第20話 農道 NŌDŌ 出会いはいつも偶然に

 田んぼに隣接した雑木林。その中に埋もれるようにしてある場末のラブホ。常に湿った空気に覆われたその場所。そこに至る農道は学校帰りの女子を狙った変態が出ることで有名でした。


 「コートを広げる男が出るらしい」


 「なんかオムツはいてる性癖らしい」


 噂に尾ひれと背びれがつき三枚おろしの姿で広まっていたので、その付近は通るだけでけがれる、そんな場所になり果てていたのです。


 しかし、いけいけドンドン、怖いもの知らずだった当時27歳の私は、あえてそこに畑を借りて農業をはじめることにしたわけで。


 「噂? 知ったこっちゃねぇな」


 無根拠の自信。みなぎる全能感。ただ若いというだけで何でもできる気がしていたあの頃。


 実際、毎日が充実していました。朝早いのも苦ではなく、アパートから農場まで、自転車で通う毎日。色んな実験をし多くの作物を栽培しました。農産物は近くの直売所へ持ち込んで自分で値段をつけて販売。商品パッケージをデザインし、どうすれば売れるか、何が求められているか、お客さんと話しながら勉強の毎日。


 ただ一つ不満だったのは、健康優良不良少年たる男としての初期衝動。すなわち「モテたい」という欲望、その一点が叶わないことのみ。


 「人がいねぇ」


 昼間、その近辺には本当に、日本かと思うほどに人がいませんでした。


 「変態でいいから誰かに会いたい」


 そういうレベル。


 だからちょっとでも人の気配があれば気を引くことにためらいはなかったのです。そんなタイミングでうら若き女性から


 「取材をしたい」


 という一本のメールが電撃到着。光の速さで


 「いつでもどうぞ」


 と、ポケベルを打つ女子高生より早い指さばき。


 猛りました。


 「久々に人(女)に会える」


 既に里に下りては強奪を繰り返す野武士くずれの山賊思考となり果てていたのです。


 さて、会うからには恰好つける必要があります。アダムとイブの時代より連綿と続くこの真理。知恵の実を食べたわれら末裔は、イチジクの葉っぱをどんだけかっこよく魅せるかに腐心するのです。


 「無駄に裸」


 「片手でカボチャ」


 当時考えていた、その貧困な発想を冷静に俯瞰すると、たぶん、変態の噂の出所は私だったんじゃないかという疑いすらあります。そして、そんな怪しい動きをしていたのがよくなかったんだと思います。


 その日の帰路は満月がきれいな夜で、失われつつあるライカンスロープの血が騒ぐのか、または明日、人(女)に会うということからか、私はいつも以上にハイテンションでした。


 「女はうみー」


 と、ジュディ・オングの名曲を熱唱する不審者扱いの野郎が一人、蛇行しながら帰宅の途にあったわけです。


 しかし月に当てられたのは私のみならず。自転車後方から近づく尋常ならざる気配と鬼気迫る音。


 「ワフワフ! ワフワフ!」


 どんどん大きくなるそれ。


 「一体、何だ」


 と、軽い感じで後ろを振り返ったら、マーベラス、おめぇ、ドーベルマンが牙むき出しで追いかけてくる意味のわからない展開。


 「なにゆえ!」


 その農道に変態が出没するという噂があっても、ケルベロスのような魔獣が出るのは初耳。


 一体私が何をしたというのか。何か気に障ることでもしたのか。もしかしてジュディの歌の英語部分がオールハミングだったのがまずかったか。それ以前に、おまえ、首輪はどうした。


 ジャリジャリと鉄の鎖がアスファルトにこすれる。北斗の拳でしか聞いたことがないような擬音を、よもや実際聞くことになろうとは。


 「首輪、ひきちぎれてるー」


 それは完全にチームパシュートの形。逃げる私のお尻をすれすれで追う犬。そして飛びかかる態勢。


 「なんかバイオハザードでみたことある!」


 尋常ならざる犬顔。その表情は完全に


 「てめぇの、その貧相な×××、食いちぎってやる!」


 的な世紀末の様相を呈していて。


 とりあえず夢中で逃げました。呼吸を止めて1秒、私、真剣な目と裂帛の気合で猛ダッシュ。しかし体力の消耗激しい私は10秒後に星くずロンリネスが見え始め、エサを求めて浮上する金魚のような表情に。果たして犬は足元に追いつき今にも飛びついてきそうな始末。


 「絶体絶命」


 ダメだと思った瞬間、とっさの判断で自転車上で足を上げるという逃走の形。


 ちょうど、赤ちゃんがおしめを替えてもらうようなその格好。惰性で進む自転車の上に、サドルで支えられている乳飲み子が一人。そして私は悟ったのです。


 「あ、オムツはいてる変態は俺の可能性」


 端から見ると通報やむなしの案件です。


 しかし、そのとき


 「小太郎! ダメだろう!」


 と一喝する声。


 ラブホからオーナーらしき人が出てきて


 「ごめんねー。怪我なかったー」


 「あ、はい」


 「いやー、すぐ、首輪壊してじゃれるんだよねー」


 (いや、そういう感じじゃなかった。絶対噛もうとしてた)


 その一件以来、ショックで私はおとなしくなりました。無駄に格好つけるのをやめて普通にしていようと思い始めたのです。


 ――


「はじめまして」


「どうも、はじめまして」


 自然体で進んだ取材。これが後の妻になろうとはこのときは知るよしもなく。


 農道には水たまりもあれば泥の塊もある。そしてたまに偶然の出会いがあるのです。

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