第45話
東北の名失いの街に着いた時は、もうすっかり日が暮れていた。越後の街と同じく駅前には活気が無いが、二台の車のライトで照らされているので暗くはない。
「雛白明日軌様。遠路遥々おいでくださり、まことにありがとうございます」
執事服を着ている初老の男性が恭しく頭を下げた。本職なのか、ハクマより様になっている。
双子忍者は元々が戦闘と諜報が本職なので、従者としての経験は浅い。なので、本物と比べると、やっぱり違う。
「私は黒沢家に仕える執事の木田と申します」
明日軌は黒眼鏡を外して木田を見る。怪しい影は無い。
「お出迎えありがとうございます。こちらは――」
外国の犬の様な髪型の袴少女を手で示す明日軌。
「妹社蜜月さんです。私の護衛をお願いしています」
「左様で御座いますか。では、お二人はこちらへ。御付きの方達は後ろの車へどうぞ」
明日軌と蜜月は前の車に案内された。
「……セバスチャン」
「え?」
黒塗りの高級車に乗ろうとする明日軌から意識的に一歩遅れ、護衛を失敗しない様に懐の拳銃を確かめていた蜜月の耳にコクマの呟きが聞こえた。振り向くと、コクマの唇の端が上がっていた。
「ど、どうしたんですか? コクマさんが笑ってるのなんて初めて見ましたけど」
蜜月が自分を見ている事に気付いた黒いメイドは、普段の険しい顔に戻る。
「なんでもないわ。妹社は耳も良いのね、気を散らせてごめんなさい」
コクマは早口で謝り、素早く後ろの黒塗り車に乗り込んだ。
「??」
「蜜月さん? どうしました?」
「あ、すみません」
前の車の中から明日軌に呼ばれた蜜月は、慌てて女主人の隣りに座る。
木田が車のドアを閉め、それから助手席に乗る。
「では、黒沢家に向かいます」
走り出す二台の車。
「失礼だとは思いますが、黒眼鏡を掛けさせて頂きますね。目が悪い物で」
「はい」
車の外は漆黒の闇なので何も見えないが、龍の目にはそんな事は関係無い。昼間の記憶が見えれば、そこは明るい昼間なのだから。
「おー。ここも大きな門です」
走っている間、ずーっと窓の外を見ていた蜜月が声を上げた。無限にも思えるくらいに長い塀や、入り口である巨大な門は、雛白邸とほぼ同じ造りになっている。
ゆっくりと開いた鉄の門を通る車。
ようやく目的地に着いた。
旅慣れていない明日軌は、こっそりと安堵の溜息を吐く。これで狭苦しい乗り物から解放される。
やや待つと、執事の木田が後部座席のドアを開けた。
普通の護衛なら素早く降りて周囲の安全を確かめる物だが、馴れていない蜜月は車を降りても何も考えずに成り行きを窺っている。
代わりに一瞬で後ろの車を降りたコクマが豪邸と庭に視線を撒いている。
明日軌も車を降り、半日座りっ放しで痛む腰をこっそりと伸ばした。
雛白邸は上に高い五階建ての洋館だが、ここは横に広い二階建ての和式木造住宅だった。勿論、異常なくらい広い。
「お疲れ様です、雛白明日軌さん」
立派な口髭を蓄えたスーツ姿の中年の男性が豪邸の玄関先で立っていた。
その後ろには若い男女が控えている。
「
朗らかな笑顔で言う男性。
「雛白明日軌です。暫くお世話になります」
黒眼鏡を外し、頭を下げながら三人を見る明日軌。男性二名に異常は無いが、女の方は気になった。
「失礼ながら、そちらは……?」
「この子達はこの街の妹社です。さぁ、自己紹介を」
一歩前に出る若い男女。
「
「妹の
深く頭を下げる妹社の二人。
「妹さん? 御兄妹なんですか? 血の繋がった、本当の?」
「はい」
爽やかな短髪の兄が頷く。引き締まった身体にスーツが良く似合う。
橙の着物を着た妹はオカッパが可愛らしく、まるで座敷童の様だ。
萌子、か。覚えておこう。
「よろしくお願いします。……蜜月さん」
明日軌は半身だけ振り向き、肩越しに蜜月を見て頷く。
察した蜜月が明日軌の隣りに進む。
「私は妹社蜜月です。よろしくお願いします」
布袋に入った日本刀を両手で抱えながらぎこちなく頭を下げる蜜月。
妹社兄妹が会釈を返す。
「この街に配属されたイモータリティは問題の現地に向かわせているので、ここには居ません。さ、立ち話も何ですから、どうぞ中へ」
屋敷に入る様に促す黒沢に頷く明日軌。
「ありがとうございます。早速こちらの戦況をお伺いしましょう」
一向は広い玄関を潜り、ぞろぞろと廊下に上がる。
「凄い木の香り」
蜜月はクンクンと鼻を鳴らしている。本物の犬みたいだ。
「……」
無言で明日軌の隣りに並ぶコクマ。
明日軌は、それに首を横に振って応えた。
忍の主な仕事は情報収集だが、それを封じたのだ。
コクマが心配するのは当然だが、ここはこの街の私設部隊の本拠地。余所者が色々と探っては良く思われないだろう。今はこの家の警備を信用しなければ。
「この部屋は盗聴等への対策を万全にしてありますので、ご安心ください」
家の規模に比べればそれ程広くない和室に通される一行。
コクマ以下四人のメイドは廊下に残る。
「一番の心配は蝦夷に現れている大型の存在ですが、この大型は甲の様で、思ったより脅威ではありません」
黒沢は、話を切り出しながら上座に座った。
「甲の大型? 珍しいですね」
机を挟み、その対面に座る明日軌。
兄妹の妹社は和室の入口近くに座り、蜜月は明日軌の斜め後ろに座った。
「これは戦闘用ではなく、移動用の神鬼らしいです」
「移動用?」
「小型の神鬼をそのまま大きくした姿をしている、との報告を受けています」
「黒鉄の鎧は着けていないのですか?」
「はい。その代わり、身長は百メートル近く有ります」
「ひゃ……」
その規模に絶句する明日軌。
蜜月もついでに驚愕している。
「攻撃力や防御力は無く、蝦夷の戦車隊でも楽に倒せたそうです。が、何十匹も居る上に蝦夷の妹社が手強く、どうにもならなかったそうです」
和服に割烹着の家政婦さんが人数分のお茶を淹れる。
「その大型の目的は、自ら海に沈み、蝦夷と本土との橋となる事です」
「因幡の白兎の様ですね」
「昔話ですか。そうですね。大型は足が遅く、本土側からの遠距離砲で攻撃をし続けているので、橋は半分程の地点で止まっています」
「橋が完成したら総攻撃が来ますね」
「恐らく。その準備をしているのか、ここ最近はこの街は神鬼に襲われていません」
「なるほど。今現在は危機的状況ではない、と言う事で宜しいでしょうか」
「ええ。燃料弾薬を準備出来る期間が生まれたので、それ程は。ただ、敵の総攻撃が始まれば、大型の全てが乙になるでしょう」
「厳しいですね……」
奥歯を噛みながら茶碗に視線を落とす明日軌。
「あら、茶柱」
それを聞いた蜜月は、反射的に身を乗り出して明日軌の茶碗を覗いた。
しかし茶柱は浮いていなかった。
「それは縁起が良いですね」
黒沢からは見えないので、素直に笑んでいる。
「全世界的に状況は悪いですが――」
空色の袖を捌き、楚々とした仕草でお茶を飲む明日軌。
「私の目には不吉な影は見えません。この街は大丈夫でしょう」
「おお。そうですか。それは良かった」
黒沢は、明日軌の緑色の左目を見ながら安心した。
もっとも、大丈夫なのは今だけだ。神鬼の橋が完成したら、この茶柱も左の瞳から消えるかも知れない。
まぁ、余計な事を言って不安がらせる必要は無いだろう。
美味しいお茶を飲み干した明日軌は、そこで最初の情報収集を終了とした。
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