ヨーロッパ その⑧旧ユーゴスラビア諸国
今回は旧ユーゴスラビア諸国、つまりスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、北マケドニアの民族衣装についてです。
旧ユーゴスラビアは歴史を振り返れば西ローマ帝国と東ローマ帝国の境界線が、つまりはカトリックとギリシャ正教の境界線が存在する場所でもあります。また、キリスト教とイスラムが対立する場所でもあります。
旧ユーゴスラビアは「二つの文字、三つの宗教、四つの言語、五つの民族、六つの共和国、七つの国境を持つ」と言われています。全ての国に承認されているわけではありませんが、かつては(承認していない国にとっては現在も)セルビアの自治州の一つであったコソボも存在します。そのため、旧ユーゴスラビアの歴史や社会情勢は複雑極まりないものとなっています。しかしそれでもなお、旧ユーゴスラビアの民族衣装は東洋と西洋の特徴が融合した魅力を放っているのです。
そんな旧ユーゴ諸国の民族衣装はどの宗教や文化に属するかによって特徴が違います。しかし男女ともに、ほとんどヨーロッパの他の国のものと変わりないそうです。ただし、もちろん違うところもあります。
例えば、男性はゆったりとしたシャルワールのようなズボン(季節によってウール製かリネン製になります)を穿き、幅広の帯を締めます。なお、この帯は間に小物を入れることもできる、ポケットの代わりを果たす優れものでもあります。また、モンテネグロやコソボ、マケドニアなどでは帯に武器を装着することもあるようです。
上述のズボンと帯以外の旧ユーゴ諸国の男性の民族衣装はシャツ、ベスト、ジャケット、靴(オパンケという)など。これに冬の寒い時期は丈長の革製の外套と帽子も加わります。オパンケはヒールのない反りあがったもので、ズボンの上に布を当て、革紐で固定するという方法で履くそうです。ちなみに、このオパンケはブルガリアでも用いられているそうです。
さて。旧ユーゴ諸国の民族衣装が他国から影響を受けたのは前述の通りですが、逆に他国にというかヨーロッパの社会にある意味深い影響を与えたものもあります。クロアチアのアドリア海沿岸一帯の地域ダルマチアの民族衣装です。
ダルマチアに現在も残っている、袖が広く胴の部分を帯で締めるゆったりとした直線裁ちのチュニック・ダルマティカはまず、二世紀初頭にローマ帝国の庶民に受け入れられました。そうして二世紀の末にはローマ帝国の礼服として採用され、庶民から貴族までが幅広く着用するようになりました。そして後に助祭の服ともされたのです。
旧ユーゴ諸国の民族衣装では、男性のものもシャツの襟や胸やベストに、帯に刺繍が施されます。レースの飾りを付けられるところもあります。しかし女性の民族衣装は、男性のものよりも更に装飾や色彩が豊かなのだそうです。
旧ユーゴ諸国の男性の民族衣装に、他のヨーロッパの地域にものとは異なる特徴があったように、女性の衣服にも同様の特徴があります。それが極端に丈が短いベストです。このベストはほとんどの場合袖なしで、刺繍やビーズ、スパンコールで煌びやかに装飾が施されます。短いベストと長いベストが組み合わされて着用されることもあるそうです。
ベスト以外の旧ユーゴ諸国の女性の民族衣装は、白いリネンのブラウスorシュミーズ、飾り帯、スカートorゆったりとしたズボン(地域によってはスカートの下にズボンを穿くことも)、エプロン、靴(オパンケ)となっています。エプロンは装飾のために、前と後ろに装着するので、一度に二枚用いることもあります。また、寒さ対策として袖付きのジャケットや丈長の外套やマントを着用することもあります。
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