二十三の節 問われる生命。 その三




 璜準コウジュンが張っていた天幕の破片が、まだかすかな光源を残す。それは、周辺に散らばる死に紐付けられる暴虐をへだて、境界を築き上げる。


 今度は眞素マソを崩壊させず保留のまま、問い掛けを重ねる。


「ちょっと待て。シクンって、あのシクンか?」


 切迫する場面が緊急停止した。幸い、言い放つ本人が施した聖法典セイホウテンの恩恵によって明度に不自由はないが、眉間にしわを寄せ、垂れる青い月アオイツキすがめながらも、璜準コウジュンは相手の様子を観察する事が出来た。


「ウッソだろ、お前。シザーレ眞導都市マドウトシから脱走扱いになってる、次期シザーレ総帥候補のシクンじゃねぇの。何やってんだよ、こんな所で」


 小柄な黒装束姿の少年が、自尊心を踏みにじられた不快感をあらわにする。


「相も変わらず暢気のんきな奴め! 状況をわきまえろ!」


「そんな事を、いまさら言われてもなぁ」


 璜準コウジュンは乱れた金髪を掻き回した。青い月アオイツキの視線を相手を頭の先から爪先まで数往復させ、相手を知り得る理由を述べ立てた。


「結局、お前さんの背丈は、十年前に何かの式典で会った時のまんまだな。全然伸びてねぇし」


 余裕で六フース(約一八〇ひゃくはちじゅうセンチメートル)を超える璜準コウジュンが、額の位置で片手をヒラヒラさせた。

 言葉と仕草しぐさを真正面から受け取ったシクンは、見る間もなく短身痩躯たんしんそうくふるわ激昂げきこうした。


「まだ言うか! 無礼な奴だな本当に! 今、その垂れた青い月アオイツキを潰してやる!」


 本来の目的とやらを、見失いそうになっているシクンの小さな身体を、白い袖が背後から優しく包み込む。


「いけませんよ、シクン。今は自重して持ち場に戻り、役割を果たして下さい」


 流れを引き戻すため、單雛センスウが再びシクンを諭す。役割を阻害していた感情をも拭い去られたのか。シクンは飼い主に甘える、家猫イエネコのように袖にすがる。

 單雛センスウに向き直り、シクンは小さく謝罪と果たすべく言動を取る事を伝えた。


「そのデカいの一応、野郎なんだろう? お前さん達、デキてんの?」


 璜準コウジュン一片いっぺんの遠慮もなく、生理的嫌悪を言葉と表情に込めて放った。


「何とでも言うが良い。僕達のえにしは、下衆ゲスの理解を求める愚行など起こさない」


 シクンは相手の挑発を無視し、酷薄な表情と口調に返った。やがて、單雛センスウは長い袖でシクンをさらに包み、間もなく解いた空間には、小柄なシクンの姿が消えていた。


「貴方も、もうお止めなさい。私にとっては児戯じぎだとして、貴方は生命の時間を削っているのでしょう?」


 單雛センスウが、音も立てずひとつ進むと突然、地面をる気配が立つ。單雛センスウを正面に捕捉ほそくし、絽候ロコウ璜準コウジュンの前にいた。


 絽候ロコウには最優先する事象がある。生き残る事を諦めてしまった璜準を救う事だ。


單雛センスウ様、御覚悟ごかくごを」


 絽候ロコウは、鷹揚おうように息を吸い込み、同量の内気を吐き出す。正確に真南を向き、胸の前で両のてのひらを合わせ、三度の礼をする。

 終えると、上体を起こしたまま片膝を着き、再び三度の礼をほうじた。


 急に始まった絽候ロコウの面妖な動きに、璜準コウジュンが問う前に変化が生じる。絽候ロコウの、鈍色にびいろだった大きな柊の葉に似た側頭部から上へと伸びる角。

 赤い貫頭衣、四分割される裾から覗く尻尾。それらが白銀色に変化し、周囲の眞素マソを踊らせる。


「ようやく、天山玄都テンザンゲント遙拝ようはいし、殺戒さっかいを解きましたね」


 今度こそ單雛センスウは、浮世離れする美しい形容に表情を咲かせた。嬉しそうに、楽しそうに。




 ◇◆◇




 閃光弾に照らされた開けた地面には、生命活動を休止させられた残骸が散乱する。虐殺の死臭が立ち込める中、大小の影が間を置いて対峙たいじしていた。


 小さい方の影。シクンの足元には、昏倒こんとうしたセリスが無造作に転がる。


「僕を止めないんですか?」


 大きい方の影。元の色が隠れる程、屍色しかばねいろに染まった衣服の形状が、下層段階を示す眞導士マドウシ見習いだと辛うじて証明する。


「止められるような事をしている自覚があるなら、シェス・シェリムング・セリンディアスを置いて行け」


「僕は、後世の歴史家に唾棄だきされようと構わない。その覚悟があります」


 影は、大きさのままの態度と対応で会話を成立させていた。


「貴方の事は、單雛センスウから聞いております。目的が同じでも、決して僕達と合流しないと。ン、ゲホハッ! ウェオッホ!」


 せめて場を乱す事がないようにと、我慢をしていたのか。シクンが、たまらず嘔吐えずいた。


「これは失敬。生まれも育ちも上流階級のシクンの前に立つ姿ではなかったな」


 六度目の閃光弾が打ち上がり、辺りは昼間にも劣らない明度に変わる。シクンと十歩程度の距離を置き立つ相手が、元々は緑色の制服だった悪臭の源である着衣を、一気に剥ぎ取った。


「これで、匂いの元は断てたはずだ」


 閃光弾に照らされた相手は、今は解散したシザーレ眞導都市マドウシトシの象徴でもあった集団。黒の群狼クロノグンロウの制服に似た衣装を、その長身を包んでいた。


「最後の群狼の、つもりなのですか」


 かつてはまとっていた姿に似た服装に、シクンは鮮血の獣センケツノケダモノと同じ色の瞳を細めた。


「シクンは感傷屋なんだな。私は気に入ったから、知己に作ってもらっただけ。頭巾フーザ竪襟たてえり、四分割のすそ、左肩掛けの赤い外套。意匠を凝らしてくれた分、満足しているよ。今度、職人を紹介しようか?」


 シクンとは違い、今も目深に頭巾フーザを被る相手の表情は、整い過ぎる口元でしか判断が出来ない。それは、相手を挑発するように、薄い笑みを浮かべている。


「は、話しを戻します!」


 元は、シクンの失態で流れが反れた事を思い出したのか、気拙きまずさに声に張りが出た。


「そちらは、やりたいように動いてくれ。世界レーフが行き着く結末に変わりはない」


 整い過ぎる口元から、表情が消える。見る者に、永劫の停止をもたらす禁忌の風景のようだった。


「どうせ、私に壊されて終わるのだから」


 シクンよりも物騒な言葉を吐いた長身の持ち主は、再び口角を上げた。


「担げるのか? 手伝ってやるよ」


「出来ます! 眞導マドウで運べます! あの垂れ目も、貴方も、僕の身長の事をネチネチとっ」


「勘繰るな。親切心だよ」


「その一言が、相手をもてあそんでいると受け取られるのです。アラーム・ラーア」


 人工の照明に劣る事のない、鮮烈な容貌がシクンの背後に現れた。シクンの全てを支えるための存在意義を主張する一端として、長身の黒装束は名を差した。


單雛センスウは仕事が早いな。もう、あのツガイほふったのか」


いいえ。私の目的は、あのツガイを自覚してもらう事ですから」


「シクン達も大変だな。の都合に翻弄ほんろうされて」


 アラームに水を向けられ、シクンは忌々いまいましげに綺麗な顔を崩した。


「貴方は、そうやっていつでも自らを蚊帳かやの外だと主張する」


「今はね」


 アラームの言葉を無言で受けた單雛センスウは、軽々と昏倒するセリスを左腕にかかえ、シクンを右の腕で包むと、一礼する。

 金色の生きた昼間は、次の瞬間には音も振動の一つも起こさずに消えた。


 アラームは、静かに息を一つ吐く。先程まであった、ケダモノに蹂躙じゅうりんされた一帯の惨劇の幕は、既に閉じられていた。





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