第85話

 太陽が地平線に近付く頃、街のほぼ全域が小型神鬼支配となった。

 千人程の自警団と、十人の妹社達が、北の山を背に戦っていた。

 もうこれ以上の退路は無い。これ以上下がったら、非戦闘員に被害が出る。

 そんな絶望的な状況の中、後方に下がって補給を終えた赤いメイド人形が戦闘に参加した。すぐ後ろが補給基地だった事もあり、補給と連射を繰り返すアイカの攻撃力は凄まじかった。

 また、メイド人形が齎した、あらゆる神鬼が沸かなくなったと言う情報も人々に勇気を与えた。始めは半信半疑だったが、アイカの火力のお陰で小型の海に穴が開き始める。

「敵の数が減って来たぞ! もう一息だ!」

「妹社の子が、神鬼の大元を叩いたらしいわ。ここに居る奴等を倒せば、戦いは私達の勝利で終りよ!」

 血と砂と硝煙で汚れ切った大勢の男女が、大声で励まし合いながら銃を撃っている。その中には自警団大将の小倉の姿まで有る。

 次第に戦線は押し戻され、絶え間無く響いていた銃声も途切れ途切れになって来た。撃てば必ず当たる状況が終わり、敵を探して狙わなければ当たらなくなったのだ。

 街の通りは数刻前から一変して閑散とした人間支配となっている。

「最終決戦の終わり、か」

 幕引きが始まっているこの戦いは猿人側の勝利で締められるだろう。

 二十年続いた猿人と樹人の戦争は、雛白明日軌の勝ちで終わった。

 エンジュは、そう思いながら民家の屋根の上で蹲っていた。左目には木片が刺さったままで、瓦にポタポタと赤い雫が滴っている。筋を作って雨どいに落ちて行く血液。普通なら生きてはいられない重傷だが、樹人の特徴のひとつである出血量の少なさがエンジュの命を繋いでいる。しかし余りの激痛に動く事が出来ない。

「こんな所に居たのか」

 背後に現れた気配がエンジュの赤いドレスの裾を踏んだ。逃げられない様に、だろう。

「……私を殺しに来たの?」

 右目の視線を瓦に落としたまま呟く緑髪の少女。

「貴女は殺してはダメと、雛白明日軌は私に命令した。何故だと思う?」

 前屈みのまま振り向いたエンジュは、痛みを堪えて声の主を見上げる。

 黒いメイド服を着たツインテールの女が、冷たい表情で見下ろしていた。

「私を嘲笑う為かしら?」

 卑屈に笑むエンジュ。

「ふ。そうしたい所だけど」

 赤いドレスの胸倉を掴んだ女は、無理矢理エンジュを立たせる。

「貴女、樹人側での立場は雛白明日軌と同等なんでしょう? 誇り高き血筋ならどんな時でも胸を張りなさい」

「く……」

 敗北感に塗れた顔に白い物がひとつ落ちた。

「……雪」

 少女と女は灰色の空を見上げる。

 白い雪が疎らに舞っていた。季節が早いのでまだ積もる事は無いだろうが、これからどんどん冷えて行くだろう。神鬼は寒さに弱いので、現在生き残っている奴も長持ちしない。

「貴女は、自分の立場を使って、もう二度とこんなバカな戦いを起こさない様にしなければならない」

 空を見続けている少女に視線を戻すコクマ。

 固まった血がこびり付いている青白い左頬に新しい血が伝っていて、谷間が強調されている胸元に落ちていた。ドレスが赤いので目立たないが、結構な出血量だ。

「聞こえてる? エンジュ。若い貴族は、貴女と東京方面の数人しか生き残っていないんでしょう?」

 力無く首を横に振るエンジュ。

「東京の方も、ほぼ全滅。若い子達が沢山死んだ。バカが狭い街に大型を沸かせてね。光線で同士討ちするわ、火事で逃げ道を塞がれたり。猿人も下剋上を起こして、日和見から徹底抗戦に……」

 エンジュは唇を噛む。

「小型と違い、中型大型は有限なのにね。持久戦にしたらダメって言っておいたのに」

 耳に嵌めていた小さな通信機を外し、無造作に捨てる。

「だから私達の負け。戦える貴族の生き残りは私だけよ。再び戦争を起こしたくても、我々の妊娠率の低さから考えると、数百年の時間が必要だわ」

「……聞いて」

 赤いドレスから手を離したコクマは、自分のヘッドフォンを外してエンジュの耳に当てた。唐突なその行動を警戒して頭を横に逃がそうとしたエンジュだったが、それから聞こえる音に気付いて動きを止めた。

「何よ? ……赤ちゃんが、泣いてる?」

「たった今、妹社凛さんが子供を産んだわ。男の子だって。これは父親に知らせてるの」

「そう。凛って確か、あの男が誘拐した妊婦だったわよね。そう、無事に生まれたんだ」

 嬉しそうに右目を細めるエンジュ。

「変な時間の出産だからちょっと心配だけど、親も子も元気みたいね」

「そう。良かった」

「良かったと思うのなら、貴女の役目を果して。新しく生まれる命が殺し合いをしない様にする為に」

「――と、雛白明日軌が貴女に言付けたのね」

 赤い右目でコクマの冷たい表情を見ながら笑むエンジュ。頬で固まっていた血にヒビが入り、ポロリと欠片が落ちる。

「良いわ。勝者に支配されるのは敗者の運命。従いましょう」

 ぐに、とエンジュの左頬を抓み、思いっきり捻り上げるコクマ。赤黒い破片がボロボロと瓦に落ちる。

「いだただぁ! 何するの!」

「本当ならひっぱたいてやるところだけど」

 怪我人だから手加減してあげてるのよ、と言いながら引き千切る勢いで頬肉を離すコクマ。

「違うでしょ? 支配するされるじゃないのよ。――しょうがない、親切な私が教えてあげる。樹人のほとんどが猿人との混血の妹社なんでしょ?」

「そ、そうよ。私と蜜月さん以外は。正確には妹社じゃないんだけど、天然と養殖の違いしかないから妹社と言って間違いじゃないの」

 涙目で頬を擦るエンジュ。無茶をされたので左目の出血が増えていて手が濡る。

「私達はこれからこの街を中心にして復興する。そのどさくさに紛れて、貴女達はどこかで生き残っていた妹社としてこの街で暮らしなさい。敵味方が無くなれば、もう大きな戦いを起こせないでしょ?」

「そ、そんな無茶な……。私達にも故郷が有りますし、プライドが高い年寄り達が納得しません。第一、それが出来なかったからこの戦いが始まったのに」

 大げさに肩を竦めるコクマ。

「なら、また戦いを起こすと言うの? この子に、銃を取れと?」

 コクマのヘッドフォンが、産まれたての泣き声を鳴らし続けている。妹社の子が妹社だと言う保証は無いが、両親が妹社なら確率はかなり高い。何らかの理由で神鬼が復活したら、妹社は再び戦う事になる。

「樹人の存在を知っている人はごく少数だから、貴女も髪を自然な色に染めればこの街で自由な結婚が出来る。貴女の子の幸せも掛ってるのよ」

「私の子の幸せ……?」

「そうよ。敵への恨みを、戦後のどさくさに紛れさせて消すの。謎の化け物は消えました。化け物を操っていた存在は、ただの噂であって実在していませんでした。めでたしめでたし。それで終わる」

「そんな事、出来る訳が……。でも……」

 卑屈になってもどこかに余裕が有ったエンジュが僅かに怯む。

 少し考えたエンジュは訊く。

「私の未来について、雛白明日軌は何と?」

「貴女が生かされているのが答えでしょう? 神鬼復活の可能性も残っているから、猿人が妹社を排除する方向にも行かない」

 さも当然の様に即答するコクマ。

「ふふ。自由な結婚、か。まさか私がそんな夢を見れるなんてね。――分かった。棘の道だけど、頑張ってみます」

 赤かったエンジュの右目が、スゥっと青くなった。この青空の様な瞳が元々の色なのだろう。

「それで良し。じゃ、左目の手当てをしましょう。目に木を刺したまま帰したら、こちらの印象が悪くなるし」

「ん……そうね。お願いしようかしら。ちょっと血を流し過ぎてるし」

 コクマに手を取られ、屋根から飛び降りるエンジュ。純血樹人だが、さすがに貧血を起こして着地でよろめいてしまった。反射的にコクマが支え、転倒は免れた。

 通りはすでに無人で、小型の死骸である細かい砂で覆われている。その砂に白い雪が落ち、溶けている。


『降雪と低気温により、神鬼の動きが鈍っています。住民の皆さんは注意しながら表に出て、生き残った神鬼の捜索をお願いします。神鬼の処理は自警団に頼んでください』


 街のあちこちに隠されていたスピーカーから、渚トキの声が響いた。

 大音量に本気で驚くエンジュ。

 しばらくすると、街中の民家や長屋から人間が出て来た。緑の髪で血だらけのエンジュを見て驚く、付近の家から出て来た人々。しかし雛白の黒メイドが腰と肩を支えていたので、特に警戒されずに済んだ。

「え? 非戦闘員は、普通に家の中に居たの? ウソでしょ? あの小型の海の中で、無事で居られる訳が……」

「雛白邸の地下が使えないとなると、避難所には全員は入り切れないからね。今、怪我人が居る場所は、元々は街を中型以上が占拠した場合の戦車格納庫なのよ」

 右目を丸くしているエンジュにニヤリと笑って見せるコクマ。

「生き残れたヒントは、誘拐された凛さん」

「あ……。押入れの床に穴を掘って、その中に隠れていたのか」

「正解。貴女達にバレない様に、それぞれの家の人が何ヶ月も掛けてこっそりとね。出された土は家と家の間に詰めて壁にしたの。自警団が戦い易い様にね」

「ふぅん……。これは負けるわ。そこまでやっているとは……」

 呆れて言うエンジュだったが、気持ちは清々しかった。

 ふと、負けと左目失明に落ち込んでいたせいで忘れていた事が気になった。

「そう言えば、蜜月さんは? 今、彼女が蛤石を抑えているんですよね? 私の知恵が必要かしら?」

「……彼女は、妹社の為に人柱になったわ。文字通り、ね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る