第22話 秋の蚊は獰猛につき

 かつて多くの武将が座右の銘とし、今もリーダーや政治家達がよく口にする言葉


 「常在戦場じょうざいせんじょう」。


 辞書には


 「いつでも戦場にいる心構えで事をなせという心得」


 と、あります。すなわち、いざは常、常はいざなり。日頃、緊張感を持って事に望みなさいという戒め。


 それを自覚しているのか、常に農作業の最前線に身を置いて戦いの眼差しなのがうちの妻と社員の大森。空が高くなり山から降りてきたトンボどもが音もなく見守る中、両者、作業場にてその拳を振り回しています。


 手足をばたつかせ、しばしば奇声を上げるその様、ヤバイ集会の黒ミサみたいになってきたので、いよいよのっぴきならねぇ事態と判断し


 「どうしたのん?」


 と、問うてみれば果たして彼女達は


 「蚊がたくさんいるんじゃ!」


 「蚊がたくさんいるんです!」


 と半狂乱で。


 裏山に面した風通しのよい事務所兼作業場。以前、ここには多くの虫が進入して困っているということを書きました。それは特に暑さ和らぐ彼岸の頃、前日に雨が降ったりすると、足下に蚊がたむろするという形で激化します。


 そう、ここは熾烈極まる戦場なのです。


 「秋まで生き残されている蚊を哀蚊あわれがと言うのじゃ。蚊燻かいぶししは焚かぬもの。不憫の故にな」


 太宰治の短編にこうあります。


 実際はどうか。夏に比べなんとなく弱々しい様は確かに憐れ。ただ、それは奴を肉眼で確認している場合のみに許されます。その存在を視認できない場合、つまり、どこにいるかわからないのに音だけがして、しかも気づくと刺されている。こういう場合、これほどやっかいな奴はいません。


 音をたててやってくる夏の蚊は


 「やあやあ我こそは」


 と名乗りをあげるサムライ気質を感じるのに対し、いつの間にか近づき吸っている秋のそれは


 「あなたのお命もらいます」


 と、かんざしを首筋にぶっさす仕事人気質。その執念深さに身震いさえ感じるほど。秋の蚊はその存在を悟られない術をマスターしていると同時に、血液を得ることに対して実に貪欲と言ってよいでしょう。心なしか夏場のそれより痒い気がしてくる。


 ところでO型は蚊に刺されやすいという都市伝説を聞いたことはありませんか。その真偽はともかく、うちの妻と大森はそのやんごとなき血筋に名を連ねる哀しき戦士達。実際彼女達といると私はほとんど刺されることがありません。逆に言えば蚊は彼女らしか狙わないということ。これは私にとって蚊取り線香いらずの状況と言えまして。


 「撲滅じゃ」


 「殲滅です」


 二人して放つ怨嗟の宣言。八つ当たりされるのが嫌なので私はセコンドにまわるわけです。


 「赤コーナー、身長148cm、体重秘密、ライトフライ級・・・・・・」


  ゲシ! っと尻に見事な蹴り


 「バレるじゃろ?」


 「すんません」


 【ラウンド1】


 「ファイッ!」


 「全てたたきのめしちゃる」(手クイクイ)。


 まるでスティーブン・セガールのように流れる動き。高きから低きに流れる水のように、軽やかな舞で叩き屠っていく妻。


 「はっ! ほっ! はっ!」


  カン! とセコンド(私)が口でならす。


 「良い動きだ。でも油断するな。いつの間にかまぶたを刺されてるぞ」


 妻の刺された箇所にキンカンを塗布。モールス信号のごとくタタータータターとつゆだくで。


 「ぎゃぁ! 目がぁ! 目がぁ!」


 どっかで聞いたことのあるセリフが作業場に響き渡る。


 「次は私が」


 「赤コーナー、身長150cm、体重秘密、フライ級・・・・・・」


 「ふんっ!」


 みぞおちに無言のひじうち。見下ろす三白眼。


 【ラウンド2】


 「ファイッ!」


 妻と違って手さばきは神前式の二礼、二拍手、一礼。一発一発に体重がのっている。一匹一匹を確実に仕留めるかわりにスピードに難有りの大森はカウンターもよくくらう。


 カン! と、再びセコンド(私)が口でならす。


 「どうした。動きよく見てけ。腕刺されとるぞ」


 刺された部分を十字に刻み、反撃の狼煙をあげるクルセイダーズ。そこにキンカンをつゆだくで塗布。


 「ギャァァァ!」


 親の敵を見るような目で私を睥睨する大森。そして両者、最終ラウンドへ。当農園の益荒男と麒麟児の逆襲が今始まる。


 【ラウンド3】


 「ファイッ!」


 どこから来るかわからない攻撃。目をつむり全神経を研ぎ澄まして蚊の存在を探る両者。


 「はっ!」


 「ほっ!」


 この気迫、この間合い、完全に宮本武蔵vs宍戸梅軒の様相なれど、端から見る光景は完全に電撃ネットワークの基本動作。


 と思った刹那、


 「オラァ!」


 つって女子力を犠牲にして得られる一撃必殺のスタープラチナが私の頬に炸裂。


 「蚊がいた、ような気がした」


 傷つけずには愛せない、それが妻のジャスティス。


 「フン!」


 つって逆方向より無言の平手。


 「なんとなく」


 既に理由すら必要ない大森。


 「どうでもいいから、ホームセンターに行って虫除けと網戸を買ってこい!」


 働きやすい環境を整備する。それに気づき、言われなくてもやるのが社長の仕事。常在戦場―― いざは常、常はいざなり。まだまだ精進が足りません。


 ホームセンターへ行く前に、怒りに震える女子達をとりあえずフォロー。


 「子供ってよく蚊に刺されるでしょ? あれ新陳代謝が活発で汗とか体温を蚊が感知しやすいんだって。つまりよく刺されるってことは、肌が若いってことらしいよ?」


 「・・・・・・」


 「・・・・・・」


 まんざらでもねぇのかよ。

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