第6章 円香と美凪(8)



 美凪は普段、眠りにつくのは真夜中だ。

 昨晩は、ここへ来る為の待ち合わせに遅れないように早めに寝たが、それでも午前十二時を過ぎていた。

 携帯を取り出し時計を確認すると、まだ十一時前だった。

 隣で美凪の話を聞いていた筈の円香は、いつの間にか寝てしまっている。

 美凪は、携帯を放り出すと仰向けになり、やけに高い天井を見詰めながら、小さくため息をついた。

(流石に疲れちゃったな……)

 今日一日で、色々な事があった。

 そっと目を閉じると、自然に瞼が重くなり、目を開けたくなくなった。

(眠いんだ…)

 人事のように、そう思いながら、美凪も深い眠りに落ちていった。

 夢を見ている。

 見慣れた景色だったが、美凪にはこれは夢なのだとわかっていた。




 美凪が立っている場所は、通い慣れた学校の校庭だった。

 遠くの方で、野球部の元気なかけ声が聞こえてくる。校庭横にある体育館からは、いつものように、バスケ部とバレー部のボールが弾む音が響いてくる。

 いつもの光景だ。

 校庭のトラックを、二十人程の集団が美凪の方へランニングして来た。

 それはすぐに、自分が所属する陸上部だとわかった。

「…秋緒!」

 その集団の中に、小さな頃からずっと一緒の幼馴染の姿を見つけて、美凪は驚いて走り寄る。

 この口やかましい幼馴染は、夏休みの直前、早々と受験のために陸上部を退部していたはずだった。それが何故走っているのだろう。

「どうしたんだよ、秋緒! 辞めたんじゃないの? ……秋緒ってば!」

 秋緒のすぐ耳元で話し掛けるが、当の秋緒はまるで美凪が見えていないかのようだ。

 だが、それは秋緒だけではなかった。

 美凪が部活をサボると、目を吊り上げて怒り出す怖い部長も、笑ってはいるが、とんで来るげんこつは、いつも力いっぱいの顧問の先生も、美凪が見えていないようだった。

(ああ……そっか。夢だもんね)

 これは夢だった。

 美凪はあっさり納得する。

 そして走るのを止めて、陸上部の集団を見送った。

 見送ると無性に淋しくなった。何故だかはわからない。皆が本当に無視した訳ではない。だってこれは夢なんだから……。




 気が付くと、校庭には美凪一人だった。

 更に淋しさが増してくる。

(お母さん、お姉ちゃん…お父さん……秋緒……)

 一人ぼっちは淋しい。

 いつだって横を向けば友達が笑っていた。後ろを振り向けば幼馴染がいた。

 生まれも育ちも下町で、江戸っ子なお母さん。少し歳の離れた、それなりに優しいところもあるお姉ちゃん。無口で囲碁だけが趣味のお父さん……。

「家に帰りたい?」

 今、そう心に思った事を口に出されて、美凪は驚き振り返った。

「帰ってもいいんだよ」

「…おじさん!」

 美凪の後ろに、憧れている遊佐 春樹が優しく笑いかけていた。

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