第52話

 朝日が昇り始める頃、大型神鬼が作る橋が海岸に到達した。

 明日軌は妹社の二人に戦闘位置への移動を命じる。

 それからも二匹の大型が橋を渡り、橋の太さを調節する様に海岸付近で自らの身体を砂に変えた。

 橋の完成。

 同時に大型の侵攻も無くなる。

 覗き穴から双眼鏡を突き出した明日軌は、慎重に海岸を見渡す。パッと見は無人で殺風景な夏の海。

 しかし草やら廃船やらに偽装された黒沢自警団の戦車が多数配置され、砲身を橋に向けている。

 海岸の後方にも戦車中隊が控えている。

 ただ、ここに配置されていた黒沢家のイモータリティは街に帰した。蛤石の有る街に妹社一人と言う状況はやはり不安だからだ。

 イモータリティは黒人男性で、顔合わせの時には流石の明日軌も一歩引いてしまった。全身真っ黒の人間を初めて見たから。しかし身体が大きくて強そうだったので、街の方は心配無いだろう。

 そんな訳でこちら側の準備は万端なのだが、一時間経っても動きが無い。

 まさか本当に税金の無駄使いをさせる為だけに橋を作っていた?

 まぁ、これで終わりでも、黒沢部隊を借りた明日軌が恥をかくだけだから、それはそれで良い。取敢えず明日の朝までは警戒を解く命令は出さない事にしよう。

 更に一時間経ち、太陽が昇って気温が上がる。今日は暑くなりそうだ。

 横穴の中が蒸して来た。

 何も変化しない海岸から目を離し、双眼鏡を下ろす明日軌。

 水筒の水を手拭いに染み込ませ、顔を拭く。徹夜開けで顔に油が浮いていたので気持ちが良い。

「ふぅ……」

 トイレに行きたくないから朝ご飯は小さいお握り一個だけだったので、お腹が空いた。

 疲労を取る為の糖分、コンペイトウをポリポリと食べる。

「ねぇ、エンジュ?」

 現場の動きが全く無いので、何気無く呼び掛けてみる。

「何でしょう?」

「えっ?」

 穴の入口の近くで返事が有ったので、明日軌は普通に驚いた。

「自分で呼んでおいて驚くとは失礼ですね。流石龍の目、気配を消しても分かるのか、と思って返事を差し上げたのに」

「すみません。現場を見ているとは思っていましたが、こんなに近くに居るのは予想外だったもので」

 横穴の入口を塞いでいる草を縫い付けた土色の布を捲って顔を出す明日軌。

 緑色の長い髪を持った軍服の少女が入口の真横に立っていた。腕を組み、真っ直ぐ海岸を見ている。

「まさか抵抗を止めるとは思っていなかったので、どうするか悩んでいるみたいね」

 エンジュは他人事の様に言った。

 彼女はこの作戦とは無関係なのか。と言う事は、敵には複数の命令系統が存在すると言う事か。

「もしかしてとは思っていましたが、本当に無策でこんな事をしているんですか?」

 明日軌は穴から出てエンジュの隣りに立った。背はエンジュの方が五センチ程高い。

「考えは有る、とは思うけど。どうなんでしょうね」

「貴女達は情報の共有を行っていないんですか? 貴女の発言からは、複数の部隊が勝手に動いている、と感じますが」

「共有はしてるわ。けど、私達には経験が無いから。猿の歴史は戦争のみ。私達の戦闘経験はこの二十年。その差は大きい」

 風が周りの木々を揺らし、二人の少女に纏わり付いていた熱気を浚って行く。やはり東北は越後よりは涼しい。

「なるほど。なら、猿の歴史から戦術を学べば良いのでは?」

「それは禁止されているわ。戦いの知識と経験は我々の歴史に存在してはいけないから、だそうよ」

 溜息を吐きながら「素晴らしい理想ですね」と呟く明日軌。

「なら、なぜ寝返りなんかさせたんですか。私なら、最後までの緻密な計画が無いのなら、こんな面倒な事は始めからしませんが」

 微かにエンジュの顔が険しくなる。痩せて目付きの悪い男の顔が一瞬だけ左目に映る。

「私もそう思うわ。ここの指揮をしている奴は、ちょっと頭が良いからって調子に乗ってるのよね。結果、この有様」

「確かに性格の良さそうな顔ではありませんね。その方がこのグダグダな状況を作っているのですか?」

 おっと、と呟いてから表情を消すエンジュ。龍の目に映る男も消える。

「色々と見えてるみたいね。貴女の近くに居ると、こちらの腹の中にまで入り込んで来そう」

「明日軌様!」

 苦無を構えた迷彩柄忍者装束のコクマが現れた。

「ああ、大丈夫よ、コクマ。エンジュは私を攻撃しないわ」

 コクマの動きを手で制する明日軌。

 そんな明日軌に意外そうな顔を向けるエンジュ。

「あら。どうしてそう思うの?」

「今現在私が生きている事がその理由ですよ。貴女ならいつでも私を殺せますし」

「ふふ」

 笑いながら橋の方に赤い瞳を戻すエンジュ。

「それに、私に万が一の事が有って、その原因がエンジュなら、蜜月さんがそちら側に行く可能性が確実にゼロになりますし」

「その通りですわ。貴女、良いわね。肝も据わってる。私の参謀にならない? 龍の目を持っているから反対はされないはず」

「謹んでお断りします」

「ふふ。ま、そうですわよね」

「で、コクマ。何か有ったの?」

 敵同士なのに談笑している軍服とセーラー服の少女を不思議そうに見ていたくのいちは我に返る。

「三人の人間が橋を渡り始めました。身体的特徴から、蝦夷の妹社です」

「来たわね。その他は?」

「現在、ありません」

「作戦通りに」

「は」

 姿を消すコクマ。

「ちょっと、失礼します」

 穴の中に戻った明日軌は、ヘッドフォンを手に持って外に出て来る。

「本当、嫌な男」

 エンジュは厳しい表情で橋を見ている。

「蝦夷の妹社が寝返った理由、知らないでしょう?」

「ええ。原因不明です」

「教えてあげるわ。妹社の一人を人質にしているからよ」

 一瞬言葉の意味が分からなかったが、明日軌はすぐに察した。

 元々、蝦夷の妹社は四人。

 橋を渡っているのは三人。

「死亡報告の有った一人が、生きている? でも、どうやって? 妹社の拉致なんて人知れず行える事ではないでしょうに」

「策を巡らせて死を偽装したのね。あのね。その子、こうなのよ」

 エンジュは自身のお腹が膨らんでいる様に両手でジェスチャーする。

「妊娠?!」

 驚く明日軌。

「部隊内恋愛、だそうよ。史上初、両親が妹社の子」

「なんて事……」

 人間から見れば完全無欠の生命体である妹社にも弱点が有る。

 それが妊娠だ。

 妹社の女が妊娠すると、共生欲が自身の胎児に強烈に向く。精神も不安定になり、鬱に近い状態になって外界からの刺激に弱くなってしまう。

 その状態なら浚う事等容易いだろう。

 明日軌が男の妹社を求める理由のひとつだ。

 まぁ、蜜月とのじこにはもうしばらくその心配は無さそうだから良いのだが、エルエルは心配だ。異性に共生欲が向いたら、確実に……。

 そうなった時の対策と準備を考えて置くか。

「産まれて来る子がフルスペックなら凄く興味深い、ですって。もしそうなら我等の未来は明るい、とあの男は言う」

 不快そうに顔を歪ませるエンジュ。

 一瞬だけ左目にイケメンが映る。良く見えなかったが、さっきの男とは別人だ。

「女を何だと思っているのかしら。私達は子供を産む道具じゃないわ」

「エンジュ、貴女……」

「さて。蝦夷の妹社の事情は分かって貰えたと思う。どうしますか? 雛白明日軌さん?」

 赤い瞳で緑の瞳を見るエンジュ。

「……。質問。フルスペックとは何ですか?」

「秘密」

「ふむ」

 エンジュの希望は、妊娠した妹社の解放、か。それ以外の情報はくれない気だな。

「もうひとつ質問」

「なぁに?」

「樹人の人口は少ない。全ての樹人に婚約者が居て、産めよ増やせよ状態かしら? 勿論貴女も」

 エンジュと見詰め合う明日軌。

 黒髪と緑色の髪が風に揺れる。

「半分正解。私は、姫がこちら側に来たら、お役御免で家に入るわ」

「エンジュはそれを望んでいないの? 顔が嫌そう」

「貴女も同じ立場でしょう? 戦える立場に居るから戦っている。戦いが終わったら、家の為に婿を取って子を産む。良いとか嫌とかの問題ではないわ」

「その通りですね。同じ立場……ですね」

 家を継ぐ立場に有る者は自由恋愛が許されないのが今の時代だ。男女共に、身分が違う人と恋仲になりたいと言う希望を口外するのは親不孝者と言うのが常識となっている。行動を起こすなんて言語道断、勘当物だ。

 身分的に問題が無い相手を好きになれれば良いのだが、世の中そう思い通りにならない。

 特に一人娘の明日軌は、本来なら危険な行動は許されない。こんな前線で敵と共に立っているなんて狂気の沙汰だ。龍の目の持ち主でなかったら、親は勿論、親戚や近所の知らない人からも叱られる。神鬼が居なかったら、箱入り娘として世間知らずに育った事だろう。

「良い恋愛小説が有るのですけれど、興味はお有りですか?」

「は?」

 いきなり話題が変わったので、鳩が豆鉄砲を食らった様な顔になるエンジュ。

 そんなエンジュに横顔を見詰められている明日軌は、海の方を眺めながら言葉を続ける。

「戦いが無くなり、作り話の様に好きな人と自由な恋愛が出来る世の中が来たら良いですね」

「……本当に。私達の側も、若い世代は猿に敵意を持っている人は少ないんです。しかし、猿よりも長い時を生きると別種族としての迫害を受けます。悪魔やら魔物やらと呼ばれて」

 エンジュも海を見る。

「妹社達も、こんな戦いが無かったら猿に迫害を受けていたはずです。それからなら姫も、そして貴女さえもすんなりと私達の側に来たはず。私達は順番を間違えた」

 肩を竦めるエンジュ。

「もっとも、迫害されるのを待つと言う作戦を採用するほど私達は鬼畜ではありませんけれども、ね」

 彼女の言う通り、龍の目を持った明日軌も、こんな戦いが無かったら迫害される立場だっただろう。

 本当に過去の風景が見えると言っても、それは幻像だ。他の人に見えない物が見えると言う子は、頭がおかしい子と判断されても不自然ではない。

 明日軌は父親に守られたのでこうして表を歩いているが、明日軌以外の龍の目を持った子が幸せに暮らしていると言う話は一切聞かない。

 人は、標準や普通が当たり前で、それ以外は排除しようとする習性を持っている。

 樹人が戦いを始めた理由はやはりそこか。

 悲しい事だ。

 左目を掌で覆い隠す明日軌。

 明日軌の母親は、特殊能力を持っている自分の娘を気味悪がって外国に逃げた。自分の娘を頭がおかしい子と判断したのだ。

 もしもヨーロッパの方に行っていたのなら、きっともうこの世に居ない。

 しかし明日軌は母親に興味は無い。どんな事になっていようとも。

 別に逃げた事を恨んでいる訳でも帰って来ない事を憎んでいる訳でもない。

 親を心底嫌える程明日軌は不幸ではない。

 ただ、向こうから謝って来ないのなら許す気にはなれない。

 樹人達も、猿人にそう言う気持ちを持っているんだろう。

 一人納得した明日軌は、手を下して深呼吸した。

「もう妹社同士の戦いは止められません。事情を話したら、蜜月さんは手加減をし、萌子さんの心に迷いが生じます。結果、彼女達が負けるかも知れません」

 肉眼でも橋を渡る人影が見えて来た。

 妊娠中の妹社は異様に弱くなるらしいので、お腹の子の父親が死んだとなったら、ショックで死んでしまうかも知れないな。

「だから、このまま戦いを見守ります」

 気持ちを戦闘体勢に切り替えた明日軌は、そっとヘッドフォンを装着した。

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