか、などと談義をしていた頃からの付き合いである。それを、突き放したような物言いである。

 もしかすると、サヴェフは、旧知であるとか、その人間がどうであるとかいう情に左右される脆い部分を、己から切り離そうとしているのではないだろうか、と感じた。


 正しきを、行う。サヴェフは、この時代特有の士の気分を多く持つ型の男である。そして、それはあまりにも激しい。

 正しきことのためならば、悪をも行う。

 皆がその理論を口にし、実行している。しかし、それは人の内側で様々な意味になり、形を持っている。

 筆者は思う。サヴェフとは、純粋すぎるのだ。その透き通った心と、どこまでも正しきを追求する彼の志は、彼をして別の何かに生まれ変わらしめようとしているのかもしれないと。



 イリヤが、城の中で火を放ったのだろう。そして、これから、更に別のことを行う。

 そして、その後は。

「ヴィールヒが、この巨大な獣の心臓を貫き、止めを刺す」

 サヴェフは、そう呟き、先ほどまでの陽光を忘れたかのように雲を張り付けた空の下、少し笑った。

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