第181話 静心なく花の散るらむ

 ――時間は開戦間近に遡る。


 緊張や恐怖、興奮。

 王国軍数万が発する感情。

 極限状態の人間達が発するそれは、火傷しそうな程の熱となってゼービアの背中を焦がしていた。

 大軍の先頭を駆ける彼女の剣が、開戦の火蓋を切って落とす。


「せえええいっ!」


 裂帛の気合と共に、ゼービアの剣がオークの喉を切り裂く。

 そのオークは、戦場における第一の犠牲者となった。


 喉元から鮮血を吹き出しながら崩れ落ちる豚頭の怪物。

 そんなオークの膝と肩を軽快に蹴って、ゼービアは瞬く間に天空を舞う。


 空中で軽やかに身体を翻すゼービア。

 そんな彼女を、先陣のオーク達が唖然として見上げた。


 ゼービアは空中で細身の剣を振るう。

 一瞬の出来事であったが、剣の軌跡は幾重にも及んだ。

 その剣筋は、例えるなら吹き荒ぶ突風。


 ゼービアが地面に静かに着地した時。

 その周囲では10を超えるオーク達が態勢を崩していた。

 オーク達は皆、目元を切り裂かれ、その視界を奪われていた。


「「「うおおおおお!」」」


 刹那、王国軍とオーク共が本格的な衝突を始める。

 その中でも特筆すべき働きを見せているのは、やはりゼービア直属の王国近衛兵達だった。


「近衛は敵の戦闘力を奪うことだけに専念しなさい! とどめは後続の領主軍に任せるのよ!」


 叫びながら、ゼービアは迫りくるオークの丸太のような太ももを切り裂き、移動力を奪う。

 奇襲を受けた王国軍はまともな陣形など取れておらず、既に乱戦の様相を呈しつつある。

 精強な近衛は敵の戦力を削ぐことだけに注力すべきと判断した。


「はあああああっ!」


 ゼービアは最小限の動作で的確にオーク達の戦闘力を削いでいく。

 一切の無駄のないその所作は美しく。

 舞うようにオーク達を切り裂いていく。


「突出しすぎです、大将軍!!」


 ゼービアに付き従う側近の部下がそんな声を上げる。

 いつの間にかゼービアは敵の奥深くまで攻め込んでいた。


 そんな事は、百も承知だった。


「だったら、あなた達が全力で私に付いてきなさい!!」


 ゼービアは焦っていた。

 オーク共を斬り倒しながら、遥か彼方に目を向ける。

 到るところからオークの大軍が途切れることなく雪崩込んで来ていた。

 広大なフレジア平原がオーク達によって埋め尽くされようとしている。


 予想よりもずっと数が多い。

 おそらく既に敵の数は10万を超えている。

 こちらの数は7万弱。

 ただでさえ、オークには2倍の兵力を以てあたるべしというのが兵法の常識なのに。

 オークの数はまだまだ増えつつあった。

 このままでは――。


 剣を振るいながら、身につけた黄金の鎧がずしりと重くなるのを感じた。


 いや、ならばこそ。

 ゼービアは必死に絶望を振り払って身を引き締める。


 ――私は将であると同時に剣聖なのだ。


 剣聖とは、王国最強の剣士に与えられる称号。

 その名は決して軽くない。

 歴代の剣聖は、幾度も戦場で奇跡を起こしてきた。


 ――今度は私が奇跡を起こす番だ。


 ゼービアの剣閃が鋭さを増す。

 劣勢の王国軍に、その剣で勝利をもたらそうというのだ。


 真冬の澄み切った空に、ギラギラとした陽光が容赦なく降り注ぐ中。

 若い剣聖は健気にも、王国軍を背負って剣を振るい続けた。





 開戦してどれほどの時が経ったのだろう。

 響き渡るのは、悲鳴に怒号。激しい剣戟の音。

 鼻につくのは、血と汗と糞尿の匂い。

 戦場特有の空気だった。


「……はあ……はあ……きえええいっ!」


 枯れた喉で全力で叫び、迫り来るオークの腹を斬り裂いた。

 飛び散る血飛沫と臓物の破片。

 それらを全身で浴びながら、ゼービアは迫りくる別のオークと剣を合わせる。


 視界は血と汗で霞み、喉は焼け付きそうなほど乾いている。

 肺は絶えず新鮮な空気を求め、心臓は痛いくらいに脈打っていた。


 それでも、必死に全身を奮い立たせてオークの手首を切り落とした。

 手首と共に武器の棍棒を落としたオークの脳天をかち割る。

 もう加減など、する余裕はなかった。


 ただ、ただ迫り来るオークを殺していく。


 ゼービアの姿は酷いものだった。

 その艷やかな紺色の髪も、麗しいかんばせも見る影はなく。

 眩いばかりに輝いていた黄金の鎧と同じ様に、血糊と臓物に塗れている。


 まだ若干20歳の娘であるゼービアの手は細く繊細で。

 極度の疲労によって、小刻みに震えていた。

 そんな手に握られた細身の剣は刃毀れが酷く、オークの血と脂によって切れ味は無いも同然だった。


「――リヴァイア」


 しかし、ゼービアが短く呟くと、剣は瞬く間にその輝きを取り戻していく。

 血糊や脂は取り除かれ、毀れた刃までが修復されていった。

 再剣リヴァイア。

 ゼービアの持つ魔剣で、魔力を込める事によって、例え折れようとも再生できる剣だった。

 万夫不当の働きが期待される剣聖に相応しい銘剣だ。


 しかし、剣の再生と引き換えにゼービアは目眩を感じた。

 もともとゼービアの魔力はそれほど多くない。

 魔剣を使いすぎれば、たちまち魔力不足に襲われて戦闘不能に陥ってしまう。

 剣の再生は回数制限付きだった。


 それに、いざという時の用の魔力を残しておかなければならない。

 ゼービアは腰に差したもう一振りの魔剣を気にかけながら思った。


 しかし、迫り来るオークの数は留まるところを知らない。

 もう何十体目かわからないオークを斬り捨てる。

 2本の魔剣でどこまで戦えるのか。


「ぐああああっ!」


 側で戦っていた近衛兵が断末魔の叫びを残して散っていく。

 他の兵たちはゼービアの様に武器を再生出来ないのだ。

 徐々に武器や装備は摩耗し、その生命まですり減らしていく。

 ゼービアに付き従う近衛兵は明らかに数を減らしていた。


 再び、何かがゼービアに重く伸し掛かって来る。

 彼女は知っていた。

 それに飲まれてしまえば、剣を落として泣き崩れてしまう事を。

 だから必死に抗う。

 例え待ち受けているのが、その身の破滅だったとしても。


「大将軍!!」


 その時だった。

 側近が東の空を眺めながら声を上げる。


「彼方の空にドラゴンの影が見えます! すごい数です!! 中央に一際大きなドラゴンが!!!」


 喜色を帯びた側近の声。

 不意に。


「…………ふえっ」


 目頭が熱くなった。

 鼻の奥までカーっと熱くなる。


 ――やっと来てくれた。


 彼女は焦がれるようにそれを待ち望んでいた。

 どんなに絶望に襲われようとも――。


 一度想ってしまえば、縋り付いてしまいそうで。

 開戦してから、ずっと心の奥底に閉じ込めていた想いが濁流となって押し寄せる。


 ――きっとあの人がなんとかしてくれる。


 征夷大将軍なのに。

 剣聖なのに。

 そう思った瞬間、ただの娘に戻ってしまいそうで。

 ゼービアは鼻を啜りながらも、必死に自分を保つ。


「みんなっ! ハイランダーが到着するまでもう少し持ち堪え――」


 嬉しそうなゼービアの鼓舞は、しかし――。


「威勢ノイイ女ダ」


 ――不意に聞こえてきた底冷えのするおぞましい声に遮られていた。

 次いで、落とされる巨大な影。


 その影の持ち主を見上げたゼービアは、思わず生唾を飲み込んでいた。

 そして、全身の血液が引いていく。


「戦ナド退屈ダト思ッテイタガ、マサカ女ニ会エルトハナ」


 は人語を操っていた。

 その事だけでもゼービアの脳が警鐘をかき鳴らすには十分だった。


 オークやトロルよりも更に巨大な体躯。

 ゼービアの三倍ほどもあるその巨体は全身真っ赤で。

 粗野な腰布だけを巻き付けているが、鋼のような筋肉に覆われている。

 巨大な口から鋭利な牙が覗き、その額には2本の角が生えていた。

 角の生えた赤い巨人。


 オーガ……。


 ゼービアの脳裏にはそんな名前が、焼けるように浮かび上がっていた。

 オークやトロルなんて比べ物にならないくらい強力な魔物だった。

 人類の歴史を紐解いても、数える程しか出現していない希少な魔物でもある。


 ゼービアはガタガタと震えながら、必死に、読んだ歴史書の内容を思い出していた。

 でも、どうしても思い出せない。

 というよりも、存在しないのだ。

 かつて人類は、何度か大軍で討伐を試みたのに。

 ……一度もオーガに勝てたという記録はなかった。


 実際にオーガを目の当たりにしたゼービアには判った。

 その強者特有の圧倒的な存在感。

 こんなのに勝てるわけない。


「……フム。薄汚レテハイルガ、ナカナカノ器量ヨナ。ヨシ、儂ノ子ヲ孕マセテヤロウ。人間ヲ犯スノハ初メテダガ、子種ヲヤルマデ壊レヌトヨイナ」


 オーガは巨大な顎を歪ませて、ゼービアを好色な目で見下ろす。

 その手には無骨な片刃の剣が握られていた。

 振り下ろしただけで大地が割れそうな程、巨大な剣だった。


 ゼービアは、ただ怯えることしか出来なかったのだが。


「この化物!!」


 果敢にも近衛兵の一人がオーガに槍を突き立てた。

 オーガにとっては針ほどの大きさの槍は、その脛に刺さる――事なく、冗談みたいにひん曲がった。

 鋼鉄の槍が、である。


「ひ、ひいいい!」


 勇敢だった近衛兵がガタガタと震えだす。

 オーガはそんな近衛兵をつまらなそうに眺めると、巨大な剣ではなく、掌を振り下ろした。

 まるで止まった蝿を潰そうとするかのように。


 近衛兵が巨大な掌の影に覆われた。


「何をしているの!? 逃げなさい!!」


 気付いた時には、身体が勝手に動いていた。

 全く動こうとしない近衛兵を蹴り飛ばす。

 そして――。


「あがっ!!」


 全身に重い衝撃と痛みを感じた。

 身体がバラバラになったような気がして。

 初めて体験する激痛だった。

 ゼービアの意識は、痛みから自己防衛をするかのように徐々に閉じていく。


「活キノ良イ娘ヨ。思ワズ潰シテシマウ所ダッタゾ」


 オーガは気絶したゼービアの両手を、巨大な指で摘んで持ち上げる。

 砕け散った黄金の鎧がボロボロと崩れ落ちた。

 半裸になった素肌は傷だらけで、その口元からは一筋の血が流れている。

 オーガに摘まれたゼービアは、まるで磔にされた生贄のようで。

 消えゆこうとする炎がそうであるのと同じ様に。

 儚げに美しかった。

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