四十八の節 夜明けの綺想曲。 その一




 陽が昇り、港街を覆う霞を照らし出す。リルカナは、寝起きが悪いハドを引きり、ルリヒエリタ郊外の野営地へ向かった。


 一方、珈琲コーヒーの香りが、朝食後の茶話室に漂う。カヤナ大陸で、嗜好飲料しこういんりょうと言えば珈琲コーヒーだ。原産地の、真珠と香辛料の国が近い事もある。


 スーヤ大陸にも輸出されているが、一部、熱狂的に迎えられる具合だった。チャノキ由来の茶葉・発酵茶が根強く浸透しているからだ。


「苦くて、げた匂いがする黒い汁なんて、不気味で飲めない」


 これが、一番の原因だった。スーヤ大陸に浸透したチャノキは、元々はカヤナ大陸から持ち込まれ、栽培に成功した。


 そのチャノキとは違い、コーヒーノキは煉黒レンゴク直下、南北回帰線なんぼくかいきせんの寒暖差が激しい高地。様々な要因が重なる、世界レーフでも限られた稀少な土地でしか、珈琲コーヒーの原料である珈琲コーヒーまめが育たない。


 真珠と香辛料の国は、野生のコーヒーノキからビラカ種や他数種を、長年を掛け栽培種として確立させた。

 近年市場に現れた、デミディア種豆。凝縮された深みがある味わいの中に、瑞々しく熟れた新鮮な果実のような後味が口内に広がる。


 今、貴重な珈琲コーヒーを味わっているのは、デミディア豆のお陰で宗旨替しゅうしがえをした璜準コウジュン一行だった。


 その隣の席でアラームとハニィ達が、細切り林檎りんごが敷き詰められたタルテと、カマイ・アーヴィー農園の紅茶を挟んでいる。


「やはり難しいです。カヤナ大陸では、上手く移動が出来ませんでした。ユタカとマサメの居所は、いまだ掴めません」


「そうか。カヤナ大陸の、どこかにはいるはずだ。もうしばらく様子見だな。ハドが見付かったから、向こうから寄って来る可能性もある」


 アラームは、ハニィ達と輪郭がない報告と会話を重ねる。その相手であるハニィとシシィが、視線を時折そそぐ先には雪河セツカがいた。

 背後からアラームを抱き包むように座り、その左肩に顎を乗せている。


 三人掛けの椅子に雪河セツカは股を広げ、その間にアラームが座っている状態だ。

 雪河セツカ炎州エンシュウ式に似た白装束は、膝丈までの上衣。下衣が袴状はかまじょうになっているため、可能な姿勢と言えた。


 ちなみに璜準コウジュンは、すそくるぶしまである前あわせの白衣姿。今は季節柄、上から防寒具で着膨れしている。


 会話が途切れた機会を見計らい、璜準コウジュンがありのままの様子について指摘した。


「朝から、イチャコラしてんじゃねぇよ。そもそも、何なんだよ、その状況」


「昨夜、港湾沿いの盛り場に行ったんだが、かなり大物のネ――」


「言うな、ア――」


 雪河セツカが頭を上げさえぎろうとしたが間に合わず、アラームが固有名詞を繋いでしまった。


「――ズミが出て、それから離れない」


 雪河セツカは大好きなアラームの声ですら封じたい程に、ネズミが苦手だと言う事が、ここで明らかになった。


 再び、優雅で幽遠ゆうえんな小麦色の肌をした顔をアラームの左肩に伏せる。腕の圧を強めたためか、潰れた言葉で「んきゅ~。」と、普段の雪河セツカからは想像も出来ない一言ひとことが発せられた。


 少々高く抑揚があった分、不満と不快、抗議の一言を吐いたと思われる。


「コチョウ夫人がいるんだから、この茶話室は大丈夫だと言っているだろう」


 アラームに名指された、ハチワレの家猫イエネコが静かに見据え返す。オスだが、長毛と短毛の間の毛足と猫ながら奥ゆかしい振る舞いから、常連客からは夫人と敬称が付けられている。


 この高級宿泊施設、胡蝶館コチョウカンの名を与えられた招き猫でもあった。彼は、アラームの気配にも動じる事なく定位置の紫壇色したんいろをしたスツールに陣取り、一同の茶話風景を見守っている。


「へぇ~、意外。お前さん、神獸族シンジュウゾクの癖にネズミが駄目なのか」


 この時期にしか食べられない、口溶けが良いショコラーデを口に運びながら、璜準コウジュンは感心したように語る。

 そんな璜準コウジュンが、ある事に気付いた。雪河セツカが顔を伏せている、アラームの左肩に無い物がある事を。


「おい、アラームさんよ。いつもの肩掛け外套がいとうは、どうしたんだよ。ジャラジャラ下げている、細身剣とか、宝飾付きの帯とか」


 妙にスッキリする、アラームの衣装に気付く璜準コウジュン


「急な物入りがあってね。昨夜、カーダーを捕まえて売り付けた。カーダーも欲しがっていたし、カーダーの手の内にある方が、造り手にとって有益だからな」


 いまだ、アラームは製作者を明かさない。ここに来るまでの道中ですら、アラームと雪河セツカが身にまとう衣装や装飾品の出来の良さは、多くの人々の視線を集めていた。


 人種によっては、高額での取引を申し出る場面も少なくなかった。


「そ、それと、もう一つ気になる情報があるのです」


 これ以上、場を乱さないためと、話しを戻すためハニィが声を張り気味に告げた。アラームとハニィ達と同じ席に着く、熱心にメモを取っていたレイスが、少しばかり驚き身体を強張こわばらせた。


「この先に、テフリタ・ノノメキと言う都市があります。御存知でしょうか」


「川幅と喫水きっすいの関係で、一ノ海イチノウミからの大型船による河川水運の終着地点だよな。そこから先は、気候区分や地理形態が異なる」


 ルリヒエリタへと流れる、豊富な水量をたたえるガレタ河。その河を遡上そじょうし、テフリタ・ノノメキ都市を境に、風景は大きく変化する。


 内陸へ向かい北東の街道を進むと、二六〇〇にせんろっぴゃくガッセ(約五〇〇〇ごせんメートル)級の連峰に至る。途中、スクマ族が活動の拠点としている痩せた平野部や、高木こうぼくの常緑樹が主軸になる山林地帯が続く。


 南西の街道を進めば、草原地帯を抜け砂岩地帯が広がる荒涼とした風景となる。陽の直下、白い円環の影が引かれる煉黒レンゴクを挟んだ先にある諸島群が、真珠と香辛料の国だった。


「その交通要衝でもある都市に、宣戦布告をした君主都市があり、北側の平野部に塹壕を築いているらしいのです」


 見た目とは違う報告向きのハニィの声は、一同の意識を掻き集めた。


「おいおい、どんな無謀な君主サマだよ。要衝なんだろ? 物資も人員も、援軍協定の数も半端な訳ないだろうに」


 あきれ果てた璜準コウジュンの、高くザラ付いた声で言葉が立つ。


「宣戦布告をした君主都市は、どなたなのですか?」


 メモ帳から顔を上げ、昇り始めた陽光を眼鏡で反射させたレイスが尋ねた。


「カネル君主都市。布告をしたのは、プラッティン・マクシム・カネル様。との噂です」


 報告の名称を告げた金色の光彩が、困り果てていた。歴戦の元・黒の群狼クロノグンロウが、それ程の奇異を浮かべる事態だったのだ。


「そんな報告、信じられる訳ねぇだろ。平穏と平和と、永劫に語り継がれる高貴なるマフモフの王者、プラッティン・マクシム・カネル様が、愚かなヒト族みたいな真似をするはずがない」


 璜準コウジュンの静かなる怒気が語気にも宿り、四肢を席から立ち上がらせた。


「噂の域とは言え、事実の確認は必要だ。何かの陰謀に巻き込まれている可能性もある。ここは、お助け申し上げるのが正論だろう」


 璜準コウジュンの言葉を受け、アラームが容赦なく上乗せし、雪河セツカごと力強く立ち上がった。


「私達が交渉役を買って出ても門前払いだ。カーダーを連れて行くぞ」


「成る程。真珠と香辛料の国を代表する大商人だしな。俺は身の証しを立てる手段はないし、妥当だな」


 唖然とする一同を置き去りにした、アラームと璜準コウジュンは互いを見合わせ、一つ同時にうなずいた。


「行くぞ、アラーム!」


おう!」


 しっかりと青い月アオイツキと、頭巾フーザ越しの似紅色にせべにいろを合わせた二名の呼吸は、往年の夫婦をも越えた域に達していた。


 プラッティン・マクシム・カネル。璜準コウジュンが死ぬ前にやりげたい発言の最後に乗せた、ニンゲン属ウサギ種ラヴィン・トット族の華麗で豪胆な誉れを持つ一族を率いる王者だった。





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