第9話 おっさんたちはかつての仲間たちと戦う(前編)。
ティターン十二柱の一人にして旧神。その名は「蜘蛛王コイオス」。
その旧神に対峙するのは、冒険者ギルド職員にして元ランクB冒険者。その名は「柔らかなエリール」。
神と人間の戦い────その結果は火を見るより明らかで、実際なんの逆転劇もなく、そのとおりになった。
コイオスが放つ不可視のクモ糸に絡め取られたエリールは、何一つ手出しできないまま、驚愕と共にその場に座らされた。
これはもはや戦いというレベルではない。エリールはなにをされたのか全く理解できないまま負けていた。
セイヤーの采配では、コイオスが勝つのは当然として、その後の扱いについても「こいつはスケコマシだから美人相手に無茶はしないだろう」という予測で組ませた対戦カードだったが、それは大当たりだったようだ。
コイオスは『足が痛くないように』と、エリールの下にわざわざ蜘蛛糸で作った座布団のようなものを敷き、高待遇で捕縛していた。
「無抵抗でいてくれ。美女を傷つけるつもりはない」
「び、美女!?」
その人外の美しさに少し呆けたエリールだったが、自分を奮い立たせるように頭を振り「わ、私をどうするつもり!?」と食って掛かる。戦いの時は男より男っぽい彼女が、まるで乙女のように、顔を朱色に染めている。
「どうもしない。あえて言うのなら、これが終わったら私と一献どうかね。金払いはあの
「………勇者たちが?」
仲の国で行われていた終戦記念祭の最中、和平調印式を待たずして三人の勇者たちは行方をくらませた……という噂は嘘だったようだ。
元の世界に帰ったと言う者がいるかと思えば、勇者排除派の各国家に暗殺されたと言う者もいたが、エリールはどちらも信じなかった。
信じなかった理由は、あの勇者たちと本気で契ろうとしていた女たち────特に、病的なまでにコウガに共依存していたツーフォーまでも────が、勇者たちのことをまるで覚えていなかったからだ。
仲の国にいたはずの女たちが、立役者だというのに調印式も見ずに、突如として自分たちの国に帰っていたことも不可思議すぎる。
きっとなにかあったのだろう。
エリールはそう思い、町に戻ってきたツーフォーたちを問いただした。
すると、ツーフォーたちの記憶と事実の間に、数々の矛盾が生じた。
誰が魔王を討伐したのか。今まで誰と一緒にいて何をしていたのか………ツーフォーもジルもミュシャも、共通して「誰かと一緒にいた」という記憶はあるのに、その人物がどんな容姿をしていたのか、自分がその人物に対してどんな感情を抱いていたのか、どんな会話を交わしていたのか、まったく思い出せなかったのだ。
行動と結果は覚えている。だが、途中にあるはずの重要な
これは何者かによる記憶の改竄だろう、とエリールは看破した。
その改竄が勇者たちの手によるものなのか、悪意ある何者かによるものなのかはわからない。
だから、エリールはとにかく彼女たちと行動を共にし、変な男が寄ってこないよう、また彼女たちが寄っていかないよう、注意した。
これは「もしも勇者以外の手によるものだったら」という時のための、勇者たちへの義理立てだ。だから一年経っても勇者たちが現れないのなら、彼女たちの人生を縛る必要もないので好きにさせようと思っていた。
が、案外早く勇者たちは現れてくれた────敵対する立場として。
もちろん勇者たちは敵対する気などなかっただろう。すべては手前都合による敵対だ。
「勇者たちに申し訳ない」
ゲイリー総支配人との対立。勇者排除派の王侯貴族との軋轢。その結果、白薔薇親衛隊に町を焼き討ちされ流浪の民となり、住む場所を得るために聖竜討伐という「悪事」を引き受けたら、なぜか聖竜サイドにいた勇者たちとも敵対してしまった。
完全な悪手だった。率いる者として浅慮すぎる結果だ。
エリールは自分の導いた結果が最悪なものだと改めて思い直し、心底項垂れた。
「なにを悔しそうにしている。君の美貌にそんな表情は似合わん。笑わなくてもいいが、のんびりとするがいい。さぁ、他の者たちの様子を観戦しようではないか」
コイオスは「ふっ」と薄笑いを浮かべるも忘れない。
「あなたは一体なんなの?」
「私はコイオス。ティターン十二柱だ」
「旧神!? テミス様のお仲間!?」
「おお。テミスは我が姉だ」
「わ、私は………か、神に対してなんという無礼を………」
縛られたままエリールは土下座しようとしたが、コイオスはすっとその顎に手を伸ばし、頭を下げさせなかった。
「問題ない。私は神ではあるが、あのおっさんたちに何度となくボコられている。人と神とはいえ、こういう関係も楽しいものだ。おっと、土下座などしなくていい。そういうプレイはあとに取っておこう」
「プレイ?」
コイオスが美しい顔に邪淫の笑みを浮かべる中、エリールの視界の端ではドラゴン同士の戦いが始まっていた。
対峙するブラックドラゴンと聖竜。
その巨体を見て、カイリーの街では「逃げろ!」「世界が滅ぶ!」と大混乱に陥っていたが、現場の
『ジル、よいのですか? この姿のままでやりあえば周辺が不毛の地になりますよ』
『むっ……それは我の望むところではない。貴様も人化の術を使え、リィンよ』
『ほぉ、1800歳程度の小娘が私に古来の戦いを挑むつもりですか』
『たかだか200歳差だろうが! いいから早く人の姿になれ!』
ブラックドラゴンのジルと聖竜のリィンは同時に、それぞれが黒い光と淡い光に包まれた。
巨大なドラゴンの姿は消え去り、そこには黒翼と黒い尻尾を生やした美女────ジルと、半透明な翼と光の屈折で透き通って見える尻尾を生やした美女────リィンが、ほぼ全裸で見つめ合っていた。
どちらも長身で、どんな男も「ぉぉぅ……」と生唾を飲むような美しい肢体をしているが、元の姿はさっきのドラゴンだ。
そんなドラゴン族、それも上位ドラゴン族と呼ばれる十色ドラゴンの行う「古来の戦い」とは………。
「ゆくぞリィン!」
「かかってきなさい、ジル!」
二人の美女は右手を突き上げるように天に掲げ「蛇拳!」と叫んだ。
「ほい!!」
勢いよく振り下ろした手の形はそれぞれ違う。
「グー!」
「パー!」
ジルは拳を握り詰めたまま力なく膝を落とした。
リィンが人化した美女は「ふふん♪」と鼻を鳴らし、開いた手のひらをジルに見せつける。
「蛇拳………って、じゃんけんかよ」
その様子を横で見ていたジューンは白目を剥きそうになっている。
上位ドラゴン族はその戦闘力から、戦うと天が割れ大地が裂ける。そういった災害を起こさないように、古来より人化して最も早く、そして平和的に争いを終わらせる方法がこの「蛇拳」だった。
もちろんこの方法を伝来させたのは古の勇者であろう。手の形からしても日本式の由緒正しい「じゃんけん」だ。時代のどこかでじゃんけんが訛り、ドラゴンを連想させる蛇拳という名前になったのかも知れない。
「まだまだ甘いですね。相手の目線、表情、筋肉の動き、骨のしなり。すべてを予見して手を繰り出すのですよ、ジル」
「そんなことはわかっている。いや、わかっていた。くっ、これで35468戦17735勝か」
「いえいえ。私が35468戦17735勝ですよ」
「抜かすな。我のほうが………」
もう一度じゃんけんしそうな雰囲気のドラゴンたちを横目に、ジューンは面倒な相手と対峙していた。
横にはその婚約者のシルビアがいて、彼らの後ろにはアップレチ王国近衛騎士団の過半数が控えているが、騎士団の面々は戦いに参じるつもりはないらしく、剣も抜かずに遠巻きにしているだけだ。
ジューンはガーベルドと面識こそないが、コウガの話でどういう人物なのかはかなり聞かされている。
曰く────半魔族。人と魔族のハーフである。
曰く────無口キャラ。喋っても声が小さい。
曰く────婚約者大好き。
曰く────キレたらやばい。
曰く────この世界で一番剣技が強い「剣聖」である。
たゆまぬ努力の結果、アホのような強さを誇るジューンではあったが、気は抜けないなと気持ちを引き締める。
「どうしても俺達と戦うつもりか」
ジューンが問いかけると、剣聖ガーベルドではなく婚約者たる美女シルビアが応じた。
「主人はできれば戦いたくはないと言っています」
「え? ………いま、その人、一言でも喋ったか?」
「言わなくてもわかります。私は彼の婚約者ですから」
「そ、そうか。なんにしても、戦いたくないのなら引いてくれないか? 俺達はミノーグ商会の会頭だけが目当てだ。そいつが知り合いの女の子を誘拐しようとしてたので、ちょっと報復に来ただけだ。あんたらには関係ないだろう?」
「申し訳ございません。私達もその会頭に雇われましたし、明日をも知れない難民を受け入れてもらわねばならないのです、と申しております」
「そんな長台詞言ったか!? ピクリとも唇動いてないぞ!」
「以心伝心です」
「………仕方ない。恨むなよ」
ジューンは世のため人のために我が身を犠牲にする「善」ではないし、打算的な「悪」でもない。ただひたすらに我が道を行く。利己的、自己中心的な「中立」だ。
そしてその道を阻む者はすべて敵と見做す。三人のおっさんの中で最も熱血でありながら、最も敵に対して無慈悲な男だ。
そんな厄介なおっさんが【
柄についているツマミをいじれば、目に見えないものを……概念であろうと……吸収してしまうという、この大剣の本領を発揮できる。
だが、それはしない。
ジューンは自分の剣術がどこまで通じるのか試したい。特に相手は剣聖と呼ばれる男だ。試さざるを得ない。
「いくぞ」
言うなりジューンの姿が消えたかと思うや否や、ガーベルドの側面から大剣が横薙ぎに打ち込まれる。
ガーベルドはそれを見切り、二本のショートソードを「✕」のように重ねて受け止めた────が、受け止めたその体ごと宙に舞い上がっていた。
何が起きたのかわからない。
ジューンが放った剣圧が尋常なものではなかったせいで、体ごと吹っ飛ばされたと理解できたのは、地面に叩きつけられた時だった。
すぐさま立ち上がりながらガーベルドは思った。
────これは剣術云々の問題ではない、と。
剣の筋は見えていたので受け止めるのは容易だったが、物理的に、筋力的に、圧倒的に、根本的に、異次元の相手と戦っている気分だ。
────受けにまわっていたら負ける。攻めねば!
カーベルドは距離を一瞬で詰めて打ち込んだ。
だが、どんな剣閃もぺぺん!ぺぺん!といとも簡単に弾き返されてしまう。
しかもジューンは大して力も入れず、一番リラックスした状態でかる~く受け流す。アホの子のように反復練習した結果、そうするのが一番だとジューンの体が覚えているのだ。
圧倒的だとガーベルドは理解した。
人類最高峰の「剣聖」の名が子供のお遊びにしか思えないほど、ジューンは強い。このまま百年切りつけ続けたとしても掠りもしないだろう。
ガーベルドは二刀流のショートソードを地面に刺し、その場で座禅を組んだ。
「何の真似だ?」
ジューンはガーベルドではなく婚約者のシルビアに問う。
「あ、負けを認めたみたいです」
「他人事のように言うが、あんたも俺と戦うんだろう?」
「まさか。剣聖が勝てない相手に女の私がどうしろと」
シルビアはどこか嬉しそうにガーベルドの横に移動し、ニコニコしながらちょこんと正座する。
それを待っていたかのように後ろにいた騎士団の面々も「おわったおわった」「やれやれ」と言いながら正座を始める。
まるで負けることがわかっていて示し合わせたような、いや、わざとでも負けるつもりだったような対応だ。
「え、なに? 手抜き? 真面目にやろうぜ?」
ジューンが憮然として言うと、ガーベルドは目を見開いて首を横に何度も振った。
「本気でやって負けを認めたそうです」
「あ、そう……ってか、
気の抜けたジューンは、半分白目になりながら大剣を降ろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます