第40話 ケンカ

 家についた時は、まだ早朝と言っていい時間だった。

 いつもならまだ寝ている時間だ。

 なので、ルーナを起こさないようにこっそりと入った。


「……あ、おかえりなさい」


 物凄くびっくりした。

 寝ていると思っていたルーナが、ぽつんと椅子に座っていたからだ。

 両手を膝の上に置いて、しょぼんとしながらテーブルについている。

 その目は赤く、まぶたが腫れていた。


「……寝ていないのか?」


 俺はただいまも言わずに、そう聞いていた。

 こんな早朝に起きていて、まぶたを腫らしているなんて答えは一つだ。


「え? ち、ちゃんと寝たぞ」


 目を反らしながらルーナは言うが、その仕草でルーナが嘘をついているのがわかった。

 ルーナはよろよろしながら立ち上がると、しがみつくように抱きついてきた。


「なあ、とりあえずギュってしてくれ」


 言われるがままに、ルーナを抱きしめる。

 ルーナは震えていた。


「……コウ、コウ」


 名前を呼ばれる度に、ルーナを抱く力を強くしていく。

 そして、ルーナは静かに嗚咽を漏らし始める。


「うっぐ……ひっぐ……ひ、ひとりで、眠れるわけないじゃないか」


 ルーナは俺の服をギュッと掴んだ。


「……すぐに帰ってくるって言ったのに」


 俺はとりあえず、ルーナの柔らかな髪を梳くように撫でていた。

 どうしよう。

 さすがに、罪悪感を感じる。

 一晩中、このテーブルに座っていたのだろうか。

 目が腫れている所を見ると、泣いていたに違いない。

 その時、俺は何をしていたかというと、カンナさんとやっていたのだ。

 クズ男ここに極まれりだ。


「……な、なあ、昨日は、その」


 ルーナが何かを言いかける。

 昨日はどうせ他の女と浮気してたんでしょ! ばしっ(ビンタされる音)。

 きっとこうなる予感がする。


「い、いや、なんでもない。なあ、お風呂に入ろう? お前がいないとお風呂に入れないんだ」


 確かに俺がいないと、お湯を出せないから風呂に入れないのはわかるが、予想に反して、ルーナは何も言わなったのが気になった。


「あ、ああ。そうだな。風呂入るか」


「うん……。あ、あと」


 言いながら、ルーナはついばむように俺にキスをする。

 最初は軽く、そして徐々に濃厚になっていく。


「むぅ、ちゅっちゅ、じゅるっ、はあ、コウ、コウ!」


 生きるために必要不可欠な栄養素を摂取するように、ルーナは俺の唾液を嚥下していく。

 ルーナの身体がどんどん火照っていくのがわかる。

 俺はそんなルーナとキスをしながら、心がざらざらとするのを感じた。

 ついさっきしたカンナさんとのキスと比べてしまう。

 カンナさんとルーナの味が違う。

 唇の感触も違う。


「……な、なあ、服を脱がせて? このまま、お風呂でしよう?」


 俺は言われるがまま、ルーナのチュニックをまくり上げて。

 とりあえず生乳を揉んだ。

 そして思うのだ。

 ……これは、このままエッチして浮気が有耶無耶になるパターンだろうかと。

 まあ、それはそれでありがたいのだが。

 ルーナはそれでいいのだろうか。

 チョロいにも程がある。

 いや、チョロいとかじゃなくて。


 気づいた時には手を止めて、下ろしていた。

 キスをするのもやめる。


「……どうしたんだ? もっと触っていいんだぞ?」


 荒い呼吸で、ルーナがポカンとした表情を浮かべる。

 チュニックはめくれ上げられ、胸をさらけ出し、その口元は唾液に濡れている。

 なんというか、物凄くそそる。

 そそるのだが。


「……なあ、俺が昨夜何をしていたか聞かないのか?」


「ええ!? いや、それは、その、あ、あれだろう? 前みたいに、普通に部屋を用意してもらって、一人で寝たんだろ?」


 ルーナの長い耳が垂れ下がり、視線がきょろきょろと泳ぎだす。

 必死に都合の良い解釈をしようとしてくれる。

 それは俺にとってはありがたい。

 多分、気づいているであろう俺の浮気に目を瞑ってくれて、身体を重ねることでチャラにしてくれようとしている。

 これは夢かと思うほど、俺に都合がいい。

 というか、そんな女いるだろうか。

 美人でスタイルも良くて、すぐにやらせてくれて、浮気しても怒らない。

 しかも性格もいいと来た。

 男の理想だ。

 でも、ルーナにとっては、それはどうなんだろうと思う。

 いつか俺と別れて、ルーナが他の男と付き合った時、都合よくヤり捨てられて泣くルーナの未来が簡単に想像できる。

 この女はこのままじゃダメだと本気で思った。

 最近は俺も結構、ルーナに情が湧いてきていた。

 なので、ルーナには幸せになってもらいたいと思うのだ。

 結構切実に。


「……昨日は、俺、カンナさんと」


 俺は昨日の出来事をルーナに告げようと思った。


「嫌だ! そんなの聞きたくない!」


 ルーナは長い耳を両手で塞ぐ。


「聞けって!」


「嫌だ! 絶対嫌だ! ……他の女の臭いをプンプンさせて帰ってきたお前の話なんて聞きたくない」


 ルーナの目から、大粒の涙がこぼれだす。

 なんでそこまで判ってて、知らないふりをするのか。

 ルーナにとってのメリットが全然わからない。

 今なら簡単に慰謝料とれるだろうに。

 請求されたら、全力で逃げるが。


「……なあ、もういいじゃないか。忘れよう? 一緒にお風呂に入ってなかったことにしよう?」


 すがりつくようにルーナが抱きついてくる。


「……お前は、それでいいのかよ」


 腹の奥から、絞り出すような低い声が出た。


「……いいわけない。でも、仕方ないじゃないか。……それとも、お前は私よりあのメイドの方がいいのか? もう、私とは、し、したくないのか?」


 ルーナはガタガタ震えだす。

 したくないわけない。

 現にあれだけカンナさんとやったのに、俺の身体はビンビンに反応していた。

 やろうと思えば、今から一日中ルーナを抱くことだって出来る。

 でも、俺は何も答えなかった。

 なんか答えたくなかったのだ。


「……ううっ、ふぐ、ひっく」


 ルーナは嗚咽を漏らし始める。

 そして、盛大に泣き声をあげ始めた。

 やめて欲しい。

 ルーナの泣き声は、胸を締め付けられる。

 こうなるのが嫌だった。

 嫌だったけど、ルーナが悪いのだ。

 俺みたいなクズに引っかかるから。


「……もういい」


 泣きじゃくりながら、ルーナがボソッと言った。


「もう知らない! お前なんか知らないからな! 実家に帰るから! うわーん!」


 そう言って、ルーナは泣き続ける。


「……そうか」


 それがいいと思った。

 この事を教訓にして、いい男を捕まえて欲しい。


 なんかルーナの泣き声を聞いていると、胸がざわつくので俺は家を出た。

 どこに向かうでもなく、外を歩く。


 最初からこうしようと思っていたのだ。

 俺は孤高の引きこもりだ。

 一緒に生活する人間なんて必要ない。

 一人が好きなのだ。

 そもそもルーナと付き合ったつもりはないし。

 ルーナの身体に飽きたら、こっぴどく振ってやろうと思っていた。

 それでも、ルーナの身体はいつになって魅力的で、もう一生飽きないんじゃないかという気がしてきた。

 たまたま身体の相性が良かったのだろう。

 出会ってから毎日、ルーナを抱いていた気がする。

 そんなのは初めてだった。

 生活していくうちに、ルーナのアラが見えてきて、ちょっとずつストレスが溜まってきて、なんてこともなかった。

 むしろ、時が経つに連れて、どんどんルーナとの生活が楽しくなっていった。

 この俺が、誰かと一緒にいて、楽しいと思うなんて。

 ちょっと驚きだ。引くわー。

 これでよかったのだ。

 カンナさんとの事はいいきっかけになった。

 本当にカンナさんには感謝だ。

 昨夜は気持ち良かったし。

 このままズルズルとルーナと生活していったら、別れる時に計り知れないダメージを受けていた。

 今なら、まだ、セーフだ。

 絶妙なタイミングだ。

 良かった。

 本当に良かった。


 俺は、そう思いながらとぼとぼと歩いた。

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