【百十二丁目】「ああ、憎いとも!」

 夜光院やこういん…「幽世かくりょ」と呼ばれる異界に存在する寺院。

 かつて現世に存在したこの古寺は、ある時を境に「幽世」へとその身を移した。

 それは「夜光院には得難きが隠されている」という風説が広がり、夜光院を侵そうとする人妖が後を絶たなかったためとされる。

 夜光院の宗主、北杜ほくと野寺坊のでらぼう)は長き探索の末に「明王滝みょうおうだき」に「幽世」の入り口を見つけ出し、仲間の妖怪と共に「幽世」へと移り住んだ。

 そのため、夜光院は長い間平穏のうちにあった。


 しかし。

 ここ最近になり、夜光院の周辺に得体の知れない何者かが跋扈ばっこし始めた。

 そのため、夜光院は数百年ぶりに警戒態勢をとることになり、北杜達もその守りを固めていたのである。


「『幽世』か…ふん、辛気臭い場所だ」


 夜明けが近付きつつある暁天の空。

 地平は白い光が差し込み、淡く輝いてはいるが、天空には現世ではありえないほどの数多の星が瞬き、五色の雲が流れていく。

 そんなこの世ならざる空を見上げながら、一人の年配の男が呟いた。

 一見、夜明けが近いように見えるが「幽世ここ」は「常夜とこよ」という別名の通り、永遠の夜の世界だ。

 現世では失われた数多くの「神秘」で満ち溢れ、そのことわりも通用しない異界。

 その異界にあって、男はまさしく異質な装いだった。

 黒い背広に革の靴。

 その襟元には、金色の議員バッヂが光っている。

 男の名前は、黒田くろだ 権蔵ごんぞう

 国会議員の一人である。

 黒田は、この世ならざる風景を見渡し、最後に自らの行く手に立ち塞がる巨大な山門へ目をやった。

 そして、忌々し気に口元を歪める。


「そして、ここが夜光院とかいう化け物共の巣窟か」


「随分ですわね、黒田先生」


 そんな艶やかな声に、黒田はチラリと隣に立つ人物に目をやった。

 そこには黒田同様、この世界には不釣り合いな格好の女がいた。

 黒いビジネススーツにハイヒール。

 切れ長の目と白い肌と、通りの良い鼻梁の下には艶やかな唇が口紅ルージュで輝いている。

 美しい長い黒髪を束ねたその白百合のような美女は、嫌悪感に満ちた黒田を落ち着かせるように、ゆったりとした微笑みを向けた。


「『化け物』は差別用語ですよ。特別住民かれらにとってはね」


 それに鼻を鳴らす黒田。


「ふん、くだらん。人間社会に巣くう時代遅れのダニ共なんぞに気遣いなど不要だ。連中には、首輪と頑丈なおりだけくれてやればいい」


 素っ気ない黒田の言葉に、苦笑する美女…烏帽子えぼし 涼香すずか


「妖怪嫌いは相変わらずですのね」


「悪いかね?儂としては、あんな人外共と仲良し子良しするくらいなら、ゴキブリが相手の方がマシだよ」


 そこで黒田は烏帽子をジロリと見た。


「烏帽子君、君ともあろう者が『K.a.Iカイ』とかいう化け物の調教施設で、感化でもされたのかね?」


「どうでしょう」


 しれっとそう言うと、烏帽子は山門を見上げた。


「私はただ、夜光院ここにあるといわれるを確保したいだけです。人間社会の安全のために」


 そこで烏帽子は微笑んだ。


「故に、ここで先生と妖怪の好き嫌いを議論するつもりはありません」


 黒田は苦虫をかみつぶした表情のまま言った。


「君のようなさかしい女を“女狐めぎつね”というのだろうな」


「あら、女は皆“女狐”ですのよ。力押しがお好きな殿方と渡り合うために、ね」


 悪びれずそう言う烏帽子。

 と、その時、眼前の山門がきしみ始める。

 二人の視線の先で、巨大な山門が開かれていった。

 そして、その向こう側から、三人の男女が姿を見せた。


「今日は珍客万来だが…」


 癖っ毛をボリボリ掻きながら、無精髭を伸ばした僧衣の男…北杜は黒田達を見下ろした。


「あんたらは招かざる客ってやつかな」


 そんな物言いの北杜に、黒田は鋭い視線を向けた。


「貴様がこの寺の代表か?」


「そーなるかな」


「儂は黒田という。国会議員だ」


「コッカイギイン?」


 眉をひそめる尼僧…南寿なんじゅ古庫裏婆こくりばばあ)に、長髪の美僧…西心さいしん石塔飛行せきとうひぎょう)が説明する。


「現代の世でいう、まつりごとに携わる人間のことです」


「はん、要は役人かい。道理で偉そうなわけだ」


 牙を剥き出す南寿を制し、北杜は告げた。


「俺は北杜だ。黒田っていったか?夜光院ここに何しに来た?」


「平たく言えば、貴様らの駆除だ」


 躊躇いのない黒田の言葉に、北杜の眼がスゥッと細まる。


「それはまた…物騒な話だねぇ」


「どっちがだ」


 反妖怪派の急先鋒として。

 そして、野党中堅派閥の代表として、数々の政争を生き延びてきた黒田は、一歩も引かぬ姿勢で、北杜を睨みつけた。


「聞いているぞ。貴様ら、この寺にを隠しているそうじゃないか?」


 黒田の言葉に、北杜は沈黙する。

 ニヤリと笑う黒田。


「図星か」


「…やれやれ。そういうことかい」


 北杜は、気だるそうにそう言うと、


「確かに人間あんたらにとっちゃ物騒な代物だろうな」


 そこで、北杜は低い声で続けた。


「けど、それを確認してどうする気だい?」


「大人しく、こちらに渡してもらおう」


「…」


「勘違いするな。別にそんな物騒な代物をどうこうするつもりはない」


 黒田は不敵に笑った。


「儂はただ、


「…ほう?」


 北杜は無精髭を撫でながら、薄く笑った。


「そりゃあ、奇特な人間も居たもんだ。わざわざ、俺達の怖さを喧伝しようってのかい」


「そうだ。それによって『妖怪保護』だどとバカげた妄言に狂った連中の目を覚まさせてやる…!」


 怨念にも似た黒田の気迫に、北杜は笑みを消した。


「へぇ…随分と妖怪おれ達が憎いようだな、あんた」


「ああ、憎いとも!」


 黒田は殺意のこもった目で北杜を睨んだ。


「儂は貴様らを根絶やしにできるなら、悪魔とだって手を組もう…!」


「…そんな眼をする人間が、まだいたんだな」


 疲れたように呟いてから、北杜は続けた。


「黒田って言ったか。あんたがここに来た目的は何となく分かった。その上で返させてもらうが…」


 そこで北杜は表情を消し、冷然と告げる。


「悪いが、はやれんし、根絶やしにされんのも御免こうむる」


「交渉決裂…ということでよろしいかしら?」


 それまで成り行きを見守っていた烏帽子が、口を挟む。

 烏帽子をチラリと見る北杜。


「あんたは?」


「私は烏帽子 涼香と申します」


 そう言うと、烏帽子は慇懃無礼に一礼した。


「こちらにいる黒田先生の愛人ですわ♡」


 ニッコリと笑う烏帽子の告白に、思わず顔を見合わせる北杜達。

 それに黒田は吐き捨てるように言った。


「冗談も大概にしたまえ」


「失礼。場を和ませようとしたのですが」


「いらん配慮だ」


「それでは、改めて…私は烏帽子 涼香。特別住民ようかいの皆さんを人間社会に適合するための支援を行う『K.a.I』という組織の総責任者です」


 それを聞いた北杜が、訝しげな表情になる。


「…一ついいかな?」


「何でしょう?」


「今のあんたの自己紹介が本当なら、あんたとそこの黒田って旦那は、のように思えるんだが…あ、やっぱり、愛人ってのが本当とか?」


「北杜、ふざけてる場合じゃないだろ!」


 南寿がジロリと北杜を睨む。 


「まあ、そんなご指摘があっても仕方ないでしょうね」


 烏帽子はクスリと笑った。


「ですが、これでも黒田先生と利害は一致してまして」


「と、いうことは…あんたもが狙いってわけか」


「そうなりますわね」


 一転、北杜は烏帽子に鋭い視線を向けた。


「なら、答えは同じだ…を手渡すわけにはいかん」


「あら、先生とは違って、私はそちらの同意など求めておりませんわ」


「何?」


 思わず聞き返す北杜。

 と、その前に西心が突然立ち塞がった。


「下がられよ、北杜殿!」


 錫杖を構え、素早く印を切る西心。

 それと共に飛来した一基の石塔が、北杜目掛け、音もなく襲い掛かった一つの影を防ぐ。

 石塔に奇襲を防がれる形となった影は、大きく飛びのくと、烏帽子の傍らに片膝をついて着地した。

 それは浅黒い肌に銀髪を持つ男装の麗人だった。

 西心がその姿を認め、眉根を寄せる。


其処許そこもとは、昨晩の…!」


「イヴと申します。昨夜は我が王マイロードに随分と丁寧なご挨拶をいただきましたね。ミスター」


 丁寧な口調の中に、皮肉を込め女性型魔動人形ゴーレム…イヴが一礼する。


「知り合いか?」


 北杜の問いに、西心は頷いた。


「彼奴は六堂ろくどうの手の者です」


 それを聞いた北杜の目が、大きく見開かれる。


「六堂だと!?…“斎貴十仙いっきとうせん”が出てきたのか!?」


「そ~だよ~」


 何とも場違いでのんきな声と共に、一人の女性が烏帽子達の背後から姿を見せる。

 眼鏡をかけ、科学者が着る白衣に似た風変わりな長衣ローブに身を包んだその女性は、六堂 那津奈なづなだった。


「遅かったじゃない。先に始めさせてもらったわ」


 そう言う烏帽子に、那津奈はペロリと舌を出した。


「てへへ…ごめんなさい。の調整に手間取っちゃってね。イヴちんに全速力で追いかけてもらちゃった~」


 そう言いながら、懐から取り出した数枚の古い銅貨コインを見せる那津奈。

 緊張感のないその一幕に、北杜が頭を掻いて言った。


「こりゃあ参ったね…生きてる間に、あの“斎貴十仙”にお目にかかっちゃうとは」


「えっへん。驚いた?サインはお断りだよ~」

 

 豊かな胸を反らす那津奈に、北杜は大笑した。


「あっはっはっは、面白い姉ちゃんだな、あんた。話に聞く“斎貴十仙”とは大違いだ」


「うん、それよく言われる~。でも、おじさんも夜光院のトップなんでしょ?何かないね~」


「あー、やっぱそう思うか?よく言われんだよなぁ、俺も」


 はっはっは、と笑いあう二人に、耐え切れずに黒田が怒鳴る。


「馬鹿か、貴様ら!」


 噛みつかんばかりの黒田の剣幕に、場が静まり返る。


「状況が分かっておるのか!?貴様、六堂とか言ったな?敵と慣れあってどうする!?」


 そして、烏帽子に向かって、


「烏帽子君!彼女は君が雇ったと聞いたが、本当に大丈夫なのかね…!?」


 それに烏帽子はやんわりと答えた。


「彼女はその筋の業界では有名人ですよ。人格はともかく、腕の方は保証しますわ」


「ひどいなぁ、涼香さん。人格も保証してよ~。古い付き合いじゃない~」


 子どものように頬を膨らます那津奈。

 その様子に、額に血管を浮かび上がらせていた黒田は、北杜達を指差して怒鳴った。


「ええい、ならばその腕とやらを早く見せてみろ!とっととあの化け物共を排除してしまえ!」


 それを受け、那津奈は烏帽子をチラリと見やる。

 烏帽子は苦笑しつつ頷いて見せた。


「大切な支援者パトロンからの注文オーダーだからね…お願いするわ」


「りょ~かい~」


 そう言うと、那津奈は手にした銅貨を石段へ放り投げる。

 そして、黄色い薬液エリキサーが入った数本の試験管を取り出した。


yaradヤラッド keterキター…!」(※ヘブライ語で「天下る王権よ」の意)


 錬金術アルケミー特有の一小節にも満たない呪文の詠唱と共に、試験管をばらまいた銅貨へ放り投げる。

 砕け散った試験管から飛び散った薬液が、銅貨に降り注ぐと、すぐに異変が起きた。

 古代ギリシャの遺跡から発掘された銅貨は、古代にも魔術に使用された触媒だ。

 それに那津奈が特殊な方法で精製した薬液、そして呪文を加えることで、術式が完成する。


カキ…カキ…カキ…


 紫煙が立ち上る中、銅貨が僅かに震え出す。

 そして、次の瞬間、


ギィイイイイイイイガァァァァ…!!


 金切り声と共に、銅貨の表面が波打ち、一瞬で膨張した。

 爆発したような体積の増加と共に、四本の腕が伸びる。

 液体金属のような幕を破って顕現したそれは、身震いし、金属の飛沫を飛び散らせつつ、誕生の産声を上げた。


ギィイイイイイ…!


 そこには。

 都合八体、四腕の鎧戦士がいた。


「ほぅ…初めて見た。これが西洋の外法ってやつか」


 感嘆の声を上げる北杜に、那津奈が眼鏡のブリッジを押し上げながら説明する。


「ギリシャ神話にはねぇ、鍛冶の神へパイストスが鋳造した“青銅巨人タロス”ってのが登場するんだけど~、はそこから着想を得て、あたしが発明したんだよ~」


 そう言いながら、那津奈は北杜達を指差した。


「さあ、四腕戦士テトラティオテス、あのおじさん達を無力化しちゃって~!」(※ギリシャ語の「テトラ」と「戦士ストラティオテス」を足した造語)


ギィイイイイイ…!


 那津奈の指令を受け、動き始める四腕戦士テトラティオテス達。

 その四本の手が打ち振るわれると、鈍く光る金属製の棍棒こんぼうが出現した。

 それを見た北杜が、不敵に笑う。


「…って言ってるけど、どうする?二人共」


「チッ!ウダウダやってた癖に、最後は力技かい…ま、あたしとしゃあ、話が早くて良いさね」


 手にした大鉈おおなたを肩に担ぎ、南寿が傍らに唾を吐く。


「久し振りに、大暴れしてやろうかい!」


「夜光院を守るが拙僧達『四卿しきょう』の役目…故にここを通りたければ、拙僧達を下すしか道はないと知れ」


 飛来した五重の石塔に飛び乗り、西心が錫杖を構える。


「“石塔飛行”の西心、受けて立つ…!」


「…というわけで、めでたく開戦だ」


 北杜は無精髭を撫でていた手を止めた。


「来な、人間共」


 膨れ上がる北杜の妖気。

 それに呼応し、鳴動し始める夜光院。


 いま、二百年超える眠りを解かれた異界寺院が、戦いのときの声を上げた。 

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