傭兵と、ごろつきと、こそ泥
――牙は二つ、鱗は十。龍は即ち一でありながら、内に多くの一を孕む。哀しや、哀しや、その涙。
ウラガーン史記 第一節七項 「人、至るまでに」より抜粋
ザハールという男がいる。精霊の加護、という意味のナシーヤ語である。のちに、英雄王ヴィールヒと、それを支える
数多ある神話の生き物のうち、ウラガーンとは、最も高名で、最も人に仇なすものであったが、それが、ときおり涙を流すという。それは滴となり、彼らの上に降る。
涙とは、必ずしも液体の状態であるとは限らず、その放つ光とは、必ずしも光であるとは限らぬらしい。彼は、ウラガーンが落とした涙が放つ光が凝り固まって出来たと言われる剣を用いていた。
ミェーチェ・スリョージ。涙の剣と言われるそれは、恐らく、自領地を脅かす他国や異民族を制圧した際の戦利品もしくは
涙の剣は、その名の通り水の流れのように大きく湾曲していたというから、この史記の最後の戦いについて描いた拙作「ウラガーン史記目録」において活躍した、
とにかく、彼は、そういういわくつきの剣を、いつも
このとき、ザハールは十八才。彼は、傭兵であった。このナシーヤ王国の中央に位置する、精霊がウラガーンを地に堕としたときにその身体の形に水が湧き出て出来たとされるアーニマ河という大河が領地を貫くグロードゥカ地方に生まれた。後代この地に建つパトリアエ王国の王都が定められる場所であるだけあり、陸、水の交通が非常に良く地も豊かで平坦であり、人が多い。ザハールはそのグロードゥカ地方の侯(王家に許され、その地を統治する者)に代々仕え、腰に光るその名剣が伝わるほどに優れた部門の家であったが、父の代で、王国の宰相ロッシの策に嵌まり、家と財と名声を失った。
家や財を奪われるとき、父が土に埋めて隠した家伝の剣を腰に、若き身体ひとつで、世に放り出された。
彼の目的は、家と、失った名声を取り戻すこと。
史記を知る者にとっては言うまでもないことだが、十聖将のうち、もともと身分の高かった者は少ない。ほとんどが、低い身分やごろつきから身を起こし、果ては炭鉱夫の娘や盗賊のような者まで居た。ザハールも、身一つからパトリアエ王国の建設までの功を讃えられ、死後は龍眼将という
龍眼とは、文字通り、龍の眼。すなわちものごとの要であることを指し、同時に空の星の一つの名でもある。その星は北の空でひときわ強い輝きを放つから、ナシーヤの人はそれを龍の眼と呼んだのだ。こんにちの我々にとっては、シリウスと呼ぶのが分かりやすい。
ザハールとは、それほどの男である。
しかし、今はまだ、無頼の身。
ザハールは、戦いが起きると、陣借りと言ってその場に赴き、軍に臨時雇いとして一時的に召し抱えてもらい、いくばくかの金をもらうことで生きている。戦いが止むことのない時代では、傭兵をしている限り、生きることに困ることはない。
戦いの場で華々しい武功を立て、墜ちた家名を甦らせる。そんなふうに、苦境を希望に変えながら、懸命に生きていた。
この初夏の日も、彼は戦いの場に赴こうとしていた。ヴィールヒが捕らえられてから一月の後、王の死を受けて、各地の領主が反乱や領土争いを起こし始めた。彼らの多くは、まずは隣の領主に戦いを挑んだ。
彼の生まれたグロードゥカと、その西隣に位置するユジノヤルスクとの間は、いつも険悪であった。それが、にわかに騒がしさを増した。
戦いを求め、ナシーヤ王国内のあちこちをうろついていたザハールは、このとき久しぶりに生まれ故郷のグロードゥカの地を踏んだ。
何となく、生まれ育った家が今どうなっているのか、見に行こうと思った。
グロードゥカの街の北の外れに、それは変わらずあった。別の者が暮らしているらしく、門のところには、粗末な鎧を着た門番が立っており、それを恨めしげに、そして羨ましげに眺め、立ち去った。
細い路地に差し掛かったとき、不意に誰かが影から飛び出して、ぶつかってきた。
「おい、お前、気をつけろ」
「そちらが、飛び出してきたのではないか」
自然、言い合いになった。ぶつかって来た男は、金を要求してきた。
「ゆすり、たかりの類いか。下らぬ」
ザハールは、腐っても武人であろうとしていた。無視して、先を急ごうとした。
「下らぬとは、なんだ」
男は、なお食い下がる。
「鼠のごとき所業。恥を知れ、賊め」
ザハールの眼は、切れ長である。身なりこそ使い古された旅装であるが、ナシーヤ王国において高貴な色とされる金色の髪と濃い青の眼を持ち、恵まれた体躯を戦場で鍛え上げたその姿は、堂々たるものだった。
対するゆすりの男は、髪も眼も黒い。これは、この国ではあまり有り難がられぬ身体的特徴であった。それが、この男が今ザハールに文句をつけてくるような人生を歩む一因になったのかもしれない。
「やめておけ」
驚くほど近くで、別の声がした。ザハールは咄嗟に飛び下がって剣の柄に手をかけた。
「てめぇ、ペトロ」
ぺトロと言われた男は、ザハールと同じ金色の髪と眼をしていた。足音もなくザハールの脇を通り抜け、黒髪の男の汚れた衣服の肩に手を置いた。
「お前じゃ、こいつには敵わない、イリヤ」
「何を言う。こういう、いい家に生まれただけで大きな顔をしている奴が、俺は一番嫌いなんだ」
「イリヤ。お前、彼がこの家の者だと思って、金持ちだと思い込み、たかっているのだろうが」
「金持ちに金をせびって、悪いかよ」
「彼が、金色の髪と眼を持ち、腰に高そうな剣をぶら下げているから、金持ち?」
「何が言いたい、ペトロ」
「お前は、その髪の色のことを言われるのを嫌う。そのお前が、彼の髪の色を見て、金持ちと決めつけるのか?」
イリヤは、返す言葉がないらしく、顔を真っ赤にしている。
「彼は、この家の者ではないよ、ペトロ。俺は、十日も前からこの家に忍び込もうとして、家の者がいつ出て、いつ帰るのかを見張っていた。彼が、この家に出入りしたことは、一度もない。それに─」
とペトロは、くっきりとした線を持つ眼をザハールの頭から足まで這わせ、
「あんた、旅人だね。
言う通りである。ザハールは、つい先頃まで、東の大山脈地帯に領土を持つ領主に陣借りをし、戦っていた。
「俺に気付いたときの身のこなし。そしてその腰の使い込まれた剣。只者じゃないね」
ザハールは、よく見ている、と単純に感心した。盗人二人ではあるが、不思議と好感を持った。
「こそ泥め、黙ってろ」
黒髪のイリヤは、金髪のペトロを押しのけようとしたが、ペトロがザハールの方にさっと身を進めたので、腕を突き出したままよろめいた。転ばぬように踏み留まると、ペトロを睨み付けて、また顔を真っ赤にした。
「俺はこそ泥。こいつは、ゆすり。あんたは?」
すぐ近くにあるペトロの顔から眼を背けながら、ザハールは、
「傭兵だ」
と言った。
「やっぱりね。そうだと思った。あんたは、この街に
ペトロというのは、どうも、調子のおかしな若者である。ザハールは、その言葉の音律に誘われ、つい、笑みを漏らした。
「その通りだ。よく分かったな」
「仕事柄、何かを観察するのには、慣れている」
金色の髪で半分隠れた顔からこそ泥の割には白い歯をこぼしながら、清潔な笑顔を見せた。
「もう、よいか。俺は、ゆく」
「ゆく、ということは、ユジノヤルスクとの戦いへ?」
「そうだ。この戦いで、俺は、名を馳せる」
「いいね。面白そうだ」
ペトロが楽しげに笑い声を上げ、憮然としているイリヤを振り返った。
「どうだ、イリヤ。彼に、ついて行ってみないか」
「嫌だね。なんで、俺が、そんな金髪野郎に」
「お互い、路地の裏で生まれ、汚れた水で育った身だ。彼のように、志を持って生きることに、憧れはしないか?」
「へっ、しないね、そんなもの。志で飯が食えるなら、いくらでも持ってやるけどな」
「食える」
ザハールだった。
「俺は、志と、この剣と、この腕で生きてきた。心まで血に汚れてしまえば、生きてはゆけぬ。どれだけ辛い戦いでも、心さえ清くあれば、勝てる。そして、生きてゆける」
「ははっ、あんた、面白い人だ。決めたよ。俺達は、あんたに、付いて行く」
「おい、ちょっと待て。俺達とは何だ。俺は、付いて行かねぇぞ」
「あんた、名は?」
「ザハール」
「ザハール。ちょっと、待っていてくれ。この路地の影で、この分からず屋を二、三発殴って、すぐに戻る」
笑いながらそう言って、ペトロはイリヤを、彼が飛び出して来た路地へと引きずっていった。
ザハールは、言われた通り、待つことにしてみた。
ザハールは、戦いの場において、時おり、剣が震えたり、鳴いたりするように感じることがあった。まさか、この剣がほんとうにウラガーンの涙の光から出来ているとは彼も信じてはいないが、戦場でそのような体験をするとき、必ず、自らに危機や好機がやってくる。
剣の、導き。なんとなく、ザハールはそれを信じていた。このときも、剣の
その路地で。ペトロは、イリヤの首を脇の下に固め、耳元で囁いた。
「あの男に、付いてゆくのだ」
「だから、俺は──」
「あの剣を、知らぬのか」
「剣だと?」
「あの、柄の龍の紋章。あの男が、この屋敷で生まれた者だとするならば、あの剣は、この家に代々伝わっていたというウラガーンの涙、ミェーチェ・スリョージだ」
「馬鹿な。ほんとうにあるのかよ、そんなものが」
ミェーチェ・スリョージや、この物語の主人公であるヴィールヒが用いる「精霊の怒り」グロムのことは、子供でも知っている。あまりに戦いばかりが続くため、人々は、その戦いに娯楽性を求め出していて、あちこちで戦う戦士の逸話や、その武器にまつわる不思議な物語を、まことしやかに囁き合うのだ。
「それを──」
「──おまえ、まさか」
「──奪うのだ」
ペトロの笑顔に、翳りがよぎった。
「あいつが、大人しく、そんな宝剣を渡してくれるとは思えぬが。殺すのか。あいつを」
「大人しく渡してくれれば、殺しはしないさ」
「お前は、ほんとうに、怖い野郎だよ」
「俺一人でも、お前一人でも、まず勝てない。しかし、俺たち二人がかりなら、勝てると俺は見たね」
「本当だろうな」
「言っただろう。仕事柄、何かを観察するのには、慣れているってな」
「よし、やろう」
路地から、二人が戻ってきた。
「どうするのだ」
「ザハール。俺たちは、今から、あんたの子分だ。志とやらに、懸けてみる」
「ほう、心変わりしたのか。自分で言っておいて何だが、やめておいた方がいい。戦場とは、お前達の思うような生易しいものではない」
「いや、ペトロの言う通りだ。俺は、こいつやあんたのような、金色の髪が欲しかった。それさえあれば、誰も、俺のことを邪険にしたり、辛い仕事ばかりを押し付けない。だけど、俺は、羨ましかったんだ。辛くても、折れない心を持って生きる人が」
「イリヤ」
「ザハール。イリヤも、こう言ってる。改めて、お願いするよ。俺たちを、連れて行ってくれ」
「いいんだな。お前達、戦場は始めてであろう」
「ああ、だけど、怖くなんてないぜ」
「敵を、人を、殺しにゆくのだぞ。そうしなければ、自分が死ぬ」
「分かってる」
それどころか、二人は、今からザハールを殺そうと企んでいるのだ。ザハールは人がいいのか、気付かないし、疑いもしない。
これが、後年になってもまだザハールが人に慕われ、死後もこうして史記の中の英雄として人気を博すに至る要因であるのだが、若いザハールは無論そのことも知る由もない。
「では、誓いを」
ザハールは、涙の剣を抜いた。抜くと、凄絶な風が、二人の顔を打ち付けるようだった。
ウラガーンは、何を悲しみ、涙を流したのか。この剣の光の冷たさと柔らかさは、確かに、涙であった。
その悲壮な鳴き声に、二人はしばし見とれた。
「誓いを」
このようなとき、ナシーヤ王国では、それぞれが武器を抜き、重ね合わせることで、盟を誓う。ごろつきとこそ泥の二人は武器など持たぬから、掌をその冷たい剣に重ね、誓いとした。
このときザハールが感じた涙の剣の震えは、吉兆であるのか、あるいは彼を殺し、それを奪おうとする二人への警戒を促すもとであるのか。
史記の次の頁から後において、それは明かされることであろう。
ウラガーン史記目録同様、この物語も概ね、時間軸をもとに進んでゆく。主人公であるヴィールヒが、牢から助け出されるのは、じつにこの二年の後であるから、しばしこの物語も主人公が不在のまま進むこととなる。
のちに十聖将と呼ばれるに至る彼らの出会いや、それにまつわる物語がその間は綴られていて、それもなかなかに面白いものであるから、暫くの間、辛抱されたい。
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