第8話 もう一つの役目


 僕らは【エインフェリア(勇敢なる死者)】としてここに呼ばれた。

 自分が望む【ヴァルハラ(理想郷)】へ行くために、【流るる神々】という武器を使って敵からこの学校と屋上にある【ビフレフト(虹の橋)】を守り通す。

 それが、死んでしまった――端的に言わなければ死んでいないらしい――僕らに課せられた役目。


 そのハズなんだけど……。


「現代における法の役目とは、一言で表現するなら『人間の幸福を守る』ために存在しているわ。その代表的なものが、憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法の六法よ」


 ヴァルキリーは……いや、ヴァルキリー先生はゆっくりと教室の中を歩きながら、現代社会の教科書を読み上げ続ける。

 しかし、どうにも内容が頭に入ってこない。

 ヴァルキリー先生は、胸の下まである袴にピンクの矢柄が入った着物――いわゆるハイカラさんの格好をしているのが気になって気になってしょうがないからだ。


 どうやら授業によって衣装チェンジしているようで、化学の時は白衣、英語の時はメガネをかけて『ザ・女教師』という感じなる。

 驚きもしたが、ちょっとしたファッションショーを見ているような――というかコスプレショーだが――気分になれるので、全然悪い気はしない。


 むしろ良い。

 うん、マジで大歓迎だ。

 こんなことを考えていたら軽蔑されるかと思っていたが、意外なことに女子からも好評のようだ。


 まぁそれはそれとして、役目とは全く関係ないハズなのに、僕らは今その守るべき学校で、この世なのかあの世なのかすら分からない島で、何故か普段と変わらない授業を受けさせられている。

 これを誰かに話したとしても、意味が分からないと一蹴されるだろう。


 そりゃそうだ。

 僕にだって理解出来てないんだから。


 授業が始まる前に、


「早く【ヴァルハラ】ってとこに行きたいから、もっと戦わせてよ!」


 と、宮瀬は猛抗議をしていた。

 だがヴァルキリー先生は、


「その要求には応えられないわ。なぜなら、敵は呼ぶものではなく、勝手に来るものなのだから」


 と、至極真っ当な理由で却下していた。

 それどころか、


「授業を受ける気がないのなら、【エインフェリア】から外させてもらうわ」


 と、逆に脅されてしまい、こうして全員大人しく授業を受けているワケだ。

 四の五の言わずに言うことを聞け。

 どこの大人もその辺は同じか。

 ただ、その後で独り言のように呟いた、


「これも貴方たちの大事な役目の一つなのだから」


 という先生らしい言葉が、やけに印象的だった。


 早く【ヴァルハラ】に行きたい。

 もっともらしい言葉だが、宮瀬が騒いだ本当の理由を僕は知っている。


 朝はチョコ、昼にはケーキ、トドメの夜食にはカップラーメンというジャンクフード祭りのせいで、ごほうびポイントがスッカラカンなことを。

 まだ三日目なのに、恐ろしいほど計画性が無い。


 他の面々はというと、葉月は良い釣り竿が欲しいからもっとポイントを貯めると言っていた。

 計画性はあるが、女子で釣り竿が欲しいとは変わった趣味だ。


 大道寺はみんなと遊ぶために――メインの目的は女子とのお喋りだろうが――トランプと交換していた。

 計画性というより、悪巧みという言葉がピッタリだ。


「世界最古の法律は『目には目を、歯に歯を』で有名なハンムラビ法典だと思われがちだけど、現存するものではウル・ナンム法典が最も古いとされているわ。紀元前1750年頃に制定されたとされているけど、法律の基礎とも言える刑法、民こと訴訟法が古くから確立されていたそうよ。殺人や強盗は元より、不貞行為……つまり不倫なども極刑に値する罪とされていたらしいわ」


 不倫。

 そのワードで大道寺に視線が集まる。

 確かにコイツならやりそうだ。

 時代が時代なら、即処刑台送りというワケか。


「……馬刺しになるのか……」


 僕がポツリと呟くと、宮瀬と葉月が堪えきれずに吹き出した。


「ぷはっ……だ、誰が上手いことを言えと……!!」

「ふふっ……笑わせないで下さいよ、犬飼さん」


 ウケたようでなによりだ。

 左隣から「女子とイチャイチャしやがって……!!」というもの凄い嫉妬の視線を感じるが、気にしないでおこう。


「一口に法と言っても、序列があるわ。犬飼 剣梧、上から順に答えてみなさい」

「えーっと……憲法、法律、条例と……市町村のルール?」


 僕は指を折りながら、辿々しく答えた。


「近いけど、間違っているわ。それに、いろいろと混ざっているわね。次、葉月 美冬」

「はい。憲法、法律、命令、規則の順です」


 葉月はスラスラと淀みなく答えた。

 ヴァルキリー先生は、「宜しい」と満足そうに頷く。


 お嬢様っぽいだけあって、かなり頭が良いようだ。

 ……身長と頭の良さって、反比例している気がするな。


「では、そこで欠伸を噛み締めている宮瀬 綺花。一つの国ではなく、複数の国……つまり国連で決めた法のことを何と呼ぶのかしら?」

「ふへっ? こ、国連? ASEANじゃなくて……OPECでもなくて……」


 不意を突かれた問題に、宮瀬は完全にテンパっている。

 最近聞いたであろう単語を言っているが、ASEANは『東南アジアの経済や安全に関する機構』で、OPECは『石油輸出国機構』で、法律とはまるで関係がない。

 僕はノートの隅に答えを書き、右隣の宮瀬にそっと見せる。


「国際法! 答えは国際法です!」

「……まぁ、いいでしょう」


 呆れ返りながらも、ヴァルキリー先生は授業を続ける。


「ふぅ……マジ助かったよ、犬飼」


 冷や汗を拭きながら、宮瀬はこっそりと礼を言った。

 さすがにマズイと思ったのか、キリッとした表情になり、真剣に教科書を見つめる。


 だが、ものの数分も経たない内に、退屈そうに窓の外を眺め始めていた。

 ……やっぱり身長と頭の良さって、反比例するんだな……。


「最初に述べたように、法の役目とは『人間の幸福を守る』ために存在しているわ。しかし、必ずしもそれは平等に行使されるわけではないのよ。ここに、ノルマントン号事件の風刺画が載っているわ。では、大道寺 拓海。これを見て感じ取れることは何かしら?」

「うーん……良いお尻だなぁと思います」


 ヴァルキリー先生のお尻をガン見していた大道寺が、まるで鑑定士のように唸りながら言った。


「うわっ、ど直球なセクハラ発言!! ヘンタイ!! この、エロ馬!!」

「完っ全に違法で逮捕ですね。これほど『馬鹿』って言葉が似合う人も居ないですよ……」


 ガタガタと机を揺らしながら離れていく二人。

 心理的にも、物理的にもどん引きしていた。


「……違います。これは、自国の人たちだけを助け、日本人乗客を見殺しにしたとされる船長の風刺画よ。この事件の問題点は、不平等条約によって船長が無罪判決を下されたことにあるわ」


 さすがに怒るかと思ったが、ヴァルキリー先生は冷静に、淡々と間違いを指摘した。

 もっとも、刺すような冷ややかな目で大道寺を見下していたが。


 ……コイツはその内、先生直々に浄化させられるんじゃないか……?



 春うららかな日差しの中で、和気あいあいと授業は進む。

 非現実的な環境で、何とも超現実的な日常が流れていく。


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