47,文化祭のあとで

 終わった、終わった、やり遂げた……。


 客席から湧き起こる拍手。それが心からなのかお世辞なのかはわからない。けれど私は全力で、笑顔で踊り、歌い終えた。


 震える脚は緊張と疲労の両方からくるもので、もう体力の限界。私よりは遥かに運動神経の良いほかの5名も笑顔を保ったままハァハァと荒い呼吸をしている。


 最後にみな一列に並んで深く礼をし、ステージを後にした。



 ◇◇◇



「さて、出ましょうか」


「はい」


 全演目が終了し、僕と菖蒲沢さんは大勢の観客に混じり、外へ出た。すぐにその流れから離脱し、講堂の裏側へ回り混雑解消を待つ。


「地獄だ、ここは地獄だ。もう無理だもう踊れないこれ以上やったらあの成らず者どもを※▽〒ξ>ψ<ξ……」


 出た。いつもひょこっと現れる彼女が外壁に両手をべったり着けて、きょうもまたぶつぶつと独り言を詠唱している。


 その表情は先ほどの笑顔とは程遠く、この世の終わりのように目を見開きハァハァゼェゼェして、ダメ、ゼッタイ的なものをキメてしまったかのようなオーラが危険人物感を醸し出している。


 なお周囲に僕ら以外の人影はない。明らかに体調を崩しているのに怪しすぎて危険を感じた仲間から放置されているのだろうか。


「あら星川さん、お疲れさまでございました」


「菖蒲沢麗華と清川真幸かっ……。ハァ、ハァ……。知り合いだったとは驚きだ。まさか付き合っているのか? なら今すぐ乗り換えるか途中下車したほうが良いぞ清川真幸。あなたは騙されている……」


「あ、いや、菖蒲沢さんとはさっき知り合ったばかりで、右往左往していた僕を案内してくれたんだ。それより、本当にお疲れさま。すごく良かったよ、ステージ」


 本当にすごかった、というよりは驚きのほうが強かった。メンバーの一人ひとりがぴったり息を合わせ、リズムに乗ってなめらかに連動するさまは、まるでプロのパフォーマンスを見ているようだった。僕はただ息を呑み、胸が大きく躍動した。今回の曲づくりに参加させてもらえて本当に良かった。


「そう、か。真幸もありがとう。おかげでどうにか無事に演目を終えられた」


「うん。自分の携わったものが世に出て、それを見て喜んでくれるひとがいる、あの込み上げてくる感動は、なににも代えられない」


「ふふふ、そう、だね……」


 なぜか美空は不敵な笑みを浮かべ、その場でパタリと倒れた。



 ◇◇◇



 倒れたもののすぐ自力で立ち上がった美空はシャワーを浴び、衣類の洗濯および乾燥をしている。その間に彼女は保健室で休憩し、僕と菖蒲沢さんは学内を巡って焼きそばやチョコバナナを食した。菖蒲沢さんはこういった庶民的な料理を年1回、この文化祭でしか食す機会がないそうだ。


 庶民の僕にとっては近所のちょっとお高めなマンションに住む美空でさえ謎めいているのに、菖蒲沢さんは一体なんなのか。もはや異次元の存在だ。


 校庭の隅。祭りの喧噪が途切れるほどの距離にある木陰で初秋の風を浴び、立ったまま僕らも一休み。掠れる葉の音が心地よい。菖蒲沢さんのウェーブがかかった紙はそれに流されふわふわとなびいている。


「どうも私は、星川さんを過小評価していたようです」


「というと?」


「彼女、いつも無気力感を漂わせ、そのくせ怠惰の入手には懸命。故に学内での評価は芳しくありません。しかし彼女にも矜持きょうじがあって、他人から与えられたものに関しては取捨選択し、己が成し遂げるに値するものは受動的、能動的案件に関わらず身を削ってでも取り組む。今回の催事で、私は彼女のそんな一面を知りました」


「なんて合理的な」


「そう。人生という時間は限られていますから、基本的にはそれで良いと、私も思います。けれど捨ててしまったものの中にも実は貴重な財産が隠れている。それを取り戻すのは、夢の島から1カラットのダイヤモンド一つを探し出すくらい、本当に困難なであろうと。こういったリスクの存在を、果たして彼女は承知しているのか。その如何によって、彼女の人生観における重厚感が大きく変わるのです」


「確かに。でもどうして、そんな話を僕に?」


 菖蒲沢さんは刹那に息を溜めた。そのとき彼女は僅かに口元を緩ませた。


「だってそんなこと、本人に面と向かっては申し上げられませんもの。ですのでこのお話しは、他言無用でお願いいたします」



 ◇◇◇



 17時ころ、文化祭は終了し、江ノ電ユーザーの菖蒲沢さんとは鎌倉駅で別れ、僕と地の底から這い上がってきたような表情の美空は横須賀線に乗った。


 観光客で通勤ラッシュに匹敵するほど混雑する車両が過半数を占めるが、実は千葉方面行きの先頭と2両目はさほど混雑せず、空席が目立つ。ここ鎌倉や、さいたま新都心など、電車に乗り慣れていない者が集う観光地やイベント会場の最寄駅でよく見られる光景だ。


 おかげで難なく着席した美空はよだれを垂らし爆睡。乗り換え駅の大船おおふなでも目覚める気配がなかったので手を引いて車内からホームへ引っ張り出した。


「いけない、また遠征するところだった」


「前にどこか行ったの?」


「夜遅く、千葉の奥のほうへ何度か。あと横須賀。和の街鎌倉から近いのにアメリカのような街並みでしかもドルが使えるあの横須賀」


「うん、知ってるよ。アメリカみたいでドル使えるよね」


 一瞬なぜ反対方向の横須賀へと思ったけれど、恐らく乗り間違えではなく、一度千葉方面の終点まで行って折り返し、気付いたら乗車駅の鎌倉に戻って更に乗り越してしまったのだろう。


 大船から東海道線に乗り換えたけれど乗り越しはせず、無事茅ヶ崎で降車できた。土曜日でも駅周辺の通りはそれなりに混雑していて、気を付けないと擦れ違いざまに肩をぶつけてしまう。


 階段を下り駅舎を出て、南口のロータリーに出た。空は霞み、海へと続く雄三ゆうぞう通りから吹き抜ける少し重たい風が服や髪をなびかせ、黄昏を連れてくる。


「真幸ーい!」


 声がしたバスロータリーとタクシープールを貫く歩道のほうへ向くと、数メートル先で友恵が手を振っていた。美空といっしょにいるところを見られたのが、なぜだか気まずい。

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