第9章 屋根裏の犯罪者(8)
(円香さんの部屋…?)
僕は一度だけ入った事がある。
ゆっくりとまた覗くと、見覚えのある扇風機に、机の端だけだが見えた。間違いなく円香の自室だ。
円香は、天井から覗いている僕の事など、全く気が付いていないようだった。
上からな為、顔はよく見えないが、何だかぼんやりとした様子で、両足をのばし、その上に雑誌を広げている。円香の他には誰もいないようだ。
円香は、広げていた雑誌をいきなり閉じて、立ち上がる。突然の事に、覗いていた僕は体を固くする。
―――見付ったのか?
そう思ったが、そうではなかったらしい。
壁がわに背を向けると、押入れを開けたらしい。ここからでは見えないが、襖を開ける音がしたのだ。しばらく、がさがさと音がして、また襖を閉めたような音がした。そして元の場所に、円香が戻って来た。手にはTシャツのようなものを持っている。何をするのだろうと見ていると、円香は着ていたシャツに手をかけた。
(着替えるんだ!!)
僕は慌てて、穴から顔を離した。
とんでもない事だった。これでは、ただの覗きである。
興味がないといえば、嘘になる。だが、探偵として来てるというのに、その僕が犯罪を犯してしまってはどうしようもない。
(何を考えているんだ僕は)
軽く頭を振って、理性の方が勝った僕はもと来た方向へ、さっきよりもゆっくり進んで、円香の部屋の上から離れた。
「…大丈夫?」
屋根裏から、転げるように降りてきた僕を見た美凪は、心配そうに顔を覗きこんできた。
「あ、うん」
「そお? だってすっごい汗だよ?」
言われて、顔を拭うと驚くほど濡れている。
シャツの裾をたくし上げ、顔中の汗を急いで拭き取る。顔が蒸気しているのが見なくてもわかった。
「…屋根裏が暑かったんだよ」
「あ、そっか」
屋根裏は確かに暑かった。
風の通りがなく、蒸し蒸しとしていた。だが、僕がこんなに汗だくなのには他に訳があった。美凪を見ると、いつもの興味津々な目が光っている。屋根裏に何があったのか、聞きたくて堪らないといった様子だ。
ついさっき見た、あの光景を、話さなくてはならないだろう。
僕は、円香が着替えたという場面だけを抜かして、美凪に話して聞かせた。すると、美凪の大きな目が、さっきよりも爛々と輝いた。
「それって…何だか屋根裏の散歩者みたい」
「散歩者? なんだそれ」
僕が聞くと、美凪は本気で呆れたような顔を向けた。
「知らないの? 江戸川乱歩の傑作じゃん」
「……知らないよ」
江戸川乱歩なら、名前くらいは知っていた。何とか小五郎という探偵が活躍する小説を書いた人物だ。
だが僕が知っているのはその程度で、実は一冊も読んだ事がない。
今まで推理小説など、全く興味がなかったが、「屋根裏」というタイトルに惹かれ、美凪にその小説の簡単なあらすじを聞いた。
話のスジはこうだ。
何をやってみても、この世が面白くない郷田三郎という男は、屋根裏を徘徊する楽しみを見いだした。
そして彼は屋根裏の穴から、毒薬をたらし、ある人物を殺害する。
誰にも解けないはずの完全犯罪を、この男の良き話し相手だった明智小五郎が、すべてを明らかにする―――。
蒸し暑い部屋で聞いたからだろうか。それとも、小説に出てきた郷田という男のように、自分も犯罪者のように人の部屋を盗み見て、同じように屋根裏を歩いたからだろうか。どきどきと心臓が高鳴った。
そして郷田という架空の人物と、あの屋根裏を歩いたかもしれない、東郷氏を重ね合わせる。
東郷氏も毒薬を?
そんなまさか。
「でもさ。円香ちゃんの部屋が、覗けたってうのは偶然かな?」
「どういう事だ?」
僕が考え事をしている横で、美凪が独り言のように言う。
「ん……。あたしの考えだけどね、もしかして東郷のおじいさんって、円香ちゃんの部屋が見れるって事を知って…」
「覗いていた…って事か?」
「そうそう!」
美凪は嬉しそうに、首を振る。
「確かに…あり得るような気はするけど」
「なに? 秋緒の考えは違う?」
「そうじゃない。ただ、もしそうだとしたら、一体なんの為にだよ?」
「それは……」
実は一つだけ、その理由を思い付いていた。だがもしそれが本当だったら―――? そう考えると薄気味悪く、僕は口に出して言う事ができなかった。
ところが、この無遠慮な幼馴染は、それをさらりと口に出す。
「おじいさんってさ。円香ちゃんが好きで覗き見してたんじゃないの?」
「……犯罪だろう? 円香さんは孫だぞ?」
「犯罪だからこそ、屋根裏からこっそり…」
「こっそり……か」
美凪の意見に、僕も同意したくなった。
東郷氏は円香の部屋が、屋根裏から覗ける事を知っていた。そして、誰にも知られないよう適当な荷物を置いて。自分はそれを取りにいく振りをして屋根裏に昇り、徘徊する。
屋根裏の、あの光景を思い出す。
写真でしか見た事のない東郷氏が、腰を曲げた格好で、息をひそめながら円香の部屋を覗いている――――。そんな光景も頭を過り、背筋を冷や汗が伝った。
「ねえ、これって刑事さんに話さないほうがいいんじゃない?」
「どうして?」
「うん…何か笑われそうだし……それに円香ちゃんが知ったら、傷付きそう」
これには僕も、素直に頷いた。
可愛がってくれていた祖父が、もし自分の部屋を覗いていたと知ったら……? 誰だって傷付くだろう。
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