黄金の稲穂

「なぁ上代かみしろ。俺がなんでバスケットボールを好きになったか。それを教えてやろうか? まぁ、そう不貞腐れてないで聞かんかい」

「うるせーなぁ、聞かねーよ。ってかあちこち痛いんだけど。誰のせいだと思ってんだ」

「それはお前が阿保で馬鹿やからや」

「……いつか勝ってやる」

「ああ? 何だって? 男ならもっと大きい声で話さんかい」

「うるせーなぁって言ってんだおい! もう帰るぞこの鬼畜生が。じゃあな」

「……バスケットボールは“止まらない”。この世で唯一止まらないスポーツだ」

「何だよ急に。体中いてーんだよこっちは。顔も腫れてらぁ。てめーのせいだぞ、こら」

「お前のその情けない根性だけは一人前だな。なぁ上代、お前は足が速い。誰よりも速いと俺は思っとる。なぁ、おい。バスケットは好きか?」

「“好き”じゃなけりゃあ今までやってねーって。まぁでも、もういいよ。皆も練習に来ねーし、洋介の奴もさ」

「やっぱり山岸は、お前達の中でも特別か?」

「別にそんなんじゃねーよ」

「……そうか。なぁ野球は好きか? 俺は嫌いや。投手の一球一球が遅すぎる。見ていると、どうもイライラとしてしまう。もっと早く投げれないものかとな。サッカーだってそうだ。一点は中々入らないし、プレーもよく途切れる。それにロスタイムって何や? そんなものを用意しているくらいなら最初から試合時間を延ばせばいいとは思わんか?」

「だから俺が知るかよ。世の中には野球もサッカーも好きな奴だっていんだろ」

「だけど“バスケットは止まらない”。この世で唯一止まらないスポーツだ。攻守の切り替えが速く、見ていると何が何だか分からないが、それは見ている側がバスケットを知らないからだ。これがどう言う事か分かるか?」

「いやだから分かんねーよ。ってか早く帰らせろマジで」


「いいや、良く聞け上代。丁度良い機会やから、お前に俺が思うバスケットのを教えてやる。人はな、どうしてもボールを追いかける、追いかけてしまう。野球中継やサッカー何ていい例だろう? ラグビーもテニスも卓球もそう。人は、観客はどうしてもそうなってしまうんだよ。ボールが一番興味を引くからなぁ。他のスポーツだって全て似たようなもんや。ええか、バスケットボールがTV中継に向かない理由、大衆に受けない理由は其処にある。これがどういう事か分かるか?」


「分かんねーよ。“はえー”からじゃねーのか」

「そうだ。“速い”からだ。そしてバスケットの一つ一つのプレーはボールマンがしているだけじゃない。コートに立っている敵味方も関係無い十人全てが、決して広くも無いコートで常に研鑽しあいながらプレーをしている。他のスポーツも勿論そうだとは思う。そやけどなぁ、“バスケットだけは止まらない”。だからTVで見るには向かないスポーツなんや。“止まらない”からこそ、見ている側は何が起きているかいまいち分からない」

「いや、止まるだろ。ボールがライン外から出たらプレーは止まるし、シュートを入れられたら五秒以内にエンドラインからパスを出さねーといけねー」


「止まったとしても、たかが“数秒”だ。ボールマンがボールを持つ時間も三秒までと決められている。オフェンスに決められた攻めの時間は二十四秒。俺からしたらそんなにいらんけどな。とにかく大前提として、バスケットのルールとしてや、は許されていないんや。お前はボールを持って三秒も止まっていられるか? シュートを入れられて五秒を待ってから攻めるか? 二十四秒一杯に使って攻めるか? 時には戦術としてそういった場面もあるやろう」


「……なぁ。もう帰るぞ、マジで」


「点を入れられたら、入れ返し、そしてまた入れ返されられる。……その繰り返しだ。試合が終わるその時まで。俺は初めてバスケットボールを見た日、『この世で唯一止まらないスポーツ』やと感じた。お前はどう思う、上代」


「いやだから、それも他のスポーツも一緒じゃねーか。入れられたら入れ返すだろ。やり返すだろ、普通は」

「そうだ、やり返すんだよ。まるでお前達みたいに。いいや“お前みたい”に。“すぐにやり返す”んだよ、バスケットっていうスポーツはそういうスポーツ何だよ。殴られたならば数秒後には必ず殴り返す。分かり易いスポーツだろ? それがバスケットの真髄だ」

「いつか俺もやり返してやる。“てめー”にだ。何時か呻らせてやる」

「やれるもんならやってみろ。その情けない根性を他にぶつけてはみんかい」

「うるせー鬼畜生。帰るぞ」


「――上代。お前は足が速い。足腰が強い。体のバネも日本人離れしている。“何でそうなった”かは知らんが、黒人にも劣らない天性の才能をお前は持っとる。身長タッパがあれば海外でも通用する。だから一番に速くなれ。バスケットボールでお前は一等に速くなれ。お前ならそれが出来る」



――泉先生がそう言ったすぐ後に、俺は生徒指導室から出たのを覚えている。顔に痣が出来る程に殴られ、体のあちこちも痛かった。この時は、何を言っているのかこの糞野郎としか思わなかった。あまりにもむかつき過ぎて、部屋を出た後に煙草を吸ってやったっけ。そうしたら音と匂いですぐ分かったんだろうな、あの人は。すぐさま指導室から出て来て、容赦の無い上段蹴りだ。こう、腰が入った見事な蹴りだったな。それで俺の記憶は一時飛ぶ。ついでにあの時、お気に入りのジッポライターも飛んだ。そして二度と俺の手元に帰って来る事はなかった。泉先生は“無くしやがった”んだ。俺が卒業する迄には見つけると言っていたけれども、それも叶わない。だって先生はもうこの世にいない。

 今思うと、無くしたってのもそれは嘘なんだろうな。先生はどうしても俺に、俺達に煙草を辞めさせたかったのだろう。それに通じるあらゆる手段を絶とうとしていたのであろう。どうしてもバスケットをさせたかったのだろう。この俺達に……。

 泉先生がバスケを好きな理由、そしてその。俺はそれを“あの日”に思い出した。先生の見舞いに行ったあの日だ。俺がどう仕様も無く、皆の前で涙を流してしまったあの日だ。そして俺は真髄の中の真髄を思い出していた。鬼畜生が俺に伝えてくれた、其の魂の一言を。


『いいか、上代。最速を目指せ、最速を誇示しろ。お前達ならそれが出来ると俺は信じとる。そして“大洋を超えて見せろ”。そして叫べ、。そう叫べ。これがこそが――真髄のなかの真髄だ』





「九番だ、止めろ! 夏目なつめ!」


 無理無理。誰もこの俺には追い付けやしねーよ。この俺を誰だと思っているんだ? この世で一番速い上代翔かみしろしょう様だぜ。俺より速い奴なんざ、この世にはいねーよ。だって俺はそう先生と約束したのだから。

 しっかし。良いパスになってきたなぁ、やっと洋介の奴も本調子ってか。相変わらずあいつは気分に左右される奴だけれども、ディフェンスとパスだけは褒めるしかねーや。そうそう、これだよこれ、この弾道。もう入る気しかしねーや。入れてやるよ。ほら、アリウープだ。ほら見ろ。主役様の登場で、主役様はこの俺なんだよ。だって“最速のトップ”にいるのはこの俺なんだからよ。俺は先生とそう約束したんだからよ。そして“俺は必ずやり返す”。ここから勝つのはこの俺だってな。ここから続く勝ち星はよ、永久に俺じゃなきゃいけねーんだ。だって先生よ、あんたはもうずっと不戦勝なんだから。そこからずっと俺を褒めててくれよな。



『マジか、あの九番。また決めやがった』

『アリウープ……あいつセンターじゃねぇよな。滅茶苦茶跳んでねーか?』

『ってかその前に、洛真のディフェンスがいとも簡単に破られた』

『そーいや、そうだ。何でだ?』



「最適解をこうも崩されるとは。ごめんなさい、監督。タイムアウトは……」

「いや、いい。第二クォーターはこのままで行こう。どうやら向こうもあのディフェンスがみたいだ」

「はい、分かりました。あの山岡監督。つかぬ事をお聞きしても?」

「ああ、いいよ」

「この試合、楽しいですか?」

「押切君。君は偶に突拍子もない事を言うな。ああ、楽しいさ。……ああ、そうだな。久しぶりに心が躍動している」

「それは良かった、本当に良かった。それからもう一つ」

「なんだね」

「あの。どう思いますか?」

「どうもこうも、君が思っている事と同じだと思うがね。君も“元プロ”だろう?」

「はい、だからこそです。このままでは負けます」

「だろうね。だが、ここから采配するのはこの僕だ。いくらと言えど、まだまだ青二才。彼はまだ青春を謳歌している若造だよ、押切君。残り時間、あと少しか。彼の欠点を見つけるには充分だ」

「さすが監督。頼もしいです。……第二クォーター、よくて2点差、いや同点で終了ですかね」

「持って、同点。持たなければこっちが2点差ビハインドだね」

「なるほど。では第三クォーターはどうなされますか? 正直、私の手に余ります」

「私が行くよ。常勝の洛真たるために、ね」


(……監督。御自分でもお気付きですか? 相手の十番を、貴方は自ら本物と仰ったのです。そして、その十番の欠点を未だに気付いていないでいる。それは私にも何のかは分かりません。私にも彼の事は未知数です。それが“危うい”のです。もう試合時間は二十分を経とうとしています。“元プロスポーツ選手二人”が未だに“あの十番”を分からないでいる事がどれほど危険な事か。……本物ですか。彼は確かにそうなのかもしれないわ。十年に、いや百年に一人の逸材。下手をしたら、彼はバスケットボールの歴史さえ塗り替える存在たる者なのかもしれない。バスケットボール競技そのものを回転させる程の器なのかもしれない)



「走り回れ! 向こうもそうならこっちもそうだって事だ!」

「村井! 右が空いている、杉本だ!」

「にゃろう! 行け、徹也てつや!」


 “無駄”である。どれ程足掻こうが無駄なのである。『オールコートマンツーマンディフェンス』。それも、俺達がしたら“変則的”になる。何故ならばこの俺がいるからだ。理由は最早割愛するに至っても良いだろう。だがしかし、あえて言おうではないか。それも何回でも、声を大にして叫ぼうではないか。

 簡単な事だ。至極当然に、簡単かつ明快で単純なんだよ。この俺からしたら、どの様なディフェンス時に於いても。相手自陣の3Pラインのほんの少し外側。其処に立っているだけだ。バスケットコートの横幅はせいぜい十五メートル程。その横のラインを守り抜けばいいだけの話。実際にそれを守り抜くのは不可能(調子が良い時は可能)だが、オフェンスは、ガードの視野なんてものは、横のラインせいぜい十メートルがいいところだ。どうしてもそうなってしまうから。様々な要因と速過ぎるが故の視野の限界たる所だ。特にこの走っている状況なら尚更だ。それでも視野の“質”の良いガードはコート一杯に攻めて来やがるけれども。横だけではなく、上も下も目一杯に使って。その質が“空間認識”である。だがしかし、俺はその空間認識が飛び抜けて良い。それも誰にも負けない程に。おまけにこの動体視力とこの足腰が強いからなせる瞬発力の凄さだ。さらにとどめは身体能力も抜群なんだ。(自画自賛)


(一対一! この速さならいくら十番こいつでも抜ける――)


 洛真高校のスターティングメンバーである、杉本徹也すぎもとてつや。絶対王者たる洛真の不動の七番(フォワード)である。それも歴代最強と謳われる程の洛真のスタートナンバーを勝ち取った男である。彼は一年生の時からそのスタメンの座を勝ち取ってきていた。そのバスケットセンスとドライブの速さは全国屈指の実力である事であろう。体幹も良く、フィジカルの面に於いても周りに引けを取る事はなかった。何より、ボールに対する“執着心”は随一をも誇るプレイヤーだ。

 その実力は実績として出ている。去年のインターハイ決勝。洛真対明島川で、洛真が優勝したのは間違いなく彼の功績である。あの才能を開花させた“秋永涼あきながりょう”を打ち倒したのは、彼が洛真にいたからと言っても過言ではない。


「だから無駄だって。どれだけ加速をつけたって、どれ程の勢いで俺を抜こうとしたって、お前はボールを


 後に、プロバスケットプレイヤーとなった杉本選手を取材をした時だ。彼にこの場面の心境を聞いてみた。するとだ。何故“この時の事”を自分に聞くのかという返答が来た。――決まっている。バスケットの素人目でも、対峙していた洛連高校の十番のボールスティールは常軌を逸していた。このご時世だ、動画を探せば今でも見る事は出来るだろう。ハーフラインから少し下がって件の十番はいる。悠然として、我然として、仁王立ちにも相応しい佇まいをしながら。そして一閃。ボールは杉本選手の間合いから消え果てていた。

 彼は、俺の質問にこう答えた。『最初から……あの時の十番。山岸には不思議なオーラを感じ取っていました。只者ではないって言うんですかね。取られた瞬間、分かってしまった。ああ、こいつは本物だなって。あの時あいつ、若干“入っていた”んじゃないですかね』


(――あれ? なんで俺はボールを? 何時盗られたんだ?)


 翔にしとくか? いや明だな。うん、そうしよう。そうしたら二点差でこっちの勝ちで終われるな。そっちの方がいいや。絶対にそっちの方がいいよね。





 嘗て先生は、泉広洋先生は俺達にこう言った。『お前達はバスケットが下手だ』だと。だが続いてこうも言った。『お前達はバスケットが上手い奴には限りなく強い』と。

 その通りだと俺は思う。俺はシュートは下手だし、3Pなんて高校生になった今でも入る気配がしない。レイアップだってノーマークで外すような奴だ。だけど……だけど、ディフェンスなら俺は誰にも負けない。俺を抜かせる奴なんていない。“いてはならないんだ”。パスだってそうだ。絶対に通してみせる。俺が点を取れないなら、あいつ達に“最高のパス”を出してやらないといけない。それが俺の役割なのだから。このチームのポイントガードとしての唯一の存在意義なのだから。

 だから俺は強くなったんだ。強くならないといけなかったから。バスケが上手い奴には限りなく強くなれるように。先生から教えて貰った俺の長所。それはたった一年間だけの事だったけれど、確実に俺を強くしてくれた。シュートが下手な俺に、皆の中で一番バスケが下手な俺に、先生は唯一無二の存在意義を俺に与えてくれた。それがディフェンスだ。限りなくオフェンスが上手い奴でもボールをスティール出来る様にしろ。そう言われた。


 昔から“図形”が好きだった。何かを作るのも並べるのも好きだった。そう言えば幼い頃、ティッシュペーパーを一枚一枚丸めて綺麗に並べて整然とした“図”を見て何故だか喜んでいたな。勿論、母には無駄な事するなと怒られた記憶もある。その後はプラモデル作りも好きになった。何かを作るのも好きなのだけれど、説明書に書いてある組図を見るのが一番好きだった事を覚えている。空間認識能力はこの時に鍛えられたのかな? それとも天性の才能なのかしれない。

 バスケットと出会ってからはポイントガードと言うポジションに憧れた。ゲームを作るポジションだったからだ。作るのもまた得意だった。小学校の遊びの範囲でそこそこ上手くなったと思ってはいたが、ミニバスのチームに入って上には上がいる事を思い知らされた。一番の上はミネだった事に変わりはないけれど。それでも翔は足が速いし、跳躍力が半端無かった。明はジャンプシュートが上手いし、翔太はリバウンドが強いし、インサイドもアウトサイドもこなせる奴だった。一番ドライブが速くて巧いのは島だったし。かたや、俺は皆の真似ばかりしていて自分のスタイルを確立出来ていなかった。“調子の良い時”は何でも出来たんだけどなぁ。

 そんな折りだった。泉先生が俺の長所に気付かさせてくれたのは。空間把握が得意なのは、幼い頃の好奇心から生まれた延長線上で出来た賜物だろう。そのおかげか“パス”だけは上手かった。だからミニバスの時でもガードになれたし、皆にも貢献出来たと思う。この頃は楽しかった。ああ、そう言えばね、偶に本当に心からバスケットが楽しくなる時がある。いやいつも楽しいんだけど、どう仕様も無いくらいに楽しくなる時があるんだよね。

 先生が俺に教えてくれた長所とは、俺の“目の良さ”だった。教えて貰ってから、そう言えばそうだったと気付く。そう言えば、皆が見えないと言っている物が見えた。前も言ったけれど、雨粒の形が俺にははっきりと確認出来たし、皆が速いと言う物が俺には遅く見えるような気がしていた。先生に其れを教えて貰ってから、ただの気のせいじゃない事が分かった。“事実として遅かった”のだから。


 故に、それが内なるコンプレックスでもあった。目が良いと言う事は、見たくも無い部分が見えるのだから。そう……例えば、“人の嘘”とか。


 。スポーツに於いて、とくに球技を扱うスポーツに於いては絶対に必要とされる能力であろう。どうやら俺はそれが他よりズバ抜けているらしいかった。これも天性の才能だ。自画自賛でもなんでもいい、俺はそれが“どれ程”嬉しかったか。欠点だと思っていた部分が長所と教えて貰ったその時が、どれだけ喜ばしい事であったか。そしてその長所がポイントガードとしての役割にどれほどのプラスの効果をもたらすかと分かった時の愉悦を感じたあの瞬間。そして……ディフェンス時に初めて、唯一たる存在意義を発揮出来る事を教えてくれた泉広洋先生にどれだけ感謝を覚えたか。(当時は微塵も思っていない)

 だから、限りなく俺は皆の中でバケットが下手かもしれない。だけど俺は、限りなくバスケットが上手い奴には強いんだ。。これ以上、皆には迷惑は掛けられないのだから!





「戻れ! くそ、“どっち”だ!」


 洛真主将キャプテン村井徳史むらいとくしは考える。第二クォーター残り時間十二秒、スコアは32-31で一点差迄に追いつかれていた。それはまるで、絶対王者たる虎の尻尾を迷い猫が噛んだ瞬間でもある。そして噛んだ猫が考える選択肢は二つ。足の速い九番か、外から射抜く七番かである。冷静に考えれば後者である。事実、そうであった。入るなら二点より三点だ。


「七番だ! 夏目!」


 村井の先見の明は間違いなかった。事実ボールは洛連高校、七番の村川明むらかわあきらに渡っていたのだから。素早く反応した同じく“七番”の洛真の夏目旭なつめあさひはそれを止める。……だがそれは、普通ならばだ。村川明のボールをタッチしてからのシュートモーションの速さもまた常軌を逸していた。“最速”はここにもいたのだ。


(いくらなんでも速過ぎる! そんなモーションで入る訳が――)


 一見。雑に見えるシュートモーションから放たれたそのシュートは、見事な回転が掛かっており、まるで吸い込まれるようにリングを通り抜けた。そしてボールは、ほぼネットには触れていなかった。そしてスコアは32-34と変わると同時に、第二クォーターの残り時間は六秒を切っていた。

 迷い猫が、王者たる虎の尻尾を噛みちぎった瞬間でもある。そして世界は迷い猫達を認識しはじめる。いいや、猫に扮したおおかみ達なのかも知れない。尻尾を切られた虎は、ただでは済まさぬとすぐさま反撃。残り六秒にその誇りと威信を込めた。それは絶対王者たるが為の持ちたくも無いプライドでもあり、持ってしまったが故の過信でもある。


 だがしかし、その虎のプライドを猫は簡単にへし折った。自身が追い越した虎に、自身の黄金に光る尻尾の稲穂を照らしては、自慢して、そしてまた前を向いて。


(――なんで十番てめぇが其処にいるんだよ!)

(最後のカウンターを予測して! いや、これは――!)



「へぇ。“調子が上がって”きたってか、洋介よ?」

 じゃあさ、ここらで見してみろよ。お前は先生とそう約束したはずだろう? お前はあの時、泉広洋いずみこうように何て言われたよ。なぁ洋介、エースはお前なんだぜ?



 残り四秒。俺は“ボール”を持って自陣の3Pラインの内側にいた。勿論ボールは強奪スティールして。一度、左右にパスフェイク。何て事はしない。『もう今の俺には前しか見えない』。故にだ。ゆえに、ドライブで行こうではないか。その後はあそこで跳んでさ、ほら、これで未来の映像は見えた。さぁ、行こう。





 第二クォーターは32-34と洛連高校のリードで一旦その幕を降ろした。奇しくも洛真監督の山岡鉄心やまおかてっしんの予想通りに。だがしかし、試合時間が後一秒あれば、その結果はさらに変わっていたのかもしれない。

 京都洛連高校、その十番のユニフォームを着た男。名前は山岸洋介やまぎしようすけ。彼は第二クォーター最後の四秒を切った頃。ドライブで相手を抜かした後、“フリースローライン”で跳んだ。“其処迄”に到達するまで、彼の速さなら二秒も掛からなかった。残念ながら第二クォーター終了の合図が鳴りシュートも入らなかったけど、彼が何をしようか何て、私には嫌でも分かってしまった。


 監督、大変です。彼の滞空時間はを超えている。

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