第64話はなばたけ

 鮮やかな澄んだ空と甘い香りを発する広大な花畑。透けるような川もあり、あまりにも現実味のないほど美しい世界で目を覚ました。


ロイオ「……う、うぅ……ここは……花畑か?」


 スカイファントムとの戦闘中だったことを覚えているロイオはその後どうなったかも理解していた。死んだのだと。

 漆黒の巨大な剣を受け止められず、街ごと圧し潰された。死後の世界というものを初めて見た混乱が頭を鈍らせ、隣の存在に気が付くのに遅れる。


ねこねこ「すぴー……すぴー……ふぁああ、あ、おはよーロイオー……」


ロイオ「ねこねこ……」


 瞼をひと指し指の腹で擦り、安堵の寝起きを味わう。しかし、すぐに周囲を見渡して真新しい記憶と推測で状況を察するねこねこは表情を曇らせる。


ロイオ「……結局、俺は……お前も護れなかったな」


ねこねこ「ううん。ぼくはぼくのミスでこうなったんだから、気にしないでよ……ぼくはロイオと一緒ならどこでもいいし、それに……お姉ちゃんもいるかもだし」


ロイオ「……そうだな……とりあえず、歩いてみるか?」


ねこねこ「うん」


 死して二人でいられるなら今はそのことに満足しよう。あわゆくば三人で、と言う願望は叶うともわからない。

 それでも僅かな可能性に賭けて、二人は花畑を歩き出した。


***


 しばらく歩くと、川辺で釣りをしている人物を発見した二人。

 顔を見合わせ、話しかけることにした。

 ロイオが声をかけようとしたその時、釣り人が前を向いたまま声帯を震わせた。


「いやーけっこー遅かったな、二人とも。待ちくたびれた」


 二人とも、首筋に冷たい雫が落ちたような驚きを見せる。というのも振り返ったその人物の顔を二人はよく知っているからだ。

 右肩に束ねられた髪が特徴で、いたずら心が滲み出たような童顔。ロイオとほぼ変わらない身長と大きくないが確かにあるとわかる胸部。

 昔はスカート、今はローブから覗く線の細い美脚が彼女の魅力だった。

 二年前に亡くなり、二人が生きる活力を無くすほど大切だった人物。


ロイオ「……奏……」

ねこねこ「お姉ちゃん……」


 ねこねこの実姉にしてロイオの幼なじみ。



堀井ほりい かなで』。



 だが、愕然としている二人とは裏腹に、釣り人は呑気な様子で頭をかく。


「うーん、そっかー二人にはそう見えてるのかー。ま、いっか」


 そういうと、彼女は釣り竿を上げて、二人の点になった目に水をぶっかける。


ロイオ「ぶっは!?」

ねこねこ「……ええー」


 いきなりのことに避けられず冷水を浴びる二人。ロイオは水が鼻に入り込んで咽かえり、ねこねこは白髪から水を滴らせて脱力していた。


「あたしは君たちの思ってる人物じゃないんだ。外見に声その他諸々一緒だろうけど、別物な。ごめん」


 ウインクしながら謝罪する釣り人に、濡れた服の端を絞りながら咽るロイオはその言葉に納得した。


ロイオ「ゴホッ大丈夫だ。俺の知ってる奴はそんな素直にゴホッゴボッ……謝ったりしねぇ」


ねこねこ「そんなことないよ! お姉ちゃんはちゃんと謝れるよ! ……たぶん」


「わかってくれてなにより。さて、本題に入ろうか二人とも?」


 やや偉そうなのも奏そっくりだな、と笑いそうになる顔を堪えて質問する。


ロイオ「本題? 死後の世界でなにを……」


「そこそこ。二人ともまだ死んでないよ。死にかけてるだけで、死んでないから」


ねこねこ「でも……ぼく、刺されたし」


 膝を曲げて落ち込むねこねこの小さな頭を優しく撫でて笑顔を向ける彼女は本当の姉のようで。


「だいじょーぶ。ちゃんとサービス付きで復活させてやるから。アタシに任せなさいって!」


 弟と同じ得意げな笑顔。何度も見た光景がフラッシュバックする。いたずらに成功した時の意地の悪い顔、ゲームに負けたときの悔しそうな顔、眠たそうな朝の顔、機嫌の悪そうなあの日の顔。

 それらをゆっくり首を振って払い退ける。

 複雑な感情を湧かせる正体不明の人物にロイオは怪訝顔を向けた。


ロイオ「さっきから……お前は一体……?」


「そうだねえ、君たちをあの世界に連れてきた神様ってところかな」


 復活というワードにピンときたねこねこだったが、姉の姿をした自称神にロイオと同じ顔をする。


ねこねこ「神様……のおねえちゃん?」


「そうそう。まだ君たちはあの世界……あたしの世界で生活しててほしいからね」


 しゃがんでいた身体を起こして、川を見下ろす神。その物憂げな表情を見ていた二人の視界が眩み始める。

 急な肉体の不調に戸惑う二人だったが、神がその不安を拭うように『堀井 奏』の姿で微笑を送った。


「じゃあね、その内また会うからよろしく」


 ゆっくり水の中に沈んでいくような感覚で意識を失っていく中、ロイオは瞼が閉じる前にねこねこと視線を交わらせた。


「「まだくるなってことか(だね)……奏(お姉ちゃん)」」


 神の微笑に亡き存在感を重ねて、その願いを感じ取った兄弟。

 その後、穏やかな眠りを味わうように倒れる。

 花畑は水のように肉体を包み込み二人を飲み込んだ。


 つむじ風で花びらが舞う庭園で、『堀井 奏』は晴天を見上げた。


「……はぁー、さてと、閻魔えんまの方はちゃんとやったかなー?」


 言葉の節々に、寂しさに似つつ明らかにそれでないものを感じさせるこの神は、体を伸ばして歩み出す。


「せっかく呼んだのに序盤で死んでほしくないし、それにらしくないし……やっぱり、プライドが高そうな余裕の顔が見たいかな」


 その顔を思い出したかのように彼女は「ふふっ」と笑う。


「ゆっちゃんが元気そうで良かった……これからもよろしく頼むよ、イオ」


強い風に舞い上がった色鮮やかな花弁が幻想の存在を消し去った。

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