一日目(火) ラッキースケベが各駅だった件

「――――って訳で、毎日が勉強地獄過ぎで死にそうなんだが」

「しかしそのお陰で今年は宿題が無事に終わったのでは?」

「そりゃもう、バッチリな」


 昨年の夏休みは最終日に徹夜コース。特に英語は問題集の答えを丸写しするという作業を、アキトにメールで実況もとい愚痴りながらやっていたのは記憶に新しい。

 それに比べて今年は提出が初回授業日のものまで完璧に終了。残り二週間はのんびりできるかと思いきや、阿久津大先生曰く「宿題が終わってもやるべきことは沢山あるじゃないか」との厳しい一言である。


「やるとしたら復習と予習どっちがいいんだ?」

「拙者的には自分でやるなら復習を奨めるお。予習は新たな知識を0から身に付ける訳でして、先輩なり講師的な先導者がいないと効率が悪いでござる」

「じゃあ一年の復習をするとして、仮に英語だったら?」

「優先すべきは単語ですな」

「あー、単語なら阿久津の奴に毎回みっちりテスト勝負させられてるから大丈夫だ」

「さすが阿久津氏! そこにシビれる! あこがれるぅ!」

「問題用紙を互いに作って出し合うんだけど、範囲が毎日40単語もある上に、週末に五日間で覚えた200単語を総復習するんだぜ? お盆休みを抜いた八月の三週間だけで600単語も覚えるとか、無茶言うよな」

「米倉氏が覚えたポ○モンを600匹ほど、いち、にの……ポカンすればいけるお」

「櫻は新しくwisdomを覚えたい……! しかし櫻は英単語を四つ覚えるので精一杯だ! wisdomの代わりに他の単語を忘れさせますか?」

「はい→鳴き声」

「鳴き声を忘れるって、よくよく考えるとヤバくね?」

「穴を掘るとか、糸を吐くとか、吠えるとか、お前が忘れちゃ駄目だろ案件も多いですな」


 こういうくだらない雑談も、アイツと勉強してると話せる空気じゃないから困る。ちなみに英単語テストの戦績は九戦三勝六敗と、俺にしては大健闘中だ。

 阿久津曰く大切なのは繰り返しとのこと。例えば100単語を十日間で覚える場合も一日10単語ずつ覚えるのではなく、20単語ずつ覚えるのを二周した方が良いらしい。


「単語がおkなら文法ですが、米倉氏は既に志望大学を決めているので?」

「一応、第一志望は月見野つきみのだけど」

「まさかの国立とは、これまた随分と高い目標ですな。本格的に目指すとしたら、店長が苦しんでた古典の勉強を奨めるお。勉強の仕方は英語と同じで単語からでござる」

「三兄妹で金銭的にもアレだし、屋代目指してる妹が危なそうだからな。つっても俺が国立なんて妹の公立以上に夢みたいな話だし、無難に教育学部のある私立になると思う」

「それにしてもこの米倉氏、意外に家族想いである。確か米倉氏には姉君もいたかと思われますが、もし姉君の参考書が残ってるならそれを使っての勉強もありだお」

「かもな。後で聞いてみるか」

「それにしても、幼馴染と一緒に勉強とかテラ羨ましす」

「俺の知ってる青春と違うんだが?」


 コイツの想像しているようなキャッキャウフフの勉強会ではないことは、今日こうしてアキトの家に避難していることが何よりの証明だったりする。

 隣同士で密着して教え合うなんてことはなく常にテーブル越しだし、夏の私服にも拘わらず露出も少ない。スカート一つ履くだけでもテンション100倍なんだけどな。


「ぶっちゃけ、拷問に近い気がするぞ」

「それでも普通の男子高校生の夏休みなんて、SNSなりネットサーフィンに時間を費やす以外は飯食ってクソして寝るだけですしおすし。米倉氏は充実してるお」

「そっちも充実してたんじゃないのか?」


 部屋の傍らには数日前に行われた聖戦の戦利品か、萌え萌えしい銀髪少女が描かれた紙袋が置かれている。紳士の礼儀として中身は見ないが、中身はずっしり入ってそうだ。


「それは店長の引き取り待ちでござる」

「アキトは何を買ったんだ?」

「ヨンヨンのキーホルダーとクリアファイル、そして薄い本を少々」

「少々?」

「衝動買いしたら負けだと思ってる。そもそも店長の依頼をこなすのに精一杯だった件」

「お前らしいな。妹の方はどうなんだ?」

天海あまみ氏は散財タイプだお。お年玉から小遣いまで全てを使い切ったかと」

「そういやさっき帰って来てたっぽいけど、今日はどこ行ってたんだ?」

「文化祭の準備ですな」

「あー」


 文化祭……それは高校生にとっての一大イベント。

 今年は夏休みが明けてすぐの土日が文化祭だが、メイド喫茶がボツ案になった俺達のクラスはオカマ喫茶という誰得な企画だったりする。

 去年のドーナツ屋も店番をさせられた退屈な思い出しかなく、女装なんて断固拒否な俺は陶芸部の方が忙しいという理由で無事に当番を回避。その代わり阿久津の夏期講習の合間を縫って、外装の手伝いには少し顔を出していた。


「合宿が終わってから音沙汰ないけど、アイツのクラスって何するんだ?」

「リリスから聞いていないので?」

「それが夢野も最近見てなくてさ」


 文化祭の手伝いがてら陶芸部へも足を運んだものの、来ていたのは陶芸大好きな部長と脳内ピンクな後輩だけ。たまにもう一人の後輩も来るらしいが、F―2所属の二人の姿は見ていないとのことだ。

 もっとも今週末には素焼きを終えた作品の本焼きをするため、釉薬掛けをする際に会うかもしれない。そして俺には去年もやった泊まりがけの窯番が待っていたりもする。


「ちょいまち。F―2は……牛丼の食販ですな」

「うわっ? お前これ全クラスまとめてあんのかよっ?」

「我がクラスの稼ぎを少しでも多くするために、他クラスの動向はチェック済みだお。文化祭商戦も、少しはマーケティングの勉強になる希ガス」


 パソコンのディスプレイに映し出されたエクセルを見て思わず口をあんぐり。何か意味のわからんグラフとかあるし、俺の知ってる文化祭じゃない件。

 しかし食販となると大して忙しくもないだろうに、一体どうしたというのか。夢野は音楽部の方が忙しいとしても、火水木が陶芸部に顔を出さないのは珍しい気がする。


「なあアキト、そのデータって販売価格もわかるのか?」

「現時点で判明してるものは入力済みだお。気になる店でもあったので?」

「いや、何でもない。それよりちょっとトイレ借りるわ」

「二階のトイレが調子悪いので、一階のトイレの使用を奨めるお」

「調子悪いってのは?」

「最悪、これを使うことになるかと」


 トイレのスッポンもといラバーカップ型のマグネットを見せられて事情を把握。っていうかそんな磁石、一体どこで使うつもりなんだよ?

 部屋を出ると階段を下りて一階へ向かい、用を足しながらふと考える。税抜き価格だった300円のチョコバナナじゃあるまいし、文化祭で2079円なんて高額ありえないか。


「あー、そういえば二階のトイレ駄目なんだっけ。まだ直ってないの?」


 トイレから出るなり、聞き慣れた声に振り向いた。

 そして硬直する。

 そこにいたのは、バスタオル巻いただけの少女だった。

 肩を出し。

 太股を根元まで晒し。

 大きな谷間がバスタオルを膨らませている。

 普段二つに結んでいる髪を解き、眼鏡も掛けていないため別人に見える火水木だった。


「――――」


 いや。

 いやいや。

 いやいやいや。

 火水木さん、いくらなんでも堂々とし過ぎじゃないですか?

 以前に偶然パンツを見てしまった時は許され、今回も同じような偶発的事故ではあるが、目の前のむちましい少女は恥ずかしさの欠片も無く平然とした様子で立っていた。


「どうしたのよ兄貴? ってか、そんな服持ってたっけ? 新しく買ったの?」

「!」


 どうやら俺をアキトと勘違いしているらしく、平然と話しかけてくる火水木。道理で落ち着いている筈だと状況を理解するが、鼓動の高鳴りは止まらない。

 そりゃそうだ。

 姉や妹ならともかく、同級生の裸に近い姿なんて初めて見る。

 というよりもこんなラッキースケベ、俺の人生で最初に最後なんじゃないだろうか。

 頭は混乱しながらも、視線は少女の肢体に釘付けになり声が出てこない。


「んー?」


 流石に様子がおかしいと思ったのか、火水木は目を細めつつ覗きこんできた。

 距離が近づく。

 水滴の付いた艶めかしい肌が迫る中、思わず息を呑んだ。


「…………」


 そして少女は固まる。

 俺をまじまじと眺めた火水木は、細くした目をぱちくりさせた。

 見間違いかと目を擦った後で、再度よ~~~く確認する。


「○※△☆×◆~?」


 まあ、そうなるよな。

 耳がキーンとなるレベルで悲鳴を上げた少女は、珍しく顔を真っ赤にさせながら声になってない悲鳴を上げつつ慌てて脱衣所へと戻っていった。


「な、なな、何でネックがいるのよっ?」

「あっ、いや、火水木? 違うんだよっ!」

「ちょっ! ちょっと待って! 今頭の中整理してるからっ!」

「だから、その――――」

「アーアー、キコエナーイ」


 何とか弁明しようとするが、お互いにパニックな状況に陥る。普通の家なら見慣れない靴がある時点で気付いたかもしれないが、俺は二階に直通している裏口から来たため気付かれなかったのも仕方がない。

 天岩戸の如く引き籠った火水木を放置し、俺は慌てて部屋へと戻った。


「緊急事態だアキトっ!」

「何があったので?」

「おっぱいから風呂が出たっ!」

「ブッフォッ!」

「だからその、トイレから出たらバスタオル姿の火水木がいて、俺をアキトと勘違いされて近寄られて、もう何か色々とヤバかったんだよっ!」

「ラッキースケベ乙。米倉氏、マジぱねぇっすわ」

「そんなこと言ってる場合かよっ?」

「そう言われましても、別に米倉氏は悪くない訳ですしおすし。強いてやるべきことがあるとしたら、ちゃんと天海氏に言うべきことを言うくらいですな」

「ごめんなさいか」

「ありがとうございましただろJK」

「言えるかっ!」

「いやいや、天海氏はそっちの方が喜ぶかと」

「冗談言ってないで、ちゃんと誤解を解くの手伝っ――――っ!」


 ゆっくりと階段を上がってくる音がする。

 やがてその足音が部屋の前で止まると、ノックの後で部屋のドアが開かれた。


「…………」


 姿を現したのは、いつも通りの姿になった火水木。髪を二つに結び、眼鏡を掛け、シャツ&ショートパンツ姿になった少女の手には、旅行土産と思わしき木刀が握られている。


「ねえネック」

「はい」

「何か言うことは?」


 …………どうしてそんな物騒な物を持っているんでしょうか?

 言いたいことはそれに尽きるが、一言を発した瞬間に俺の脳天を割られる気がする。

 許されるのは一言だけ。

 チラリとアキトを見ると、ガラオタは真っ直ぐに俺を見て首を縦に振った。


「あ…………」

「あ?」

「ありがとうございましたっ!」


 我が生涯に一片の悔い無し。

 どうぞ切ってくださいとばかりに、土下座をしつつお礼の言葉を告げる。

 訪れる沈黙。

 一撃に耐えるべく頭に力を込めていると、少しして深い溜息が聞こえてきた。


「はあ……全く、何言ってんのよ……」

「?」


 顔を上げるが、火水木は怒っていないらしい。

 赤かった顔を耳まで真っ赤にしており、視線を背けている少女を見て安堵する。


「天海氏のダイナマイトバディで、米倉氏の股間がでっかくなっちゃった! ですな」

「兄貴、ちょっとこっち来て?」

「はい? 何故に拙者が……ちょっ? 天海氏っ? 腕を掴む力が半端無いんですがっ? 血圧測定するアレ並にヤバいんですが、もしかして怒ってらっしゃ…………アッー!」


 閉じられたドアの向こうで、アキトの犠牲になった音がした。さらば我が友よ、お前のことは忘れない…………新しい英単語を覚えて、いち、にの……ポカンするまでは。

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