1月28日

 偏愛かぁ。

 なるほど、言われてみれば納得してしまう。

 恋愛ならぬ偏愛をしていると、Aはそんなことを考えていたけれど、それは僕も同じことだ。

 何しろ僕は生まれた頃からずっと、Aのことだけを想って生きてきたからだ。

 いや、それは見方によっては究極的な一途の形なのかもしれないけれど、確かにそうなのかもしれないけれど、僕の場合はある意味脅迫的な恋愛感情であり、恐怖心からくる依存に近い感情なのかもしれないと、今でも思う。

 仕方なく、ではないけれど。

 余儀なく、ではあったかもしれない。

 生まれた頃からずっと、Aだけしか愛さずA以外には目もくれずAだけに愛を注いで生きてきた。

 僕の『恋愛対象』はAだけだった。

 そもそも選択肢が僕にはなかった。

 強迫観念からか、僕を受け入れてくれたAへの依存心からなのか、もしくは本当に僕はA以外を選ばないように出来ているのか。

 こんなふうに考えてまう天の邪鬼な僕だけれど、以外に親しみや共感以上の気持ちを持ったことがないのだから仕方ない。

 それが事実であり真実なのだ。

 僕にとっての異性は明白にAだけなのである。

 ……なんて。厨房かよ。

 痛い。痛すぎる。

 未だにこんなふうに中学生のような思考に嵌まってしまうなんて、我ながら大人げないと言うか大人になりきれないと言うか。少なくとも年齢を経過しただけでは身体は成長し衰え始めても、心は成長期のままなのだと痛感してしまう。

 男はいつまで経っても子供だと言うがあながち嘘ではないのかもしれない。

 そして何一つ成長していないのだからたちが悪い。

 こんな禅問答にもならない幼稚な思考に足を突っ込んでしまう。

 本当に仕様もない。


 ただ、仕様もないことを考えずにいられないのには理由がある。

 それは僕は僕がいつ生まれたのか覚えていないということだ。

 これは恐らくAもそうだし、これからもそれが明らかになることはないだろう。

 いつ生まれたのか分からない。

 最初から居たのかもしれない。

 そう生まれたのかもしれない。

 僕らの中でそう暗黙の事実として、または一種のアンタッチャブルとして言外に納得はしていることだけれど、それを敢えてここで吐露してしまえば、『僕という人格はこの身体とは性別が異なっている』というその一点である。

 であれば必然、僕は後天的な人格ということになるだろう。

 僕が後から生まれた存在だから。

 Aの後を追って生まれたから。

 Aが居たからこその僕だから。

 だからAしか愛せないのではないか。

 だからAに依存してしまうのではないか。

 そう考えてしまうのも仕方ないんじゃないか。

 僕はAを愛し続け、Aに怯え続けるのではないか。

 そんなふうに思ってしまうのだ。



 湯船に浸かりながら、またそんな取り留めの無いことを考えていた。

 本当に何度も何度も考えたことで、今更考え直したところで何が変わる訳でもないと分かっているのだけれど、今回は別の着地点に思いを馳せずにはいられなかったのだ。

 僕は遂にAの感情を知る術を得た。

 それはとても嬉しいことであり、Aにとっては恥ずかしいことでもあった。

 しかしこれでやっと対等な存在になれたのである。

 お互いにもう隠し事は出来なくなった。

 隠そうとしたところで、そんな気持ちすらたちどころに互いに知れてしまう。

 気持ち悪い言い回しになってしまうけれど、僕らは遂に一つになったのである。

 ……うん。やはり気持ち悪い表現だ。

 ここはややお堅いオブラートに丁寧に包んで『思考の共有』とでも表現しよう。

 僕らは思考の共有を為し遂げたのである。

 思いがけずではあったけれど。

 ただ、幸福の後にはそれに相対する不幸が待っていると相場は決まっている。

 僕は思考の共有を素直に喜んでこれまでに味わったことのない幸福感を得たのだけれど、しばらく幸福に浸り妄想を繰り広げた辺りで悪い予感に囚われた。

 簡単に不安に駆られるあたりが天の邪鬼な僕らしいが、その不安というのが意外と的を射ているので蔑ろにもできない。

 結論から言うと、『いつか僕は消えてしまうのではないか』である。

 思い至って、妥当だ、と思った。

 僕は後から生まれた人格。

 生まれたのだから消えてもいくだろう。

 人は生まれ、いつか死ぬ。

 当然のことで、覆せないことだ。

 僕は、僕が死ぬのはAが死ぬ時だと、ロマンチックな表現をするなら『死が二人を別つその時まで』僕らは一緒に居るのだと思っていた。

 けれど、今回の一件で僕は完全にこの世界から消えていた。

 それはたった一日の話だったけれど、その一日で僕はAの中でも『居なくなった存在』になっていた。

 結果として僕は帰って来た訳だが、それは結果的な話であり、本当に消えてしまっていても何もおかしくなかった訳だ。

 僕が居なくなった一日、Aは何事もなく、健康体で、つつが無く生きていた。

 僕が居なくても、Aは生きていたのだ。

 当たり前だ。

 人は、一つの人格で生きているのだから。

 でも、僕はその

 僕は、最初からちゃんと知っていたのだけれど、ではなかったのだ。

 だから怖くなった。

 不安に駆られた。

 消えてしまうという可能性が、

 僕だけが死んでしまう日が訪れてしまうのではないかという恐怖が。

 僕を幸福から不幸に突き落とした。

 ただ『死ぬ』よりも、『独りで死ぬ』という可能性が僕を絶望させた。

 

 Aは今日の僕をきっと笑うだろう。

 間違いなく笑うだろう。

 Aは今日の僕をたぶん嘲るだろう。

 Aを怒らせてしまうだろうか。

 下らない不安に駆られた僕は、彼女を怒らせてしまうだろうか。

 怒らせてしまうのだろう。

「勝手に不安になって、勝手に不幸にならないで」と。

「勝手に独りで死ぬと見えない未来に怯えて、絶望に浸らないで」と。

 そう言うのだろう。


「……あがるか」

 長風呂し過ぎた所為だろう。

 女々しい、馬鹿馬鹿しい、つまらない、下らないことを考えてしまった。

 未だに彼女のことが好きで堪らないから。

 僕は、彼女と離れることをこんなにも恐怖しているのだろう。

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