第38話
「蛤石が敵の手に落ちたら、この街どころか、この国全体が滅びます!」
全速力で走る戦闘指揮車の中から、マイクを通じて全軍に言う明日軌。
「現在、この国の軍は北と南に戦力を集中させています。ほぼ中央に有る越後へ国が戦力を割く事は出来ません。絶対に間に合わせてください!」
雛白部隊のほぼ全てが蛤石監視所に向かって行軍している。轟音を響かせてあらゆる道路を走る戦車群を街の人々が不安そうに見送る。普段の行軍方向と違うから。
「トキさん、エルエルさんとコクマは?」
「連絡は有りません」
「く……」
出撃が有ればハクマを迎えにやると言ったが、そんなヒマは無い。
とてつもない焦燥感。
雛白邸と蛤石監視所は、そこそこ離れている。戦闘指揮車の全速力なら十分も掛からないが、焦っている明日軌には一時間にも感じられる。
脇の汗が滴り落ちているのは夏の陽気のせいではないだろう。
『妹社隊、監視所に到着しました』
先行しているハクマからの報告。
明日軌は急いでマイクの白いボタンを押す。
「状況は?」
『観測所の南側の壁に大穴が開いています。中型が通れる大きさです。降車後、私達もそこから侵入します』
「敵は?」
『確認出来ません。のじこさん、蜜月さん、前進してください。十分注意して』
妹社の二人の返事が聞こえない。回線が通常設定の隊長のみになっている。気が動転しているせいで設定変更を忘れていた。普段は電池節約の為に交信を限定しているのだ。
明日軌は、ヘッドフォンのツマミを回して設定を妹社隊全員に変える。
『――いですね。……あ、敵、かな?』
蜜月の声。
『あの黒い塊。あれ、中型の背中だよね? のじこちゃん』
『うん。遠くて良く見えないけど……。蛤石を囲んでる?』
「敵の目的を探る必要は有りません。急いで殲滅を!」
『うぁ? あ、はい!』
普段は通信に乗らない明日軌の声に驚いた蜜月は、思わず大声で返事をした。
『ハクマです。監視所の上部から見ても、中心の中型以外、敵は確認出来ません。蜜月さんはそのまま前進。のじこさんは周囲を警戒しながらその後に続いてください』
『了解。蜜月、駆け足で前進します』
『のじこ、蜜月の後を追う』
戦闘指揮車が停まる。
居ても立ってもいられない明日軌は車から飛び降り、巨大な木の壁へと走った。
そこが蛤石監視所だ。
壁には大きく口を開いた入口が有り、そこに飛び込む。廊下も無くすぐに急な上り階段が有るので、明日軌はワンピースの裾を気にせず階段を駆け上がる。
壁の上に出ると、幅十数メートルも有る木の床の通路が広がっている。そこでは迷彩服を着た男達が一定間隔で並び、構えた銃を壁の内側に向けていた。
しかし射撃はしていない。
そんな男達の隙間に立った明日軌は、乱れた呼吸を整えながら内側を見る。
報告通り、壁が囲んでいる広場の中心に黒い塊が有る。
明日軌は目が悪いので良く見えない。
そこに向かっている、キラキラとした物。夏の日差しが鏡の鎧に反射している妹社の二人か。
「くっ」
その場を離れ、木の床の通路を走る明日軌。
通路には屋根が無いので、あちこちに日除けの布や傘が落ちている。水筒や弁当も。
そんな通路の途中に屋根の有る小屋が有る。通路の東西南北に存在するその小屋で蛤石を監視している。
「双眼鏡を!」
長い髪を振り乱し、汗だくで小屋に飛び込んで来た女主人に双眼鏡を渡す監視小屋内の男。
「失礼!」
監視小屋の窓から蛤石を監視している男二人の間に強引に割り込んだ明日軌は、急いで双眼鏡を覗く。
広場の中心に有る黒い塊は、黒鉄の輝きを持った亀の甲羅の様な物だった。やはり中型神鬼だ。
数十匹の中型神鬼が、背を外側にしたおしくらまんじゅうをしている様に見える。
「アレは何をしているのですか?」
明日軌は、双眼鏡から目を外さずに訊く。
同じ様に双眼鏡を覗いている男二人の内の一人が応える。
「分かりません。突如壁を壊して侵入し、わき目も振らずに蛤石を囲んでしまいました。その後はピクリとも動きません。もう何十分もあのままです」
『攻撃しても良いんでしょうか? 全然動きませんけど』
ヘッドフォンから蜜月の声が聞こえ、ハクマが返す。
『蜜月さん、弱点を狙って一発だけ撃ってみてください』
『了解。と言っても、ダルマみたいに丸まっていて、甲羅を盾にしてます。どうしましょうか……』
明日軌はキラキラと光る物に視線を合せる。
歩兵銃を構えている蜜月が横歩きしていて、ようやく一発撃った。距離が有るので、銃声が微かに遅れて届く。
『何とか膝裏に当てたのですが、無反応です。血が出てて、痛がっている様には見えますけど』
『不可解ですね。では、倒れるまで撃ってみてください』
『了解』
広場に響く銃声。十発以上の弾丸を受けた神鬼はほとんど反応せず、倒れる事も無かった。
「蜜月さん。神鬼が何をしているか分かりますか?」
『えーと、ちょっと待ってください?』
明日軌の質問を受け、蜜月は神鬼の周りを走って一周した。
その後ろにのじこも続いている。
『隙間無くみっちりと寄り添っていて、中が見えません』
唸る明日軌。
蛤石とは、二十年程前から世界中に現れ出した銀色の水晶の和名だ。その銀水晶から小型の神鬼が無限に沸くので、こうして監視している。小型神鬼が沸いたら間を置かずに殲滅させる為に。高い壁で囲んでいるのも、敵を外に出さない為だ。
そんな敵の生産工場の様な蛤石に、中型神鬼達は何をしているのだろうか。
中型神鬼と言えば、人目の無い地域にコッソリと現れ、ゆっくりと進軍して来るのがいつものパターンだ。
しかし今回は常時街の外側を警戒している観測隊に発見されていないので、いきなり街中に現れた事になる。
そんな事が出来るのなら、最初からやれば良いのに。
そうしていたら、すでに人は絶滅していただろうに。
謎過ぎる。
何にせよ、人間にとって良くない事をしているのは確かだろう。
ハクマならひとっ飛びで神鬼の内側に入れるだろうが、何が起こっているのか分からない場所に生身の人間を突っ込ませる訳には行かない。
かと言って、指を咥えて眺めている間に取り返しのつかない事になったら……。
『のじこが上から覗こうか?』
肉弾戦が得意なのじこは、普段の戦いでも猿の様に中型神鬼の身体を攀じ登っている。
彼女が適任だと思う明日軌と同じく、妹社隊隊長のハクマは肯定の指示を出す。
『危険ですが、お願いします。攻撃はせず、何か有ったら即座に距離を取ってください。蜜月さんはサポートを』
『了解』
『登るよ』
のじこが装備している鏡の篭手は、手の甲がスコップの様な形をしている。鏡の靴のつま先にも鬼の角の様な出っ張りが有り、彼女はそれらを使って中型神鬼を倒す。
その武器を器用に甲羅に引っ掛け、スイスイと登るのじこ。百回以上もそうやって登っているので、さすがに慣れている。
『お? 誰か居るよ』
中型神鬼の頭の天辺に乗ったのじこが言う。土足で立っているのに、神鬼は振り払おうとしない。何が有っても蛤石を囲み続けろと命令されているのだろうか。
『誰か、とは?』
ハクマの問いには返事が無く、のじこは変なタイミングで何? とか言っている。
その誰かと会話しているのか?
船頭が二人だと船は沈むと言うので、明日軌は大まかな作戦方針を各隊の隊長に伝える事しかしない。先程はつい指示を出してしまったが、あれは大失態だった。
なので口を挟みたい気持ちをぐっと飲み込み、静かに推移を見守る。
『あのね、今は戦う気は無いから、攻撃しないでって言ってる』
『言葉を話していると言う事は、人間ですか?』
数秒の間。
『人間。のじことエルエルより変な色』
『分かりました。そちらの攻撃が無い限りはこちらは攻撃しませんと伝えてください』
ハクマの言葉通りに叫ぶのじこ。
直後、神鬼から飛び降りる。
『どうして降りたんですか?』
『危ないから降りなさいって言われた。もう帰るみたい』
『そうですか。では、何が有っても良い様に、警戒しながら距離を取ってください。こちらからの攻撃は禁止。反撃は許可します』
ハクマの指示通り、妹社二人は武器を構えながら数歩後退する。
すると、蛤石を囲んでいた中型神鬼の全てが仰向けに倒れた。まるで花が咲く様な形で。甲羅を残し、中身が砂に変わる。
まさか、自殺した?
明日軌は蛤石に双眼鏡を向ける。
そこには、緑色の長髪を持つ少女が立っていた。明日軌の様な綺麗な髪の事を緑の黒髪と言うが、そうではなく、本当に新緑の色の髪だ。軍服の様な物を着ている。
それを見て明日軌は息を呑んだ。
『ふる……? 何? 私の事?』
蜜月と緑の少女が何か会話をしている。向こうの声はヘッドフォンに付いている小さなマイクでは拾えない。
『どうして?』
蜜月の問い掛けに何か返事をした少女は、冗談みたいな速度で走った。蛤石から監視所の壁まで百メートル以上は有るのに、一秒程で壁に到達する。
そして壁に開いた大穴から出て行った。
急いで監視小屋から出て壁の外側を見た明日軌だったが、そこには少女が走った跡である砂埃と、やっと到着した戦車群しか無かった。
「……あの女は……あの悪夢に出て来た最悪の原因だわ……」
その場に座り込んだ明日軌は、辛そうに顔を顰めて天を扇いだ。
「あの悪夢の登場人物が現実に現れた……」
『ハクマさん、蛤石が半分に割れています』
『何ですって? ふたつに割れた、と言う事ですか?』
『えっと、真ん中から半分に切って、半分だけあの子が持って行ったのかな。そんな感じです』
『蛤石の状況を詳しく説明してください』
『はい。えーっと、地面の下の部分は残ってます。どうやって切ったんだろう。まず真ん中から縦に割って、地面に沿って横に切ってますね。切り口は鏡みたい』
『切り取られた部分はそこに無い、で間違いはありませんか?』
『ありません』
『分かりました。後退してください』
ヘッドフォンからの音声は聞こえているが、明日軌にはそれが言葉と認識出来ていなかった。
「世界の終わりが、来る……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます