第66話
妹社達への作戦説明を終えた明日軌は、自宅の縁側に腰を下ろして一息吐いた。
みんなが良い子で、予想されたいざこざ以上の問題は起こらずに済んだ。
これで一先ず一安心だ。
「黒沢様からの差し入れが届いています。
コクマの言葉を聞いて顔を上げる明日軌。
「届いたの? やった! 今すぐ食べます。そうね、テーブルに」
明日軌にしては珍しく少女らしく喜び、ポニーテールを解いた。
そして軽い足取りで庭の白いテーブルに着く。
わくわくして待つ明日軌の前に大きな楕円形の皿が置かれる。
「うふ」
皿の上で並んでいる大好物の生牡蠣を見て、満面の笑みで手を合わせる明日軌。
「いただきます。……ん?」
不意に顔を上げ、対面に有る空の椅子を見る。
「数分後に、のじこさんが勝手に入って来る様ですね。入れてあげて。彼女の分の生牡蠣も用意して」
「はい」
コクマが家の方に消えてから、一個目の牡蠣を酢醤油に付けて食べる。
旬には早いがとても肉厚で、口いっぱいに風味が広がる。
美味し過ぎる。思わず涙ぐんでしまう程に。
二個目はレモン汁に付けて食べる。
しあわせ~。
三個目に箸を伸ばしたところで、大階段の上に有る扉が遠慮勝ちに開いた。銀色の頭が出たり入ったりしながら辺りを窺っている。断わりも無くこんな事をしたら双子の忍者のどちらかに怒られるのだが、今日に限っては誰も来ない。
お咎め無しを不思議に思ったのか、小さな頭と肩をこちら側に入れた。
庭に置いて有る白いテーブルに着いているセーラー服の明日軌と目が合う。明日軌がにっこりと笑んで手招きすると、入っても良いんだと判断したのじこがテーブルに向かって駆けて来た。
「座って。一緒に牡蠣を食べましょう」
「カキ?」
椅子に座り、楕円形の皿を赤い瞳で見るのじこ。気持ち悪い物を見る顔になっている。
「なにこれ」
「私の好物よ。食べてみて」
黒いメイドがのじこの分の酢醤油と箸を持って来て、テーブルに置いた。
「……いただきます」
銀髪少女は牡蠣を箸で抓んでみたが、グロテスクな物体に嫌悪感を露わにする。
「ふふ。とても美味しいのよ」
チュルン、と三個目の牡蠣を食べる明日軌。
不気味な物を幸せそうに食べている明日軌を見て、のじこも意を決して牡蠣を頬張る。
「どう?」
モグモグモグ、ゴックン。
「……まずくは、ない」
「うふふ」
二人で生牡蠣を突付き、半分程に減ったところでのじこが箸を止めた。
それに気付いた明日軌が牡蠣から顔を上げる。
「どうしたの? まだ食べられるでしょう? 味に飽きちゃった?」
のじこは、上目使いに明日軌を見た後、脇に控えるコクマを横目で気にした。
「ちがう。あの、ね。明日軌。その……」
視線を泳がせ、そわそわするのじこ。手はTシャツの裾を握ったりスパッツの皺を伸ばしたりしている。
こんな様子ののじこを見るのは始めてなので、明日軌は箸を置いて言葉を待つ。
「明日軌が……怖い」
「怖い? 私が?」
「うん。その……おじいちゃんが、動かなくなる前みたいな……感じがする」
たどたどしく言うのじこ。
のじこは、幼い頃に親に捨てられた子だ。山奥に捨てられたのじこを育てたのは、仙人の様な老人。
老人は、のじこをある程度育てた後、老衰か病気かは龍の目で見ても分からないが、亡くなった。
その老人が亡くなる前の状態と今の明日軌が重なって見えるらしい。
「明日軌、大丈夫、かな。居なくなったら……やだ」
雛白部隊設立当初から神鬼を倒して来たベテランが、まるで普通の女の子になっている。
胸が締め付けられ、どう応えて良いか迷ったが、正直に言う事にした。
この子は妹社。普通の十才の子供の様な生き方は出来ないのだ。明日軌と同じく。
「そうね。これから起こる戦いで、私は恐らく死ぬでしょう。龍の目で見ているから、それが分かるの。のじこさんはそれを感じているのね」
大好きな人が死ぬと聞いて泣きそうな顔になるのじこ。
「のじこ、頑張って戦う。明日軌を死なせない。どうすれば良い?」
「ありがとう。でも私の生死はハクマに掛ってる。だから彼には今も色々と動いて貰っているわ」
「のじこも何かする!」
「期待しているわ。だからのじこさんには他の妹社とは違う作戦をあげたでしょ?」
「……うん」
頷いてはいるが、表情は曇っている。不安が勝って納得出来ていない様だ。
「あのね、のじこさん」
のじこが明日軌の顔を見るのを待ってから続きを話す。
「未来は、行動で変えられるの。龍の目を持った私だからはっきりと言える。左目で見える風景は、誰かが足掻く度に代わって行くから」
「未来は、変えられる?」
話が難しくてキョトンとするのじこ。
しかし絶対に理解して貰えると信じて話を続ける。それも未来を変える要因になるかも知れないから。
「例えば。のじこさんが私を心配し、作戦を無視して勝手な行動をしたとする。そうなると思って龍の目で街の風景を見ると――」
「どうなるの?」
「来年の春、この街には誰も居ません。街の人は死に絶え、私は勿論、妹社のみなさんも、全員死んでいます」
ただし、蜜月と凛と少数の市民はどこかで生きている雰囲気が残っている。恐らく樹人の捕虜になっているのだろう。
「しかしのじこさんや妹社のみなさんがきちんと作戦に従えば、凛さんの孫と龍の目を持った少女が、この場所に居る風景が見えます」
「孫って、子供の子供?」
「そうです。四十年くらい先でしょうか。そんな未来まで、この街は存在出来ます。そこは神鬼の影も無い、平和な時代です」
「龍の目を持った少女って、明日軌の孫?」
街を助けると明日軌が死ぬ未来は不変なので、それは違うだろう。龍の目の持ち主は世界で二人しか存在出来ないらしく、その子は左目が緑色なので、その時代での明日軌の生存は無い。
だが、死は決定ではないので、生きている可能性がゼロと言う訳でもない。
四十年後のその子の年齢は、十代前半くらい。数日後に明日軌が死ぬとして、彼女が産まれるまで三十年くらいの間が有る。その間が何を意味するのかは全く分からないが、明日軌の寿命が後三十年有るとも思える。
「それは分かりません。ですが、もしそうなら私は死なないのかも知れない。だから、これからの戦いに勝たなければならないの」
「分かった。のじこ、作戦、がんばる」
力強く頷くのじこ。
その表情を見て微笑む明日軌。
「分かって貰えて嬉しいわ。私だって死にたくないもの。頑張って未来を変える。そして最後の最後まで足掻いて生き残ってやる」
言って、牡蠣を頬張る明日軌。
生き残って、旬の牡蠣も食べてやる。金持ちらしく、贅沢な物を病気になるまで食べ尽くしてやる。
牡蠣を食べ終わると、のじこと二人で自宅の縁側に座ってお茶を啜りながら雑談をした。
アイカが混合妹社隊の間で話題になっているらしい。
等身大の奇妙なメイド人形は、普段は蜜月の部屋で椅子に座っている。
その人形が白目を剥いて廊下を歩いていたと、怪談の様に囁かれていると言う。
あれは自分で動ける機械人形だと説明しても、当然理解されない。だからエルエルがみんなの前で動かしてみせろと言うのだが、アイカは見世物じゃないと主張する蜜月が部屋から出さなくなってしまった。
その行動があやしい、蜜月が人形と会話をしていた、作戦で蜜月とのじこが別行動なのは特別扱いだ、と言う流れになっているらしい。
アイカについての報告は蜜月から上がって来ている。
植杉が残したマニュアルに従っての起動実験を繰り返した今では、蜜月以外の言葉もある程度なら聞き分けられる様になった。それはコクマが確認している。
しかしまだ完全ではないので、万が一にも事故や暴走が起こらない様に、慎重に行動しているとの事だった。
それが悪い噂に繋がっているのか。
「あらまぁ。決戦の前に蜜月さんが浮いているのは問題ですね。ありがとう、のじこさん。良く教えてくれました」
えへへ、と笑うのじこ。
「今夜はやる事がいっぱい有って家から出られませんから、明日、何とかしましょう」
これからハクマへの指示を考えなければならないから一人にしてと明日軌に言われたのじこは、素直に雛白邸に帰った。
その日の妹社隊の夕食は大食堂での野菜たっぷりカキ鍋パーティーで、のじこだけが少しウンザリとした顔をした。それでもお腹いっぱい食べたが。
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