二十の節 シザーレ眞導都市、解散。




 その日。シザーレ眞導都市マドウトシは、世界レーフから消えた。


 謎の襲撃から、およそ一月ひとつきの時間が経過していた。フィーツ・ワイテ帝国、セイシャンナ正教国セイキョウコクから派遣された援助・情報集積班の集結が完了した。


 相変わらず、結界は外界との接触を拒み続ける。シザーレ眞導都市マドウトシは、白く濁った霞の向こう側で静寂を保ったままだった。


 その日。西のシザーレ側では、八つ刻やつどきと呼ばれる午後のお茶の時間ヤウゼ


 白く煙る壁の向こうから、老齢の女性が現れた。ニンゲン属リュウ種エオグレーン族の彼女は、年嵩としかさを感じさせない足取りと伸びる姿勢を取る。

 黒衣は明らかな上級職に就く装飾に包まれ、節くれ立つ細い指には大判の冊子が数冊と、書簡があった。


 変化に陣の代表である、セイシャンナ聖法騎士団セイホウキシダン副団長、バローツ・ケンエイが単身迎え入れた。


 シザーレ眞導都市マドウトシからの来訪者の名は、ギスタ・ベルネ。都市運営最上級顧問の一人。


 彼女は告げる。シザーレ眞導都市マドウトシは、初秋の季節。白蔵ハクゾウの月一日をもってシザーレ眞導都市マドウトシを解散し、一七〇〇年の歴史に幕を閉じる、と。


 書簡は、その旨を記した公文書。急拵きゅうごしらえに綴じられた冊子は、生存者及び死者の名簿だった。


 それらをバローツに託したギスタ・ベルネ女史は、再び霞の向こう側へ戻った。


 彼女の背を見送り、見えなくなってしまった白の天幕。万感の思いを込めたあおい瞳が、その瞬間を目撃した。

 シザーレ眞導都市マドウトシ全域を覆っていた霞は、突如として眞素マソへと転換した。一瞬もなく中心へと集束し、露わになった法陣を境界として、地上から天空へ。また、天空から地上へと貫く、巨大な白刃と化した轟雷が結界の内部を全て消し去った。


 これ程までの天変地異に似た質量の激変を、ほぼ直近で共有しているバローツを始め、控えていた十数名の部下。駐留する、両陣営合わせ三万四千さんまんよんせんの軍人に、揺れも、一筋のそよ風すら、微々たる影響をも与えなかった。


 世界レーフでは三番目の人口を誇り、高度な錬金術と知識が連綿と受け継がれた学問の砦でもあった。

 溢れる活気。多種多様の民族が行き交い、多くの偉人や眞導士マドウシを輩出した。


 今はもう、存在しない。一カ月前の襲撃の解明も、およそ三五さんじゅうご万人の生死。生存者の行方すらも。


 間もなく晴れた、白い天幕の跡地。そこは、荒涼とした平地が、ただ。ただ、広がっていた。


 まるで、シザーレ眞導都市マドウトシひらかれる以前の姿のように。




 ◇◆◇




 幻影の都となった現場に、夜の気配が訪れる。八つ刻やつどきに起きた事象を消化出来る者の数は限られ、合同駐留軍は浮き足立ち、一部混乱を来していた。


 シザーレ眞導都市マドウトシがあったはずの境界線。正面には、世界レーフを囲む白い円環の影であり、恒星の太陽が通る道・煉黒レンゴクになぞられた正門の姿も消えていた。


 立ち入りを禁じられた警戒線が、眞素マソを帯びて地面に蛍光表示されている。


 野営のあかりを遠く背にした人影が一つ。陰る陽の気温と、抵抗をなくした大気の流れと無音に支配される中。携帯照明で、わずかな視界を確保する。


 セイシャンナ聖法騎士団セイホウキシダンの花形でもある、バローツ竜騎士隊に所属する軍装備。片手に携帯照明。逆の片手には竜槍と呼ばれる、長大な槍を持つ。

 鸚鵡オウムが、後頭部から呑み込もうとしているような形状のバシネットからのぞくのは、軍人よりも歌劇俳優のように白皙で大層美麗な青年の顔だった。


「ハド」


 青年が恐る恐るつぶやいたのは、古くからの親友の愛称。青年の正体は、任務を放棄してまで従軍の席を奪い、この場に立つセリスだった。


「グランツ・ハーシェガルドの行方ゆくえが気になるのか?」


 若い男性の声が立つ暗闇に向け、片腕で竜槍を操り実戦並みに素早く構える。


「誰だよ、急に出て来やがって」


「今は、誰だって善いじゃないか」


 セリスが掲げる金属と硝子で構成されたランタンのあかりに、足音もなく近付く気配が浮かび上がる。だが、先に届いたのは得も言われぬ悪臭だった。


 次に、元の色が判別が難しい程、暗褐色のむらがある長衣に包むななフース(約二一〇センチメートル)を少し下回る長身の持ち主が、その明度に輪郭を示す。


「これ、見覚えがあるだろう?」


 相手が問答無用で、セリスに向かって投げた。放物線を描き、何かが反射しセリスの片手に収まった。


「何故、お前なんかが持っているんだ! ハドに、この石の持ち主に何をしたんだ!」


「本人から預かっただけ。シェス・シェリムング・セリンディアスは、初対面の人間を信用しない。だから、話しをする時は渡せと言われた」


 急に、馴染みがある名が聴覚に侵入し、セリスは二の句を失った。


「結論から言うと、グランツ・ハーシェガルド生きている」


「ほ、本当か!?」


「うん。八つ刻やつどき、シザーレ眞導都市マドウトシ・都市運営顧問のギスタ・ベルネが持っていた生存者名簿に記載されている。禁則眞導キンソクマドウで、生存者は脱出した。その中に、グランツ・ハーシェガルドは名を連ねている」


 悪臭を漂わせる見ず知らずの相手が、バローツが保管している名簿の内容を把握しているのか。

 不審さよりも、セリスは有益な情報収集し、精査する事を優先したようだ。


禁則眞導キンソクマドウって、そんなもんつかって、ハドは無事なのかよ」


「それだけ緊急事態だったと察してくれ。素直で約束は反故ほごにしなさそうだったから、目的地まで辿り着けたと想うよ」


「何だよそれ。それで生きてるって言えるのかよ!」


「少なくとも、襲撃された時は生きていたと言う事だ」


 次の情報を得ようと焦るセリスだったが、暗がりでは生理的嫌悪感に従ってしまう。漂う悪臭に、セリスが嘔吐おうとを我慢している様子を察した相手は、今更ながら気遣いを示した。


「あぁ、悪いな。着替えも風呂もない状態で死骸処理をしていたから」


「アンタの格好かっこう、酷い物だが眞導士マドウトシ見習いの制服だよな。そのアンタが何故、まだ残っているんだ。しかも、俺の前にノコノコ現れるなんてさ。俺が上官に報告したら、終わりなんじゃないのか」


「その時は、見る眼がなかったと笑うだけ」


 戦闘経験を重ねていても、対人処世術はおろそかにしている手合いがうかがえる。相手の意図を、はかりかねるセリスだった。


「判らないかな」


「な、何がだよ」


「直接、シェス・シェリムング・セリンディアスに、グランツ・ハーシェガルドは無事だと伝えるためだ」


「は?」


「それと、ちょっとした待ち合わせ。無事を伝える方が、実は副次的な目的」


「こんな、物騒な所で? アンタみたいな眞導士マドウシ見習いが?」


「物騒だと判っているのなら、早く同僚の元へ戻れよ。行方不明になって、親友を困らせるのはお粗末そまつにも程があるからな」


 結局、悪臭を漂わせる相手の正体も氏名が明かされる間もなく、言葉を残して気配が闇に溶ける。悪臭さえも、掻き消えていた。





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