十八世紀までの鑑定の手順 ②その段取り

 ここで突然のお知らせですが、この纏めはあと2、3回で終わる予定です。なぜなら、参考にしている本の内容もまた終わりが近づいているから。

 不能裁判が終わったら何をしよう、と捕らぬ狸の皮算用を始めている作者ですが、実は幾つか候補があります。


 1.ロシアの泣き歌に関するコンパクトながらよく纏められた本を更に纏める

 2.パレスチナらへんの民族衣装についての本(絶版本)を纏める

 3.トルコ料理の本で飯テロしようぜ!


 では、皆様のご意見とご応募、どしどし受け付けを始めたところで本題に入ります!


 不能裁判というのは、どんなに取り扱う内容がアレであってもあくまで裁判。ということで、決まりきった形式やら漂う冷ややかな空気やらとは当然無関係ではいられなかったのですが、判事たちはある問題について頭を悩ませずには居られませんでした。

 鋼の顔の下に下世話な好奇心を隠していたであろう教会の判事たちを悩ませた難問――それは、夫と妻のどちらが先に性器の鑑定を受けるか、でした。男であれ女であれ、最も秘め隠しておかなければならない部分を他人の無遠慮な視線に晒されるというのは耐えがたいものです。例えそれが同性相手であっても。だけど、どちらかというと男のナニやエレクチオンの能力について調べるほうがまだいいかな……という訳で、紆余曲折はあったのでしょうが十八世紀には「性器の鑑定は夫が先にすべし」との答えが出されていたそうです。妻に、あの見た目は優美だが嗜好は腐れ切った幻獣の信徒が崇める膜があるかどうかなんて、夫の鑑定でこれといった結果を導けなかった時のみに行えばいいのだ、と……。

 ただし、この問題は解決しても、更なる問題が教区裁判官たちの前に待ち構えていたのです。「誰を鑑定者に任ずるべきか」という一見単純明快な問題が。

 誰を鑑定者に任ずるべきか。この問題には、あらかじめ概ね三つの選択肢が与えられていました。

 産婆と外科医と医師。彼らこそまさに、鑑定を行うに相応しいスペシャリスト――なのですが、彼らにはそれぞれちょっとした問題があったのです。


 まず初めに産婆の場合ですが、産婆が女の鑑定を行うことは、後述する問題を除けば誰にも異論はなかったでしょう。しかし、産婆が男の鑑定を行うのは――? これについては、実際に産婆が男の鑑定に加わった際に起こった結果は「ふざけたものだった」として、十七世紀ぐらいには否定されていたそうです。

 しかし、産婆が男の鑑定から除外されたのは当然の流れだったと納得できるのですが、産婆たちは次第に女の鑑定の中心からも追いやられていってしまいました。


 高齢のために視力が衰えていたり、手が震えている産婆に局部の鑑定などできるはずがない。そもそもフランスの(※)産婆たちには正確な知識がない。なにより、「気まぐれで口論ずきな女の性格も、もちろんのこと、まじめな鑑定には折り合わないのだ。」(カッコ内原文ママです。女性蔑視も大概にしろよ、って感じですね)ということで、十八世紀には既に医師と外科医が女の鑑定に参入してきたのです。そうして産婆たちは施し・・として与えられた末席に縋りつくことしかできなくなったのです。

 ですが、産婆たちから居場所を奪った野郎どもにも、またちょっとした問題があったのですよ……。

 ※この本の著者さんはフランス人で、扱われているのも「フランスにおける」不能裁判がほとんどなので、フランスの産婆が非難されているのでしょう。また、スペインの産婆たちは医学校で解剖学を習っているのに~という一文があったことから、国や地域によって産婆の能力や知識にばらつきがあったと考えられます。


 西洋ではもともと手術を行わずに患者を治療する「内科学」こそが本流であるとされていたことから、外科医は内科医よりも低い位置に置かれていました。そしてこの関係は不能裁判においても変わりませんでした。外科医は報告するだけで、実際に考えて結論を出すのは内科医の役割。だから内科医の方が偉いのだ、と。現代でもありがちな派閥闘争ですが、内科医は外科医を「豚肉を刻む者のごとく見下した」(カッコ内原文ママ)というのですから、外科医に対する世間の目の冷たさも察せられようというものです。


 これは根拠のない推論に過ぎませんが、「神から授かった大切な」人体を切り刻むことを嫌うあまり、ルネサンス期まで人体解剖が禁止されていたキリスト教社会だから、外科医は嫌悪の目で見られていたのかもしれませんね。だからといって、中世西洋の外科医に対する偏見は理解しがたいのですが。

 薬草を使って治療したら魔女と呼ばれ、切ったり縫ったりして治療したら蔑まれるなんて、中世西洋で大怪我をしたら一体どうすれば良かったのか。というかこの内科医たちは、いざ自分が大怪我をしたら一体誰を頼るつもりだったのでしょうか。これは私の独断と偏見に過ぎませんが、こういう輩こそいざピンチになったら自分が普段見下していた相手にピーギャー騒ぎながら縋りつくに決まっています。


 ということで、一筋縄ではいかない鑑定者たちですが、著者さんはヴァンサン・タジュローなる名前の響きはカッコいいけれど、なにをやっていたのかはさっぱり分からない(私が見つけられなかっただけかもしれません)人の、ある批判を取り上げていました。

 ヴァンサン・タジュローさん曰く、

「そもそも教区裁判所の鑑定者なんて、夫が不能で妻が処女だからこそ食っていけるのだから、食い扶持確保のためには結果の捏造ぐらい簡単にやってのけるだろう」

 だそうで。(カッコ内は要約です)

 ――じゃあ誰を信じればいいんだよ! と叫びたくなったところで今回のまとめを終わりたいと思います。この裁判はほんと、人間の醜悪な部分と下世話な部分が濃縮されている……。

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