崩壊への付け火

 重装歩兵は、なす術もなく、馬群に飲み込まれた。人が跨っている馬が、あちこちで固まるそれを巧みに避けるようにして、馬を導いている。

 馬とは、集団で駆ける性質を持つ。それを、利用しているらしい。

 流れに耐える岩のようになっている重装歩兵団の左右を、馬群が通り過ぎている。


 それらの馬が、曳いているもの。

 馬体に取り付けられた鞍から、綱が伸びている。複数の馬から伸びるそれらの先には、車。がらがらと車輪を激しく回転させながら、凄まじい勢いで迫ってくる。

 その先には、尖った丸太。

 左右に馬群が分かれることで綱はさらに引かれ、車輪に加速を与える。その勢いのまま、重装歩兵団に丸太がぶつかった。

 いかなる矢も槍も通さぬ無敵の重装歩兵が、藁屑のように吹き飛ばされた。

 次々と襲ってくるその攻撃は、あっという間に重装歩兵団を粉砕した。


 ラーレは、辛うじて難を逃れた。

 草の上に尻餅をついたような格好で、ただ味方が蹂躙されるのを見ているしかなかった。

 回避運動を取るトゥルケンの騎馬隊もそれに巻き込まれ、この狭い原野は叫びで満ちた。

 たしかに、この原野は左右に連なる山の中にぽっかりと空いたようになっている。その口を塞ぐようにして築かれたサンカラの街を守る、最終防衛戦なのだ。王家の軍がここに依るであろうことは、誰にでも想像出来た。ゆえに、ここは強く攻め、それを破らなければならぬとトゥルケンは考えたのだ。

 まさか、これまで、じりじりと退却を続けていたのが、この地点に誘い込むためであったとは、誰も想像出来なかったであろう。現に、トゥルケン精霊軍の総指揮官であるラハーンは、ここで一気に勝負を決めると息巻いて、重装歩兵団の全てを投入していた。ラーレも、そのつもりであった。

 それが、裏目に出た。

 念願の、ナシーヤ侵攻。それを達成する決め手となるはずであった重装歩兵団は、無残に打ち砕かれ、攻めの要となるべき騎馬隊にも被害を出した。

 このときのトゥルケン軍の総勢は二千にまで膨れ上がっていたが、実にそのうちの六百が、わずかな間に死んだという。


 朝のうちは晴天であったものが、昼を前にして俄かに曇った。そして、その天が雨を降らせる頃には、戦いは終わっていた。

 ナシーヤの馬群が、その雨に姿を溶かすようにしながら、引き上げてゆく。

 散らばる兵の死骸をかき分けるようにして、ラーレは手頃な馬に跨り、本陣へと向かった。



 これが、丞相ニコの知。重装歩兵団に手が付けられぬことを悟ったニコは、すぐさまこの作戦を立案した。サンカラに人をやり、馬に曳かせる新たな兵器を作らせた。原野で彼らが待っていたのは、サンカラ守備軍の兵などではない。新兵器の完成と、それがこの戦場に運ばれてくることであったのだ。

 サンカラを目前にして、トゥルケンは大きく後退を余儀なくされた。

 このとき、四八六年の夏。ウラガーンがトゥルケンに鉄を運び始めてから、一年余りが経っている。



 トゥルケン国内。

 絶えず、ウラガーンから鉄は運び込まれている。例によって、麦の粉の中に鉄の石を砕いたものを混ぜるというやり方である。

 手を結ぶといっても、同盟ではない。南での建国もあり、中央で得た要所の維持もある。ウラガーンには、トゥルケンと手を結び、なにごとかをするような余力は無い。だから、これは、供与であり、援助であった。

 トゥルケンに鉄を運び、軍の力とする。合わせて運んだ麦の粉は、兵糧としても使える。それらは、力の裏打ちとなった。

 言い換えれば、それがあるからこそ、トゥルケンはナシーヤを攻めることが出来た。

 丞相ニコの知略により打ち破られても、鉄と兵糧があれば、すぐに軍は立て直せる。

 前線を国境線にまで退けたラハーンは、すぐさま、重装歩兵団の補充のため、鉄製品の増産を命じた。これで、冬にはまた戦える。


 備蓄された鉄が、あかあかと光る炉がいくつも並ぶ工場へと、続々と運び込まれている。

「まだ、運ぶんですかい」

 一人の男が、泣き声を上げた。

 鉄の倉庫と工場は同じ敷地に作られており、その警備は厳重である。多くの兵の監視があるから、運ぶ手を休めれば叱責を受ける。

「つべこべ言わず、運べ。殴られたいのか」

「それだけは、ご勘弁を」

 男は、鉄の運搬を指揮する者に、拝むような仕草をし、駆け足で倉庫の方に戻っていった。

「あの男。文句は多いが、よく働く」

 兵の間では、そういう評判の男だった。この夏が来る前にふらりと現れ、働き口を探しているというから引き入れたが、なかなかよく働く。言葉にナシーヤ訛りなどはないから、間者である疑いもない。

「おい」

 別の監督官が、その男が手を止めているのを、見咎めた。

「すみません」

 男は弾かれたように返事をし、倉庫の方へと駆け去って行った。

 監督官が不審に思って男が立ち止まっていたところを調べると、そこには排水のための、古い水路の入り口がある以外、何もなかった。

 この倉庫と工場は、昔、精霊の家が築いた砦を改造し、造られたものである。だから、敷地の中を、こういう古い水路が網目のように通っている。男は別にこの水路から逃げ出そうとしていたわけではなく、ただ立っていただけだから、兵も特に気にすることはなかった。



「身体中、泥だらけ。はっきり言って、最悪よ」

 ベアトリーシャである。黒髪に、臭い水が染みてしまったことを気にしている。

「まあ、そう言うな。俺は、夏の前から、ここで働いてるんだぞ」

「何人、ここに入っているの?」

「俺の兵が、五十」

「それだけ?」

「それと、イリヤが、どこかにいる」

「イリヤが――」

 ベアトリーシャが、言葉を滲ませた。ジーンは無論、二人の間に何があったのかは知らぬから、特にそれを気にすることはない。

 ベアトリーシャが、別のことを言う。

「あなたのことよ。さぞ、うだつの上がらない働きっぷりだったんでしょうね」

「そりゃあ、もう。トゥルケンの男に、なりきってやったさ」

「大したものよ。どんな男でも、使い道っていうのはあるみたいね」

「おい、褒めるなら、もう少しちゃんと褒めてくれよ」

「それで、どうするの?」

 男とは、ジーンであった。自らの兵を連れ、それとなくここに潜入している。

 兵も、ジーン自身も、完全にトゥルケンの精霊の家の信者になりきっている。その細かな仕草や、言葉の訛りまで。彼らがここに潜入してから、誰も彼らを疑ったりすることはなかった。


 ジーンが導いたベアトリーシャは、手渡されたフード付きの外套を身に纏った。女であることを、隠すつもりらしい。

「お前が用意したは、こっちだ」

 石造りの倉庫が、並んでいる。そのうちの一つを、ジーンは指した。

「おうい、皆。この倉を、空にしてしまおう。それで、今日の運びは終わりだそうだ」

 その声に、ジーンの兵五十が、集まってくる。皆、それぞれに伸びをしたり文句を言ったりして、この倉庫で働く普通の人夫になりきっていた。ベアトリーシャもそれに混じり、鉄の石と麦の粉が混ざったものが詰め込まれた重く巨大な樽に手をかけた。

 それを大きな荷車に載せ、数人で曳く。樽は、大人が三人並んで入れるほどの大きさがある。なかなかに大変な作業である。


 五十人で、十二の樽を運んだ。

 その樽の中身をまず水に晒し、麦の粉と石を分けるのだ。水は別の樽に流され、巨大なざるされた鉄の石だけが、そこに残る。麦の方は水気を抜き、干せば、兵糧になる。

「おい、何をしてる。そっちじゃない。こっちに運べと言ったろう」

 一人の兵が、声を上げた。いつも、樽はその場所に運ばれているのだが、このときは、直接、炉の前に運べと兵が言う。

 五十人が、それに従った。兵が指示をしながら導いているから、誰も見咎める者はなかった。

 それを見送った兵の中には、

「あの男。ずいぶん偉そうに指揮をしているが、あれは、誰だ?」

 と首を傾げる者もあったが、だからと言って呼び止めるほどのことでもない。前線からは、鉄の生産をとにかく急げという厳命が下っているから、手を休めるわけにはゆかぬのだ。


「上手く、いっている」

 荷車の列の先頭に立っている兵が少し振り返り、フードを深く被ったベアトリーシャに向かって目配せをした。

「ほんとうに、妙な男」

 先ほどまで人夫の一人であったはずのジーンが、いつの間にか指揮をする兵になっているのである。ベアトリーシャも、一体いつジーンが人夫から兵になったのか、分からない。この瞬間まで、ベアトリーシャもそれがジーンであると気付かぬほど、ジーンの代わり身は見事であった。

「炉の前で、やるのね」

「ああ、派手にな」

「分かった」

 荷車の列は、続いてゆく。

 炉の周りでは、上半身裸の男が必死の形相で鉄の石を運び、次々に炉に放り込んでいる。

「どれくらいの規模になる」

 それを見ながら、兜の奥でジーンが言った。

「舞い上がったら、すぐに駆けて。とにかく、離れるのよ。さもなくば、死ぬ」

「おいおい、本当か」

「この炉を、壊すんでしょう?」

「まあ、そうだが」

「だったら、とにかく逃げて」

 ベアトリーシャはそこで荷車を曳く列から離れ、かがりの側の物陰に身を潜めた。


 十二の荷車が、炉の前に並べられた。

「おい、何故ここにこんなものを置く」

「分からない。麦と鉄を分ける前に、こっちに運べと言われた」

 そこを監督している兵と、ジーンが口論を始める。

「邪魔だ。こんなところに荷車を並べられたら、鉄が運び込めぬではないか」

「じゃあ、俺にこれをここに運ぶように言った奴に、お前が話を付けてくれ」

「一体、誰がそんな指示を出したんだ」

 そこへ、叫び声が上がった。

「危ない!」

 荷車の上の樽が倒れ、朦々もうもうと粉が上がった。それは一瞬にして周囲を真っ白に染め、人に眼を開けていられぬようにしたから、残りの樽を、五十のウラガーンが一斉に倒し、更に粉を舞い上げたことを見ることは出来ない。

 彼らは、ベアトリーシャの言う通り、一目散に駆け去ってゆく。

 粉が舞い上がり、混乱が生じている。そこから、五十のウラガーンが飛び出してきた。

「ご苦労様」

 ベアトリーシャが、必死の形相で駆け去ってゆくジーンとすれ違いざま、言った。うっすら、笑っている。


 しばらくして、猛烈な爆炎と熱風が、彼女の髪を後ろへと運んだ。

 彼女は、閃光とそれを浴びながら、眼を閉じている。

 この時代の人はあまり知らぬが、麦の粉が舞い上がっているとき、そこに火の気があれば、たちまち爆発を起こすのだ。そして、ジーンがと呼んだ樽は、その中に鉄の石と合わせ、硫黄の粉も混ぜられていた。鉄の石は普通の樽に入れられているものよりも更に細かく砕かれ、砂のようになったものである。

 それらが空気中に舞い上がり、やがて炉の火に触れ、恐るべき威力の爆発をもたらした。

 樽十二個分のそれに、一斉に火が点いたたのである。いくつも並んだ炉は、跡形もなく吹き飛ばされていた。

 あちこちに移り、燃える火を背負い、ベアトリーシャは歩きだした。


 ウラガーンは、トゥルケンに、鉄と麦の粉を与えた。

 与えたのならば、奪うこともまた自由である。

 これは、同盟ではないのだから。


「あとは、イリヤが上手くやってくれるだろう」

 混乱に乗じ、逃げ惑う人々に紛れ、五十のウラガーンは脱出してゆく。

 何事もなかったかのように歩いているベアトリーシャを見つけ、その手を引きながら、ジーンが言い、この施設の中枢として使われている、三階に積まれた塔の方を見た。

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