真似る
首尾は、上々である。ウラガーンはユジノヤルスクに入り、その領土の西端にあるダムスクという軍事拠点を陥落させた。
この地点は、多くの商人が行き交う貿易の道の、いわば支流のようになっている街道に面しており、それを使って北へと商いの足を向ける者にとっての中継点として、かつて拓かれた。それが百年ほど前から軍事拠点となり、グロードゥカと争う際の砦として利用されている。
そこに、イリヤの隊とサンスの隊を入れた。それが中心となり、ラハウェリの兵や、もともとのダムスクの兵を統べる。二人は、自分達にそのようなことが務まるのかと不安を抱いているようだが、それを口に出すことはなかった。
「今のところ、全て、上手くいっている」
軍師であるペトロが、そのことをラハウェリに戻ったサヴェフに伝えた。ダムスクに兵を置くことで、ラハウェリとの間に位置するノゴーリャの街に守備兵を置く必要がなくなり、治安の維持に必要な最低限の人数のみを残し、残りを自由に動かせることになった。
「今頃、王都では、我らが何故グロードゥカの都城ではなく、ダムスクなどに手を付けたのか、測りかねていることだろうな」
サヴェフの怜悧な眼が、すこし笑んだ。
「鉄を北に運ぶためであるとは、思うまいな」
ペトロも、前髪から眼を覗かせ、笑った。
「グロードゥカの都城など、どうでもよい」
「時が来れば、勝手に転がり込んでくる、か」
この二人の才人は、呼吸が合う。全体の方針などはいつもサヴェフが着想し、それをペトロが形にしてゆく。
この創世の時代の働きのおかげで、ペトロが非業の死を遂げた後でもその人気は衰えることがない。いや、実際、ペトロという人物は、近年の研究によって再度注目を浴びた類の人間で、それまであまり注目されることのなかった人物である。それ以前のその評は、往々にして、
「頭が切れすぎて、時流に乗ることの出来なかった男」
であった。しかし、彼は、実際、その程度の人物ではない。そのことも、後々描いてゆく。
「巫女の様子は」
「普通だ。相変わらず、兵やザハールと親しく言葉を交わしている。言葉を交わした兵は、狂気するらしい。あんたの見立ての通りだな、サヴェフ」
「そうか」
サヴェフは、ひたひたと浸みるような微笑を浮かべた。この頃から、彼はこういう顔をよくするようになっていたと史記にはある。その微笑をすぐ消し、また別のことを問うた。
「ザハールの様子は」
「相変わらず、調練、調練。朝は馬で駆け、昼は武器。夕はまた馬。そんな具合さ。兵の練度も上がっている。次の戦いは、彼一人の武に頼るような力技ではなく、もっときちんとした形で騎馬隊を使えるだろう」
「そうか」
夜はどうしている、とは聴かなかった。それでも、ペトロは何事かを察しているらしく、
「サヴェフ。あんたのことは尊敬している。だけど、あんたの考えていることは、さすがにどうかと思う」
と去り際に言った。
「私の考えていること?」
サヴェフは、きょとんとした顔をその背に見せた。
「もし、俺が想像する通りのことを、あんたが考えているとすれば、だ」
「そうか」
会話は成り立っていない。しかし、この二人の才人の間では、成立しているらしい。
「俺は、それには承服しかねる。それだけは、伝えておく」
それだけ言って、ペトロはその場を去った。残ったサヴェフは、また卓上に広げられた地図に眼を落とし、沈思の中に潜っていった。
鉄の道。それは、東の鉱山から、貿易の道を通り、北へ。ノゴーリャよりもこのダムスクを経由した方が、道中も安全で輸送費も安い。今のウラガーンの人数では、その輸送までは賄うことは出来ない。ゆえに、輸送に関わる人員を雇っている。それらは、自分達が運んでいるものをただの麦の粉であると信じ、運んでゆくのだ。ユジノヤルスクにその勢力を伸ばし、ダムスクを奪ったのほ、ウラガーンの領土的野心からではなく、鉄を北に流す通路の確保のためであったのだ。
それが確立された四八五年の秋の頃。彼らの中で、ある変事があった。
ジーンは、偵察、諜報を行うという役目と兵を与えられている。貿易の道の安全のため、ダムスクよりも更に東の地を探っていた。
草が枯れるにはまだ早いが、木々の葉は色付き始めている。それを両脇に見ながら、街道をゆく。ウラガーンの部隊であると露見せぬよう、隊商に化けている。彼の物真似の才能はもはや個人のものではなく、彼の隊の性格のようになっていた。
街に入っても全くの隊商として振舞っていたし、役人に絡まれたときの対応も同に入っていた。東に、東に足を伸ばし、鉄の採れる大山脈近くの街を見聞し、また西へ戻る。そのあとは、南へと足を向けなければならない。南にはまだまとまった国家はなく、丘陵地帯を越えた先にある乾燥した大地に、旅をしながら家畜を育てたりする騎馬民族が暮らしている。そこにも何か目当てがあるらしく、サヴェフがそれを探って来いと言っているのだ。
東の果てまで来れば、治安は極めて悪い。ナシーヤ東部地域に乱立する諸侯が、ここでも戦いを繰り広げている。なまじ王都からも遠いため、諸侯は好き放題に自らの利権と欲望を貪り、そのために戦いを行なっていた。
とは言え、このナシーヤ全土で続いている戦いは、ひとえに欲望のみによるものではない。人が集まれば、それをまとめる人が要る。その者は、集まってきた人に、ものを食わせてやらねばならない。五百の人を束ねる者が、それに食わせることが出来なくなれば、万を束ねる人のもとに加わり、食わせてもらわねばならない。それを怠ったり、それをする力の無い指導者は、容赦なくその首をすげ替えられてきた。そういう古代からの社会組織の名残りとして各地に立っているのが候であり、そしてその頂点がソーリ海近くの都にある王であった。
彼らは、人に、与えなければならないのだ。それゆえ、領土を、物資を、豊かさを求め、他国から奪うのだ。奪われた者は、自らが統べる人に与えるため、また別の者から奪わねばならなくなる。そういう連鎖が、この戦いの始まりであったのだろう。それがいつしか常態化し、当たり前のように存在するようになり、個々の人間は自分が何のために戦っているのかも分からなくなっている。悲しいことに、このような時代に生きる全ての人は生まれながらにして敵を持っており、そしてそれはその時々によって味方になり、そしてまた敵になった。彼らに共通して言えることは、誰かの痛みを代わりに背負い、自らのそれを誰かに背負わせていることであった。その連鎖を止めることは、出来ない。
話が逸れた。ジーンのことである。
ジーンの隊は、ダムスクまで戻ろうと、貿易の道を西へ。日程を重ねる度に、木々の色は深くなっていき、風の匂いが冬めいてくる。
その風に、気配が乗った。
ジーンは、足を止めた。
彼は、動物や人間の真似をする際、その気配までも真似るようにしていた。猫なら猫、犬なら犬、役人なら役人の気配があるのだ。それを取り込まぬことには、その存在そのものになりきることは出来ない。
ゆえに、戦いの中でその感覚を磨いたザハールやルスランなどとは違う意味で、敏感であった。
彼に続き、従えている五十の隊商も、街道に静止した。
ジーンが感じている気配。それは、人間のもの。しかし、姿は見えない。いや、街道の両脇に生えている、木や草。それらが人間の気配を持っているようだった。
「武器を」
自らの剣を抜き、隊の者にもそう命じたその瞬間、木や草が、一斉に襲いかかってきた。
わっと叫び声が上がり、隊の何人かが血を吹いて倒れた。
敵。
待ち伏せされていた。
しかし、何のために。
ジーンは混乱する思考を落ち着けようと、その数を数えた。わずか、十人ほどであった。
しかし、身を低くして、ものも言わずに駆け、短い剣でもって次々と隊の者を刺し殺してゆく様は、異様だった。
軍ではない、何か。
ジーンは、ザハールやルスランに教えられ、剣が使えるようになっている。それが、激しく鳴った。
「やめろ」
受けた剣の向こうにある二つの眼に、言った。それは答えることなく逸れ、周囲の者に合図をした。手強し、と見たのだろう。
更に二人の者が、ジーンを目掛けてきた。隊の者はこの僅かな間に三分の一ほどが討たれているようだが、何人か腕に覚えのある者がいて、その者らが他の者を守り、奮戦しているらしい。
殺到してきた二人が、ジーンに向けて剣を伸ばす。一本の剣を受けているから、脇腹が空いているのだ。
死を、覚悟した。もともと、森の賊の一員として、その中でも半端者であったのだ。犬や猫の真似をすることしか出来ず、人からものを奪う勇気も無かった。
だが、ここでは、彼の存在は認められ、役目と目的が与えられた。それは、ジーンが生まれてから一度も無かったことであった。
サヴェフが、かつて自らに力も才も無いと嘆くジーンに言ったことがある。
「お前は、自分でないものを真似るではないか」
「それが、何だって言うんだ。犬の真似をしたところで、あんたらの役に立つとは、思えないんだ」
「だが、お前は人を真似る。そのお前を真似ることの出来る者は、いないのだ」
ジーンは、眼を開かれた思いであった。自らの存在が、受け入れられたと思った。だから、自分の隊の者にも真似の技を伝えてやり、こういう役目を担うようになった。
死が、両脇腹のすぐ近くまで迫っている。
そのままその光が入って来たとしても、生きるべき場を得、そこで死ぬのだ。何も、不思議ではなかった。
また、別のことを思い出した。
ジーンに剣の稽古を付けている、ザハールである。
「死地にあり、生を見る」
「何を言ってるんだ」
「死が目の前にあるとき、人の生は、燃え上がる。そういうことが、戦いにおいてはあるのだ」
「怖いな。そんな思いをするような場には、出来れば居合わせたくない」
「しかし、自ら敵を選ぶことは出来ない。敵が、自らを選ぶのだからな」
「しかし、怖いものは怖い」
「さあ、続きだ」
ザハールが、剣を構える。
このとき、ジーンは、死地にあり、生を見た。
剣を握るザハールを、真似たのだ。
彼が一人の剣を受ける頼りないそれに、力が宿った。
身体を不意に傾け、流す。ジーンの命を奪おうと繰り出されてくる別の者どもの剣も、目指すべきものを失い、逸れた。
「力とは、ある方向に向かう。その流れを、崩してやることだ」
ザハールの言う通りにしてみたら、ジーンに剣を押し付けていた一人が、体勢を崩した。
それとすれ違いざま、首を薙いだ。
水の飛ぶ音を上げながら、その者は倒れた。
ジーンの握る粗末な剣は、今、ザハールの涙の剣になっていた。眼の前の二つの剣にむしろ向かってゆくように体を回し、はじめの一人の首を薙いだ軌跡を返しながら左足を踏み出し、もう一人の腕を飛ばした。さらにもう一歩踏み込み、振り返るようにして、剣を繰り出した姿勢の者の背を斬った。
腕を飛ばされ、よろめく男。
それと、眼が合った。そこには、恐怖が浮かんでいた。
その光はすぐ、血で塗り潰された。
ジーンの剣技が並のものではないことを見て、残りの敵はさっと逃げ散った。驚くほどの逃げ足であった。一人、手負いの者がいたが、それをも見捨てていった。
「隊長、お怪我は」
部下の一人が、駆け寄ってくる。
馬は逃げ、荷は崩れ、散々な有様であった。そして、二十近い者が死んだ。
「俺は、大事ない。お前達は」
立っている者は、それぞれ傷を受けていたりするが、重傷ではないらしかった。
「隊長が剣を振るうのを、初めて見ました」
剣の心得がある者が、感嘆の声を上げた。ジーンは、どう答えてよいのか分からなかった。先ほど剣を振ったのは、ザハールだったのだ。握りしめたままの剣は、もう涙の剣ではなくなっていた。それから指をどうやって剥がすのかを思い出そうと、深く呼吸をした。
「この者は、どうしましょう」
転がっている、敵の一人である。
そばに落ちている自らの剣に手を伸ばし、自死しようとしたので、素早く周囲の者が飛び付いてその剣を奪った。
「殺せ。殺してくれ」
その者は、言った。
「いいや、殺さぬ」
荷車にその者を縛り付け、ラハウェリに連れて入った。ラハウェリでは、突然の襲撃によりジーンの偵察隊が甚大な被害を受けたと騒ぎになった。その正体の分からぬ敵が何者であり、何のためにジーンを襲ったのか調べるため、拷問にかけることになった。商人を狙ったただの賊でないことは、明らかである。
サヴェフが、眠ったような眼で、拷問の担当を指名した。
「——わたし?」
と眼を丸くしたのは、ベアトリーシャであった。
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