23,211系快速アクティー

「地獄を見た」


 小田原駅から旧型ステンレス製3ドア車の快速アクティー東京とうきょう行きに揺られ、茅ヶ崎駅に降り立った17時37分。ロングシートの電車はゆっくりと加速して、空の暗いほうへ突入してゆく。電車が信号機の横を通過して、青信号が赤信号に変わった。


 車内で寝ている間に調子を取り戻したのか、牛乳を飲む前以来初めて言葉らしい言葉を発した。その間は念仏のようにブツブツと何か声を発していたが、聞き取れなかったので、うんうんと、とりあえず相槌を打っておいた。


「どうしたの?」


「ちょっと色々あって」


「なに?」


「大丈夫」


「言ってくれるとうれしい」


「うそだ」


「うそじゃない。言ってくれないと哀しい」


「そういうもの?」


「うん、距離置かれるのつらい」


 けれど場所もあってか星川さんは会話を切り、再び口を閉ざした。


 心の距離や場所のみでなく体調やタイミングもあるだろうから無理に聞き出しはしないけれど、わびしさに胸が痛む。


 走り出した電車を横目に、数十人に紛れて階段を上がり、改札口を出てバス乗り場に降りるとちょうど東海岸循環のバスが停車していた。


 駐在所前で降りるならすぐ後ろの2番乗り場に停車している辻堂駅行きのバスが近道だが、なんとなく海が見たいねと合意して前者に乗車。


 ほとんど席の埋まったバスを降り、国道の歩道橋を渡って松林の切通きりとおしを抜ければそこは、もう何度眺めただろう夕暮れの渚。なぜかこの時間帯、夕焼けバックに波打ち際で大型犬と散歩しているひとを撮影するのが人気。


 ボードウォーク上にある小上がりほどの見晴台に腰を降ろし、さやかな波音を聴きながら西陽を浴びる。もうサーファーたちも引き上げて、江ノ島の灯台はその役目を全うし始める時間。そのやわらかな光が数秒おきに僕らの視界に入るけれど、決して眩しくはない。


「そうだ、物語、まだ見せてなかったね」


 うん、と返すと、星川さんは躊躇ためらいつつバッグからおもむろに自由帳を取り出して、俯きながら僕に差し出した。


 せなに夕陽を浴び、その陰るやわな姿は何か重たい荷物を背負っているようで、どうかそれを他ならぬ僕に痛みを分けてくれたらと、わがままながら切に願う。

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