第50話

愛菜が入局してから、1ヶ月が過ぎようとしていた。


彼女の仕事量は本当にすさまじい。


元々、ITの技術は持っていたのだ。


その能力を充分に発揮していたし、そうすることを彼女も望んでいた。


「もうだいぶ慣れた?」


恒例の二人きりランチ。すっかり夏が来て、社屋の屋上にはドームが現れた。


そこではエアコンがしっかり効いていて、だけど屋外の雰囲気は味わえる、この季節ならではの局の風物詩だ。


自然な風になるよう設計されたそよ風が、わずかに髪の先を揺らす。


「結局、私はまだ一度も、長島副局長に会えてないんだけど」


愛菜はずっと、そのことを気にしている。


「なに? もしかして狙ってるの? ライバル多いよ」


もちろん私的には冗談のつもりだ。


だけど愛菜は、確実に腹を立てた。


「あんたと一緒にいると、本当にイライラする」


だったら誘わなければいいのに。


そう思いながらも、私は相変わらず社食を口にする。


どうして愛菜は、まともに食べもしない弁当を、毎日手作りしてくるんだろう。


あの神出鬼没の天才少年は、見事に愛菜の不在の時にだけ、部署に現れる。


「誰にも捕まえられない人だから、仕方ないよ」


私は笑ってみせる。


「でも、会いたいと願えば会えたりするから、本当に不思議だよね」


「あんたが会いたいと願えば、会えるわけ?」


「そういうわけじゃないけど、たまにそう思う。ってゆーか、それ絶対偶然だから」


慌てて言い分けをしてみたけど、私としては実際の現象に基づいて言っているだけで、それ以上の意味はなに一つ含んでいない。


「ふーん、なるほどね、分かった」


愛菜は立ち上がった。


「じゃ、ごちそうさま、お先に」


やっぱり愛菜は、今日もまともにお弁当を食べていない。


一足ごとに、愛菜の背中が遠のく。


それが寂しいと思えるくらいには、私はまだそこに留まっていた。


部署の雰囲気も、次第に戻りつつあった。


愛菜は相変わらす横田さんと芹奈さんの二人に挟まれていて、残りの私たちは和気あいあいと雑談をしながら、画面を眺めている。


少し落ち着いてきた私のPPは、1688。


まずまずと言ったところ。


さくらに励まされたのと、透明な彼に心配されたから、前向きに気持ちを持って行くようにしている。


たけるに話しかけることも、少し減って落ち着いてきた。


横田さんがいつも愛菜と芹奈さんにだけ笑顔で接していることが、少し気になるだけ。


マッチングの魔法は強い。


「なんか、好きな人が欲しいな」


オフィスの天井を見上げて、思わず口に出してしまった心の声。


しまったと後悔する一瞬を待たずに、芹奈さんと七海は大爆笑を始め、横田さんと愛菜は苦虫をかみつぶしたような顔でこっちを見ている。


「はいはいはい! だったら、僕が立候補しますよ!」


すぐ隣の市山くんが手を挙げると、さくらは私にたけるを押しつけた。


「あんたには、たけるがいるじゃない!」


「たけるとは、また次元が違うの!」


こっちだって恥ずかしい思いをしているのに、聞き流してくれたっていいじゃないか! 


私はたけるをぎゅっと抱きしめた。


「私が前に渡したPPアップ、やってくれてるの?」


芹奈さんが言った。


「あれ、たける依存から離れて欲しいねらいもあったんだけど」


「どこのどの項目がそれに該当するんでしょうか!」


「もし明穂ちゃんが本当にそう思っているのなら、私もちょっとはお役に立てたかもね」


芹奈さんはそんなことを言いながらも、ずっと笑い転げている。


悪いのは私って分かっているけど、これ以上ここにはいられない!


「ちょっと頭冷やしてきます!」


たけるを抱きしめて走りだす。


廊下を駆け抜けてどこに避難しようか考えたけど、どこにも行く当てがなかった。


それでなぜか、受付カウンターに来てしまった。


「どうかなさいましたか?」


エリート受付嬢に声をかけられて、何でもないですと頭を下げる。


ロビーに置かれた応接用のテーブルに座って、出されたオレンジジュースを飲んだ。


疲れる。


テーブルの中央に向かい合うようにして置いた、ピンクうさぎのたけるはなにも言わず、いつでもそばにいてくれる。


「でも、さっきのアレは、さすがにウカツだったわ」


ポケットのスマホが着信を知らせた。


取り出して見てみると、天才少年からのメッセージだ。


『僕はあなたが好きですよ』だって。


本当に彼は一体どこでどうやって、私を監視しているのやら。


何か返事を打とうかと思ったけど、彼の冗談を真に受けたと思われるのも嫌なので、そのままにしておく。

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