葬礼の泣き歌 ⑤門

 戸締りはきちんとしなさい、というのは他国と比べれば治安がいい日本でも当然のこと。玄関を開けっぱなしにしていたらどんな招かれざる客に入られるか分かったものではありませんからね。そういった事情は無論19世紀の、泣き歌が歌われていた当時のロシアとて同じこと。ですが、泣き歌において閉め忘れた門から入ってくるのは、泥棒などよりも恐ろしい者だったのです。

 ロシア北部地方ルースキイ・セーヴェルの百姓家には必ずしも門があった訳ではありませんが、門があった場合は来客などの特別な用事がない限りは閉じられていたのは、その「恐ろしい者」の侵入を防ぐため。……何が何でも来てほしくない恐ろしい者。その正体は、ここまでくればまあだいたいはわかりますよね。「死」です。

 さて、以下でまた突然「ロシア異界幻想」の出番が入ります。


 ロシア語の「死смерть」は女性名詞であるため(女性名詞とはなんぞや? と思われた方はググる先生に質問してみましょう!)「死」は、ロシアの口承文芸では「大鎌やのこぎりなどの鋭い刃物を持った女性戦士」として、また民衆宗教詩や民衆版画ルボークでは大鎌をもち経帷子を纏った骸骨としてイメージされる(※)そうです。骸骨には鼻がないことから、この経帷子を纏った「死」は「鼻ぺちゃ」と呼ばれるそうです。前述のとおり、ロシア語では死は女に属するので、死神も女なのです。また、スラヴ神話には死天使アルコノストという顔と胸だけが人間の女性・・でそれ以外は鳥という姿の生き物が登場します。

 

 こういった大鎌を持った骸骨という死神の姿は、西ヨーロッパにおける死神のイメージに多分に影響されているそうです。中世後期、ペストの流行により盛んに論議されることになった「生と死の論争」または「死の舞踊ダンス・マカブル」というテーマがロシアに輸入された結果なのだとか。


 こういった「門が開いていた」あるいは「開いた」という形象は、泣き歌では


「門のたたき金が音をたて

 門が開け放されて

 わたしらの庭に客がやって来た」


 や、


「硝子の小窓を閉め

 すぐに大きな門に鍵をおろし

 新しき樫の戸に鍵をかければよかった」


 や、


「お前さんは小窓を閉めて

 門の鍵をかけ

 死神をいれさせなければよかったのに」


 といった感じで表されています。


 「門の解放」とは前述のとおり来客の象徴である一方、家の内と外が結ばれ、望まれざる存在の来訪を可能にすることをも意味していました。即ち「門を閉め忘れる」とは、通常の門の使用法を守らない=内と外の境界としての門の均衡が破壊される=あの世とこの世の境界が破壊されることを意味していたのです。だからこそ、泣き歌では、門を閉め忘れることは「死」を招くことを意味します。

 また他には、


「わたしらは、門のそばに門番を

 樫の戸のそばに番人を置かなかった」


「勇ましき門番を置いていれば

 わたしらの編まれた巣のなかに

 眼光鋭い死神を入れさせなければよかったのに」


 といったように、門番を置かなかったことが「死」を招いた原因であるかのように歌われたこともあったのですが、これは奇妙な事です。なぜなら、農奴制にイメージされるように苛酷な生活を送っていたロシアの農民において、自宅に門番を付ける余裕があるものなんて、ほんの一握りの存在だっただろうから。

 泣き歌はふつうは貧しい家庭の者が、庇護者や扶養者、あるいは希望であった故人を悼み、彼ら亡き後の苛酷な生活を憂うために謡うものなのだから、「門番を置く」という表現はやはりおかしい。ですがこれは、裕福な生活の一種の理想像である「門番を置く」ということができなかったということから、現実には理想の正反対の出来事が起こってしまった……とそれとなく暗示しているのだそうです。

 

 また、泣き歌における門番は「死」の侵入の妨害だけではなく、故人があの世からこの世へと戻る際の道案内としての役割も果たすものとされているそうです。だけどそれはやはり理想化された表現にすぎないから、喪った愛しい人はどんなに待ってもこの世には戻ってこない……。

 なんだかちょっぴり切なくなってきたところで、キリがいいので今回のまとめを終わります。

 

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