パントマイム

塩月マシ

パントマイム

「たとえば、そうだね。ブラジル。ブラジルにしようか」

「……突然、なにかな?」


 とある県の、とある地方都市に属する、とある山の中腹に、その洋館は建っていた。潜んでいる、と言い換えても問題はない。そして意味もない。


 そして、その洋館のある一室に桐原裕司はいた。意味があるのかはさっぱりだが、ここにいる経緯はある。避暑地とやらに行ってみないか、だなんて、親友の梶田圭一に連れてこられたのだ。


 つまり、桐原自身、自分がどこにいるのかは正確にわからない。わかったところで、やはり意味はないが。


 彼はソファに体を預け、名前の知らないブランデーを舐めている。手近にあったモノを勝手に引っ張り出してきた。まぁ、家主である槍川リサも怒りはしないだろう。


 そういえば、酒の名前は気になるくせに、ソファの名前は気にならないものだな、と桐原はふとほくそ笑む。


 場所、名前、意味。曖昧と明確の差なんて、ブランデーでかき消せる程度のことでしかないようだ。桐原はグラスを傾けた。

 

「ブラジルは、今、存在してるのだろうか?」

「……桐原君。飲むのをやめたら」

「まだ素面しらふさ。大丈夫。それよりもさ、永徳加奈ほどの女傑が、まさか僕の言いたいことが分からない訳じゃないでしょ?」

「……実際に観測出来ないものが存在しているかどうかはわからない、って言いたいの?」

「そう。どう思う?」

「なんで、今、そんな話をしないといけないのかがわからない」

「それじゃあ、一緒に飲む?」

「グラス、一個しかないじゃん」


 正論だ。ただし、正しいだけだ。面白くない。

 致命的だ。自殺的だと言ってもいい。


「梶田はどう思う?」

「案外、そいつは面白い、とは思う。シュレディンガーの箱猫みたいなものだろ?」

「そう考えると、どこか陳腐にも感じるな」

「その通り。いたって陳腐だ。やっと気付いたかい」


 瞬間、稲光が瞬いた。反射的に全身が強張った。その弛緩を待たずに、轟音が焦燥を掻き立てるように響く。窓を、壁を、屋根を、豪雨が執拗に叩いていた。屋敷のどこに行っても、この濁流じみた雨音からは逃れらないだろう。


「もし、猫が入っている箱がガラスで出来ていたら、なんて考えたことはない?」

「ない、かな」

「ねぇよ」

「……槍川さんは?」

「……言いたくないわ」

「あるってことだね。恥ずかしがらないでよ」


 ブランデーが回ってきたのだろう。我ながら文脈のない発言だ。そう自覚はあった。あったはずなのに、桐原は取り留めもなく喋り続けた。


「箱の中が見えたとしても、彼にとっては些細なことだったと、私はそう思うわ」

「つまり、自論を証明するための思考実験ではなく、主張するための思考実験だと。それじゃあ、本末転倒だ」

「違うわ。仮に猫の死体が箱の中に転がっているのが見えたとしても、猫が死んだかどうかは断じることが出来ない、そう言いたいの」

「死体が見えているのに?」

「この目に見えるものはすべて、脳が作り出した虚像でしょう?」


 グラスを乾かした桐原は、ブランデーの瓶を掴もうとして、滑らせた。円柱形の茶瓶は、アルコールを散らしながら部屋の隅まで転がっていく。壁に当たった瓶が動きを止めるまで、桐原はその茶番に散漫な視線を投げつけていた。

 そして、誰に向けるでもなく、彼は呟く。


「フィクションの反義語はノンフィクション、らしい。笑わせるよな」


 丁度いいな、と桐原は屈託なくそう思った。

 懐に手を忍ばせる。冷たくて硬質な感触。名前は、たしか、そう、コルト・ガバメント。まるで高級酒のような名前だ。桐原は笑わずにはいられなかった。


「虚構の存在がない限り、人間は現実を定義すら出来ないんだ。悪いけどさ、どうも滑稽だよ。ねぇ、そう思わない?」


 その問いかけに対して、相槌も返答もない。

 虚しい一人芝居パントマイムに飽きた桐原はゆったりと部屋を見渡す。絨毯の上に無造作に転がっている、梶田と槍川と永徳の死体。昨日、桐原が苦心してこしらえたものだ。にも関らず、その風景には達成感も虚無感もなかった。


 どんな理由で誰がどんな風に殺したのか。そんな問いは無意味で陳腐だ。次にこの部屋の扉を開けた者が、勝手に解釈をつけてくれるだろう。

 

 乾いた笑声と乾いた銃声では、どっちがよりドライに聞こえるか?

 桐原の脳裏を最後によぎったのは、そんな抑揚のない感傷だった。

 乾いた笑声が響いた後、乾いた銃声が鳴った。

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パントマイム 塩月マシ @masimasi

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