第7話 給食が食べられず野菜を捨てまくる子供

 トマトというのは好きな野菜ランキングでよく1位に選ばれるのですが、嫌いな野菜ランキングでも上位に食い込むという特徴があります。つまり、人によって好き嫌いがはっきりと分かれるわけで――


 「受粉というビッグバンを経て肥大し、数多の銀河を内包したこのゼリーと甘露のごとき肉厚なダークマターは、完結した一つの宇宙そのもの。神よ! あたえ給え! 全てのマルチバースを毎日食べられるなら尿が赤くなってもインフレーション!」


 という想像を絶するトマト狂いがいる一方


 「原罪である悪魔の実よ。呪われた混沌の血で満たされた果実よ。コキュートスに封じられた赤き臓物は全てを貶める厄災の根源! この次元より醜きその姿を破裂させ消滅に至れ!」


 と、カタストロフィーの一つに数えてキレるような人もいて、その反応は天界と魔界の最終決戦に彦摩呂を足して2で割ったように是非が分かれます。


 そんな私はトマト栽培を生業にしているにもかかわらず、そのトマトを食べることができないという呪われたステータスの持ち主です。アレルギーというわけではありませんが、生のトマト、それを絞ったトマトジュースは心理的に拒絶反応が出ます。それはあるトラウマが原因だと思うのですが、それは後に語るとして。


 一応、補足すると、食べられないことはその栽培に対し特段支障を来すことはありません。むしろ評価するのは私ではなくお客さん。自画自賛してもお金と幸せを生むことはありません。

 同じような境遇の方は結構いるんじゃないでしょうか。酒の飲めない杜氏さんや稲花粉症の大規模米農家、乗り物酔いと毎日戦うバスガイドさんなど――

 そのもので自分が楽しむということではなく、サービスを提供することで喜んでもらい、自分も幸せを頂く。それもまた一つの生き方です。


 閑話休題。今となってはトマト以外の野菜は何でも食べられますが、小学生のときはそのほとんどを食べることができず、給食の時間は拷問以外のなにものでもありませんでした。

 当時のあらまほしき食事の姿から外れていた私は昼休みまで残されることが常。


 「好き嫌いはわがままだ」


 こういう担任になってしまった年は己が運命を甘んじて受け入れるしかなく。

 延々とアルマイト製の食器に向かい、食材をこねくり回す無為な時間。チャイムが鳴り、皆が掃除を始める中、孤立した私は衆目を集める存在となり、かたや奇異の目で見られ、かたや変なテンションで励まされ、結局、八方ふさがりの中、泣きだしてしまうのがお約束。


 「給食のおばさんに謝りなさい」


 そうやって給食室に連れて行かれたこともあるわけで。


 それで好き嫌いがなおればよいのですが、本人はわがままで残している気はなく、まして根性でなんとかなる問題でもありません。原因がわからないからどうしようもない。

 こういう事態を避けるため、従って給食の時間は食べられない野菜をいかに隠すかという隠形技術の習得に当てられました。


 にんじんを集金袋の中に入れ机の奥に隠し持つこと数週間。すっかり忘れていたある日、学習帳を取り出した瞬間、一緒に出てきたのは腐海の胞子。集金袋の中からは


 「ちわ」


 つって、オームが挨拶してきたように見えまして。脊髄反射で


 「森へお帰りっ!」


 なんてことは年に数回。


 グリンピースなどは袖に入れ、昼休みに何食わぬ顔で校庭にばらまき、その存在をなかったことにしていました。たぶん、今、冤罪で牢屋に入っても、この技を身につけている私なら、掘り進んだ脱獄トンネルの砂を10年かけて地上にばらまきバレない自信があります。


 「今の僕ならなんでも隠せる」


 下卑た笑み。野菜への憎悪。農家の息子でありながらこの歪みっぷりよ。


 そんな私に突然訪れたジャッジメントデイ。なにか色んなところに野菜が捨てられていると噂が立ったんですね。己の技術に自惚れたが故の過信。バレないものと思い、隠し方が雑になっていたのです。

 

 その日の給食――


 やはりトマトをどうしても食べることができなかったのですが、担任はずっと私を監視していました。


 「ああ、どうしよう」


 また泣かされる、また笑われる。子供ながらに追い詰められて万事休すの瞬間、とっさにひらめいたのが


 「食べられないなら、口の中に隠せばいいじゃない」

 

 というマリー・アントワネット流ロジック。もう既に嫌な予感しかしません。


 そんなわけで昼休み中ずっと口内に隠し続けました。舌の下に挟み何食わぬそぶりで教室をうろつくことしばし。本当はそのままトイレに行って吐き出せば良かったのですが、当時、男子小学生達はトイレの個室(大)に入っただけで


 「おい、誰か、う〇こしてる」


 という、今で言う「文春砲」みたいなスクープ合戦が常習となっており、見つかろうものなら


 「ゲスえんがちょ」


 みたいな扱いを受けること明白だったので、なかなか個室に行くことができなかったのです。今思うと、ほんと、文字通り、クソみてぇな構図です。


 まあ、そんなわけで、トマトを口内に隠しながらついに掃除の時間になったのですが、かような状況で掃除するという荒行には大変な精神力が必要なのは想像に難くないでしょう。


 「地上の星」が流れていました。


 「絶対に隠し通す」


 このプロジェクトは失敗できない。なんたってこれからまだ小学校生活を数年送らなければいけないのだから。


 でもね、やはり、そこは小学生。口の中のトマト臭と酸欠気味の状態で、もう、気力ゲージはゼロに近かったんです。今思えば唸る黒板消しクリーナーはサイレンとなりその危険を知らせていましたよね。


 私はほうきを持ったまま教室のど真ん中で動けなくなりました。決壊寸前の表面張力を死守するその姿。弁慶の立ち往生を越えて完全に前川清。ずっとリサイタル。きっとオンステージ。そして訪れるポイントオブノーリターン。


 「俺の歌をきけぇぇ!」(心の叫び)


 出るときは一瞬。静まりかえった室内。クリーナーがその音を止めてようやく事態が動きだして。


 「ぎゃぁぁぁ」「先生ぇ!」「えんがちょー」


 阿鼻叫喚。その悲鳴は教室の外まで響き渡りました。

私の歌はキラキラとひかり、その現場を見ていた幾人かの女子は同様にキラキラし、アンサンブルの修羅場だったと言います。


 そんなわけで未だにトマトを食べることができないわけです。

 あのトラウマから幾星霜。

 直売所にくるお客さんには


 「どれが美味しいの?」

 

 と聞かれても、


 「全部、まずいです」


 と言ってのけます。


 だから、できるだけ試食をおくので、買うときは自分で判断してくださいね!

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