013. death
あるところに、美しい母と美しい姉妹がいます。
オパールの長女は屋敷を飛び出して消えます。
行き先は知っていたけれど、追いません。
代わりに、
ルビーの次女は目を真っ赤に泣き腫らして送られてきます。
あまりに醜いので、受け取りません。
代わりに、
ペリドットの三女は、下の妹には絶対に手を出さないのなら、と言ってやってきます。
鼻が曲がりそうになり、扉を閉ざします。
代わりに、
エメラルドの四女は、たくさんの兵士や侍女に守られて泣き喚き、部屋を出ません。
馬鹿馬鹿しくて、催促する気も起きません。
代わりに、
* * *
夜も昼も、西も東も、高貴も下賎も、この私には違いがない。
いつでもどこでも誰でもが、私の求める
国一番の錠前師が心血注いで作り上げた鍵も私には意味がない。
どこにでも
私は自由だ。
ただひとつ、この大鎌が手から離れぬことを除いては。
人々はみな私を恐れる。
私に出会うまいと祈り、努力し、そしてついに誰もその望みを叶えることはない。
私は、誰にでも現れる。
気紛れに、時期の交渉に乗ってみたことがあった。
真珠と呼ばれたその女には見覚えがあった。
女の父母やきょうだいはかつて、私の稔りとなった。
余談だが、若いものと老いたものとでは味が違うのだそうだ。
私は知らぬ。私は刈った稔りを口にすることがない。
真珠姫は、男の子が生まれるまで自分と夫を刈らないでくれと懇願した。
彼女の産み落としたオパールが産着の中で眠っていた。
だから私は言ってみたのだよ。
やがて
真珠は、悩みもせずに承知した。
さあ、それからだ。
オパールは美しい娘だった。
しかし彼女は、母の真珠が私と交わした約定を知ると悲嘆に暮れ、花のかんばせを自ら傷付けた。
彼女は私をまるで理解していなかったので、自分がとびきり美しいから私に望まれたのだと考えた。けれども私はオパールの美しさを側に置きたかったわけではない。オパール自身に興味などない。気紛れに決めた、真珠との取引道具にすぎない。
次々と妹を産む母とオパールの仲は冷え切り、私の城に送り込まれる寸前になって彼女は従者の男と姿を消した。
行き先は知っていたが、私は追わなかった。
代わりに、彼女の顔の傷を、道連れの従者の男に移した。
彼女は醜くなった男を受け入れられず、短い駆け落ちの旅は簡単に壊れた。顔一面に傷のある女でも愛してくれた男に対して彼女は、顔一面に傷があるのが怖いと言って態度を変えたのだから、当然のことだろう。
男は刃物を手に取った。
真珠の次女ルビーも美しい娘だった。
この私に差し出される呪いを受けたのは姉ひとりだとたかをくくり、幸運と美貌をほしいままにして育った。
姉が想いを寄せる男を横取りする悪い癖は母親に似た。母親の真珠もそれを促した気がある。姉に憎まれても平気だった。姉は近いうちに永遠にいなくなるのだから。
何でも許される。そう思って育ったルビーは、姉の出奔で一転、混乱に突き落とされる。
約束の期日に姉が行けないなら次の子のお前が、と真珠が言い出したからだ。
はっきり言って、私はそんな約束をしてはいないのだが、とにかく真珠はそう思い込んだ。オパールがだめでも、同様に美しいルビーを送れば約束を満たすだろうと、勝手に考えた。
真珠はルビーを捕縛した。
やがてルビーは目を真っ赤に泣き腫らして送られてきた。籠の中からは泣き
オパールが
オパールを探してよ。
私を手放すなんて。
お母さまは私が可愛くないの?
お母さま、たすけて。
送るなら他の妹にしてよ。
オパールを探して連れてきてよ!
その言葉があまりに醜いので、私は受け取らなかった。
代わりに、姉オパールを殺した男に与えた顔一面の傷をルビーに移してやった。
オパール殺しで捉えられた男の顔には、今や人殺しの囚人を示す焼き印がついていた。ルビーはその焼き印も引き継いで真珠の元に戻ったが、真珠がそんな顔の娘を受け入れるはずがなかった。
夜、真珠はルビーを乗せた籠を密かに別荘に送り出し、後から殺し屋を放った。
別荘までの森にはいくらでもルビーを埋める場所がある。
美しい三女ペリドットは、ルビーの血に染まった道の上をそれとは知らずに通ってやってきた。
人一倍正義感の強い彼女は、人を罰することに
その結果、屋敷中の犬に怯えられ、屋敷中の侍女に恐れられ、突然医者を失った従姉は死んでいなくなったが、ペリドットが気付くことはなかった。
彼女は母である真珠を殺すべきだったのではないかと私は思う。娘を私に差し出すような罪深い契約をした母だ。しかしペリドットの断罪が家族に向けられることはなかった。
彼女は私を罰するべきだと考えてやって来た。
門の向こうからは濃厚な殺意が血濡れた臭気を放ち、それでいながら彼女は震えるか弱い娘の姿と声音を作って、下の妹には絶対に手を出さないのなら私があなたのものになりましょう、と言った。
殺意と嘘の悪臭に鼻が曲がりそうになり、私は扉を閉ざした。
代わりに、ルビーの顔一面の傷と人殺しの焼き印を今度はペリドットに移した。
ペリドットは、私に嘘がばれないとでも思ったのだろうか。私はこの世のいかなる嘘も最大の闇をもって秘密に閉じる者だ。
家に帰ったペリドットの顔を見て真珠は絶望するだろう。そして恐らく、ペリドットも殺す。
美しいエメラルドの四女は、たくさんの兵士や侍女に守られて泣き喚き、部屋を出なかった。
エメラルドは真珠が最も可愛がった娘だった。エメラルド自身、誰より可愛がられていることを知っていた。オパールよりもルビーよりもペリドットよりも、真珠はエメラルドを甘やかした。エメラルドが一番真珠に似ていたからだ。
だからエメラルドは、母親が自分を送り出そうとしたがらないことを確信していた。自分だけは守ってくれると信じて喚いたのだ。
オパールが生け贄のはずでしょ。
オパールを探してよ。
お母さま、たすけて。
送るなら他の娘を代わりにしてよ。
近くの村にいくらでもいるでしょ。
オパールを探して連れてきてよ!
これではあのルビーと変わりがない。馬鹿馬鹿しくて、私は催促する気もしなかった。大体、オパールの代わりを寄越せばそれでよいという取り決めはないのだし。真珠が勝手にそう考えているだけだ。
私がしたことはもちろん、ペリドットの顔一面の傷と焼き印をエメラルドに移すことだった。
様子を見にエメラルドの部屋を覗いた真珠は、屋敷の外まで聞こえるほどの悲鳴を上げたという。
さて、真珠の夫が六十になる日が近付いてくる。
余談だが、生や欲に強い心残りを持つ者は味が違うのだそうだ。
私は知らぬ。私は刈った稔りを口にすることがないのだから。
夫の誕生日より一年も前に姿を見せると、真珠は泥水を浴びせられたような凄惨な顔をして暖炉の前に腰を抜かした。
「まだ。まだ一年あるはず」
息のできない魚のように苦し気に、真珠は
「わたくし、妊娠しているわ。今度こそ男の子よ。今度こそ。だから」
「子が女だろうと男だろうと、おまえはすぐに私に刈られる。ならばどうでもいいだろう。金も
「夫が六十になるまでと約束したはず」
「オパールが届かないのに私だけが約束を守ると?」
「それは、」
「もう飽きた。刈ることにする」
オパールの
虫のように床の上を逃げ回る真珠を刈った。そのまま階段を降りていくと真珠の夫が帰宅したところだったので刈った。扉を抜けて外に出ると燃えるような夕焼けが昼間の夢から覚めて青に捕らえられていくところだった。
美しい。
私はそれで、思わず足を止めた。
青。
まだ、サファイアがいる。
美しい母と美しい姉たちを持った五女サファイアは彼女たちのあらゆる美の辻褄を合わせるかのように恐ろしく平凡な――真珠に言わせれば『怪物みたいに貧乏くさい』娘だった。
四女エメラルドの双子の妹。母である真珠もついぞ顧みることのなかった、忘れられた子。
晩餐や舞踏会でまるで見映えがしないどころか不格好で悪目立ちするという理由でサファイアは、ずいぶん昔から別邸の親族に預けられていた。真珠は、飛び抜けて美しい者のほかは身のまわりに置きたがらなかったからだ。
昼と夜を幾つか越えて進んでいくと、やがて林檎の樹々の間に背の高い娘の姿が見えてくる。
他の姉妹たちより一回りも二回りも大柄で、日に焼けた肌はそばかすだらけ、庭仕事に明け暮れた手は乾燥して細かな傷がある。母親の真珠が、こんな田舎くさい娘を産んだつもりはない、お前は父親の先祖に似たに違いないと言い放って追い出した娘はしかし、この世のどこへ行っても二人といないような、空よりも海よりも蒼い眼の持ち主だった。
サファイア。その名をつけたことだけは真珠の功績だ。これほど彼女にふさわしい名もない。
全てを見通す第三の目といわれる宝石サファイア。真珠はこの蒼い眼を嫌った。しかし真珠は私が刈ったので、サファイアはもはやこれ以上、実の母に嫌われることがない。
もちろん私も、ことがそう単純でないことくらいは知っている。真珠本人が消え失せたとしても、記憶の中にいる真珠がこれからもずっとサファイアを嫌い、
林檎の樹の下で彼女は、まだ呼ぶ前からこちらを振り返り私を見る。
他の姉妹たちのように、あるいは母のように、私を恐れはしない。彼女はいつもそうだ。
いつも死の淵にいると思っている。
いまが死の瞬間だと思って生きている。
生きていることの方が、例外的で、異常だと思っている。
だから彼女は、私を恐れない。
「あなたの鎌からは血の臭いがしないの」
造り声ではない、低い地声でサファイアは言う。
「残酷や汚物の気配がない。あなたから感じるのはいつも、結晶した時間の香りだけ。甘くなく、すえてもいない、つめたくて穏やかでとてもいい香りよ。
それが死というものよね」
「私に会っていい香りなんて言うのは君くらいだよ、サファイア」
「ええ、私をサファイアと呼ぶのもあなたくらいのものね、死神さん。みんな私の名前を呼ばない」
私は人を刈る大鎌を持っている。
サファイアの足元には庭仕事に使う道具が置いてある。
自分は今死んでいる最中なのだと言いながらサファイアは、いつも草木の世話をしている。
その時、何故そんな言葉を発したのか今でもよく分からない。私は出し抜けに、君の家族を残らず刈った、とサファイアに言った。
サファイアは空のように無関心な眼をして、私に家族なんかいないけれど、と言った。
「でも、私、随分前から夢に視ていた。一応、あの人たちに手紙も出したの、きっとこうなるから用心した方がいいと。……読まなかったんでしょうね、私からの手紙なんて。それとも、読んで、鼻で笑ってそのまま捨てたか」
「夢」
「そう、夢。ねえ死神さん、私の夢、当たるのよ。
ということはね。
私、やがて、自分の死に方とその時期を夢に視るの。
死を待って生きているの。
私は、死ぬときまで今を死に続けるの。
あなたではなく、私こそが、死なのよ」
私こそが。
「どんな」
どんな夢を視たのかね。
そう問う私は、手にした鎌の柄が何か柔らかいような気がし始める。
「長い夢だった。何日にも分けて視たわ」
日光の熱を頭の後ろに感じる。
そんなことはこれまでなかった。
あの日以来、なかった。
サファイアが手にした農具が影を伸ばす。
空色の瞳は穏やかに澄んで熱がなく、
結晶した時間の予兆が宿って。
そしてサファイアは語り始める。
「――あるところに、美しい母と美しい姉妹がいます」
ああ。
サファイア、
時の
お前の瞳は美しい。
最後まで聞いた時にはすべて、終わっているだろう。
* * *
夢ではなかった、と思った。
私たちはすでに同じものだったので、同じ光景を見たのだ。それが、離れている私には夢のかたちで訪れただけのこと。
林檎の樹の下には黒い炭の欠片のようなものが一掴み。
それも間もなく風に消える。
記憶が融け合う。
私は限定された私――サファイアではなくなる。
無限にも思えるほど長く大量の記憶が私の意識の底に満ち満ちていく。
育てた果実を予定通り食べたのである。
私のようなものでも補給は必要で、
それには若い魂が一番なのだ。
私はあの世の者たちのように、刈った魂を喰うことはないが、
生きたままの魂を取り込むことはする。
そうして私はサファイアに移った。
今や、真珠やその娘たちを刈った私と、それを夢に視ていたサファイアは、同じひとつのものである。
どこにでも
私は自由だ。
ただひとつ、この大鎌が手から離れぬことを除いては。
人々はみな私を恐れる。
私に出会うまいと祈り、努力し、そしてついに誰もその望みを叶えることはない。
私は、誰にでも現れる。
私は、どこにでもいる。
《了》
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