第6章 円香と美凪(4)


 美凪の話の内容は、実際は短いものだったが途中、色々と脱線した為、思っていたより長くかかった。

 僕は美凪から聞いた話をメモしていたが、結局わかった事はあまりなかった。

 ただ、タクシーの中で聞いた女は、彬の知り合いではないと言う事は確からしい。そうなると一体誰に会いに来たのだろうか。

 その後、僕は美凪にせがまれて弁護士の守屋から聞いた話をかいつまんで聞かせた。

 今度は聞き役にまわった美凪は、男の様に腕を組んで何度も頷いていた。

「なーるほどね! ふんふん……」

「何だよ? 僕の話で何か気が付いたことでもあったか?」

 カバンの中にメモを仕舞いながら、僕は半ば投げやりに聞いた。

「ううん。全然」

 ああ、そうだろうとも。

 最初から期待なんかしてないし……と、そう思ったその時だった。

 廊下を誰かが走って行く音がして、微かに人の声がした。僕と美凪は顔を見合わせた。

 ひそひそ声ではない。何か叫んでいるようだった。

 しかも、この声は……。

「円香ちゃんだ!」

 美凪が、そう言うが早いが襖を乱暴に開けて廊下に飛び出した。僕も慌てて後に続く。

 











「お願い……! 放して下さい!」

 長い廊下の一番奥で、円香が腕を掴まれ、それから逃れようと身を捩っていた。

 円香の腕を掴んで離さないのは、この家の次男、弘二だ。

 弘二は遠目からも判るほど酔っているようだった。何しろ顔は赤く、足元はふらついている。

それなのに、円香の腕だけはしっかりと掴んで離さない。

 しかし、その場にいたのはこの二人だけではなかった。

 弘二の腰の辺りを掴み、必死で円香を逃がそうとしている者がいた。

 奈々だ。

「おじちゃん! お姉ちゃんを放してよォ~!」

「うるっせぇガキだな」

「何をしているんですか!」

 弘二が奈々に拳を振り上げたのを見て、僕は思わず叫びながら廊下を走り、弘二の腕を取った。

「何しやがるんで…!」

「それはこっちの台詞ですよ。小さい子に乱暴しようとして……さあ、こっちの手もいい加減に離したらどうです」

 そう言って僕は、弘二から円香を引き剥がした。

 青くなり、本気で震えている円香に美凪と奈々が駆け寄った。

「大丈夫、円香ちゃん?」

「お姉ちゃん!」

 円香は無理に笑顔を作ると、二人に頷いてみせた。

 僕は、そんな円香を見て弘二に詰め寄った。

「一体、何をしていたんですか。円香さん、こんなに怯えてるじゃないですか。酔ってるからって何をしてもいい訳じゃないと思いますけど!」

 これは父がいつも言っている言葉だ。

 事務所に、酔って現れる依頼人も少なくはない。

 そんな時、父は依頼人に冷たい水で顔を洗わせ、そう言うのだ。

 その様な客は放り出せばいいと僕が言うと、父はちょっと困った様に笑いながら言った。

「お酒の席だから、とか酔っているなら何をしても仕方ない、という人がいるがそうじゃない。どうもお酒には寛容な人が多いみたいだけど、ああいう酔った人にはちゃんと言ってやらないといけないね」

 僕はそれを聞いて、最もだと思った。

 だが弘二は高校生で、しかも他人から言われて、更に赤くなった。だが弘二はそれ以上何も言わずに背を向けると、足が悪いのか片足を引きずりながら、廊下の奥へと消えた。





「ご、ごめんなさい…」

 もう震えてはいないようだったが、まだ青い顔の円香がすまなそうに言った。

「一体、どうしたの?」

「おじちゃんが、お姉ちゃんに意地悪したんだよ!」

 僕の問いに円香ではなく奈々が答えた。二つに束ねた茶色っぽい髪を揺らして、本気で怒っているようだった。

「意地悪なんて……なんか酒の相手しろとか言われて…」

「なあに? 弘二の奴は行ったの? ったく煩いったら!」

 ガラリと目の前の襖が開いて、紫色の髪の太った女が顔を出した。

 万沙子だった。

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