第2話 コウガは信じない?

 曽我そが恒雅こうがは眩しさに耐えながら薄目を開けた。


 足元に描かれた模様は、まるで悪魔でも呼び出す時に使いそうな奇っ怪なもので、チョークで描いたように見えるのに、黄色い光の明滅を生んでいる。どういう仕組みなのかさっぱりわからない。


 そして、自宅のワンルームマンションでは感じたことのない、強い風が部屋着スウェットの上下をパタパタと動かす。


 視界いっぱいに広がる曇天の空。


 ここは………ビルの屋上だろうか。


 年甲斐もなくぴょんぴょん撥ねて眼下を確認すると、砂漠が広がっていた。


 他のビルも道路も見えない。


「なんだよこれ。どうなってんだ。てか、なんで魔法陣から出ずに頑張ってんだよ僕は」


 馬鹿らしくなって魔法陣から出て、眼下がよく見える建物のへりまで移動してみる。


 ここはそれほど高い建築物ではないようだ。それでもマンションの四階くらいの高さはあるのだが、そこから見回しても文明を全く感じられない。


 鳥取砂丘に行ったことはないが、こういう感じなのだろうか。


「困ったな………って、ええ!?」


 振り返った恒雅は、魔法陣の近くに倒れ伏している人物にようやく気がついた。


 今の今まで外に気が向いていて、足元を見ていなかったのだ。


「なんだ………?」


 倒れ伏した者は、ピクリとも動いていない。


 恒雅は動かない者を凝視したが、どんなに見ても動きはない。呼吸すらしていないように見える。


 頭から真っ黒なフードを被り、黒いマントで体を隠しているが、そこからこぼれ出る手足と肌感は、どう見ても女性のものだ。


 さらに、強風にはためく黒いフードとマントの下は、一糸まとわぬ裸体だった。


「………」


 辺りを警戒しながら魔法陣の方に近寄り、太ももをチョイと突いてみる。


 柔らかい。マネキンではない。


 フードの中を覗き込んだ恒雅は息を呑んだ。


 日本人ではなく中東系外国人の女性だった。


 平たい顔の日本人からすると「濃い顔」だろうが、北欧とアジアの美しさを兼ね揃えたその顔立ちは「美しい」としか形容できなかった。


 ちょっと褐色の肌には「産毛もないのではないか!?」と思えるほどに、透んで見える。


 それに風にたなびくマントの下にある肢体のボリュームは、日本人の女性ではありえない骨格と筋肉のつき方で、豊満な胸、くびれまくった腰、そこからの豊満な腰つき………簡単に形容するなら「ぼん・きゅっ・ぼん」を現実のものにしていた。


 ここまで美しいと、もはや「芸術品」である。


 40代のおっさんならではの、ちょっとした性欲程度は持ち合わせている恒雅であっても、そこにエロスは感じない。まるで彫刻か絵画のような「高尚なもの」を鑑賞している気分になった。


「いかんいかん。確認しなきゃ」


 口元に手をやるが強風のせいで呼吸が確認できない。


 耳を近づけても風の音で呼吸音が聞こえない。


「仕方ない。これは人命救助だから!」と自分に言い聞かせながら、柔らかな胸元に手を伸ばす。乳房に行きそうになる手を胸の中心に持っていく────だめだ。心臓の動きが感じられない。


「え、どういうこと……どういうこと……」


 語彙力を失うほどに動揺した恒雅は、慌ててその女性を揺さぶった。


「大丈夫ですか!? 日本語わかりますか!? ここ、自動体外式除細動器AEDはないのかよ!」


 会社の研修で習った災害時の人工呼吸法を思い出す。


 胸の真ん中、つまり乳首と乳首を結ぶ中央に手を置き、肘を伸ばして体重をかけ、強く胸を押す。


 胸骨が折れるんじゃないかってくらい押す、と記憶している。胸が5センチくらい沈み込むまでだ。


 30回心臓マッサージしたら、人工呼吸をやる。


「おっさんの息を吹き込んですまん!」


 唇を開けてプフー!と息を流し込む。


 その二つを数回繰り返すと「ひゅう」と息を吸い込む音がして、胸が隆起した。


 正しい方法なのかわからないが、覚えていた部分だけでやってみたら、成果は出たようだ。


「よかった」


 へなへなとその場にしゃがみこんだ恒雅は、女性の頬をペチペチと叩いてみた。


「………」


 薄目が開く。


 エメラルドグリーンの綺麗な瞳は、エキゾチックビューティーな顔を更に美しく引き立てた。


 そして、恒雅の姿を見て驚いた顔をする。


『まぁ………突然日本人が目の前にいたら、驚きもするわな』と恒雅は落ち着き払っていたが、この外国人女性は大慌てで起き上がり、自分の体に手を当てた。


「ど、どうして私は生きてるの………」


 流暢な日本語だった。


「あ、日本語わかります? よかったぁ。あんた息してなかったんですよ」


「………あなたが………勇者様!?」


 突然震えだし、片言になったエキゾチックちゃんを前に、恒雅は笑みを浮かべた温和な表情で「ははは、勇者とは大袈裟な」と応じた。


 女はスッとその場で片膝を着き、頭を低く下げた。


 マントの下から見せてはならない体の部位が色々出ているので、恒雅は慌てて視線をそらす。もし、これが誰かによる壮大な悪戯で、動画撮影されていたら一生の恥になりそうだったので「紳士的に!」と自分に言い聞かせているのだ。


「お初にお目にかかります、勇者様。私は【エフェメラ】の一人でございます」


「えふぇめら?」


「はい。我が王国では『1日しか存在しえない者』という意味を持つ役職名です」


「………どういうこと?」


「ご説明には時間を要しますが………簡単に申し上げますと、私のようなエフェメラの命と引き換えに、貴方様、つまり勇者様を召喚するのです」


「まったくわからん」


「我が王国の召喚秘術は、人の命を媒介に────」


「あ、いや、そういうのはもういいからさ。これなに? ドッキリ? 上の人いない? どうやって僕をここに運んだの?」


「勇者様、お静まりください。なぜそのように荒ぶるのですか」


「いや、そんなどこかの山の神みたいな扱いやめてくんない? そうじゃなくてさ。ここはドコ?」


「アップレチ王国にある召喚の塔という王家伝来の聖地です。説明が遅れましたが、勇者様からすればここは【異世界】でございます」


「異世界……異世界……異世界?」


 反芻するように「異世界」という単語を繰り返し、恒雅は苦笑した。


 今時そんな安易な設定で40過ぎたおっさんを騙せるものか、と。


「勇者様にはこの世界の魔王を倒していただきたく………」


「ははは。すごいなぁ。あんた役者さん? こんな近くでプロの演技を生で見るなんてなかなかないわぁ」


「いえ、演技ではなく………」


「役者さんじゃなかったら、そんな恥ずかしい恰好してられないもんね。いやぁ、凄いね。それって役者魂ってやつ? で、わかったからさ。なんか偉い人、ほら、プロデューサーとか? 誰かいるんでしょ。会わせてよ、文句言うから。てか、どうやって運んだの? 僕は自宅にいたはずなんだけど? なにかの薬物使った? ちょっと笑えないんだよね、それ。どこのテレビ局? 然るべきところに出るからさ、その前に偉い人と話しさせてよ。あ、もしかして最近話題のユウチュウバァって奴? 無茶苦茶するなぁ。常識的に考えてダメでしょ、こんなことしたら」


 恒雅の説教じみた言葉が続く中、女はスッと立ち上がった。160センチの恒雅より随分背が高い。


「?」


「勇者様、正直うざったいので、とりあえず申し訳ございません」


「え」


 手刀を首筋に叩き込まれた恒雅は、引きつった笑顔のまま白目を剥いた。

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