跋文&謝辞
跋文 元嘉文壇の香り
かれの存在は、のちの世からも
突出して語られることが多い。
最後に取り上げるのは、
そんなかれのエピソードだ。
かれは曲柄笠を好んで用いた。
これは古来より、皇帝クラスの人間が
用いたと言われるような笠だ。
その様子を見て、隠者の
「そなたははるか高邁なる境地を
望んでいたのではないかね?
だというのに、そのような笠を用いて。
高貴なる人間の装いは、
どうしても捨てられんのかね?」
すると謝霊運は返答している。
「
影を恐れ、影から逃げようとしても、
どこまでも影はついてくる。
私自身、この影のことを
どうしても忘れずにおれんのだ」
謝靈運好戴曲柄笠,孔隱士謂曰:「卿欲希心高遠,何不能遺曲蓋之貌?」謝答曰:「將不畏影者,未能忘懷。」
謝靈運は曲柄笠を戴すを好まば、孔隱士は謂いて曰く:「卿は高遠に希心せるを欲したり、何ぞ曲蓋の貌を遺る能わざらんか?」と。謝は答えて曰く:「將た影なる者を畏れざらずんば、未だ懷いを忘るを能わざらん」と。
(言語108)
影を恐れる者
荘子に載ってる。自分にいつもついて回る影を恐れるあまり全力で走って逃れようとした、が無理で、より速く走ろうとして死んだ。そんな彼に対し、荘子は「物陰でひっそりしてりゃ影もいなくなろうに」と語っている。つまりことさらにあくせく動こうとするだけ無駄だ無駄、みたいなことを語っているのだ。
さて。
川勝氏は、
ここで川勝氏は、この書を編纂した主要人物は劉義慶「が主宰する文壇のメンバーであったひと」、
以降は川勝氏の論から逸脱した、個人の所感となる。
ここで何長瑜が真の作者である、と仮定すると、この本は「元嘉文壇の真にあるべき姿」を求めた書、ということになるのではないか。
収録エピソードの厚さより考えれば、「あるべき姿」の極致は
そして何長瑜と同時代の人間であったにもかかわらず謝霊運を同書中に織り込み、「謝霊運は彼らに比すべき人物であった。彼のような人物を筆頭とした文壇が、政治の主導権を握るべきであった」と提示してきている、と推測できる。つまり、現在の政態の否定である。そんなチャレンジャブルな書物がよく焚書されなかったものだという感じだが、この辺りは、それ以上にその文学性が評価された、という事にもなるのだろうか。
だが、仮にその思いがあったとしても、現実は最終的に
南朝の流れを一言であらわせば「緩やかな死」である。その決定的な転機のひとつが劉宋の出現であった。この世説新語は、劉宋の出現を批判的に見ている。「あるべき姿」に戻すことが、再び天下を漢人のもとに帰すことのできる手段である、とでも言わんばかりである。だが、書に載る言葉たちは、決して南朝を再び覇権国家に押し上げることはなかった。
世説新語を読むものには、喜怒哀楽、多くの感情が惹起させられる。けれども時系列をある程度整序すれば、その掉尾には、謝霊運の運命を臭わせるようになる。ともなれば、これは一つの大いなる時代の死を悼む書であるようにも思われる。
劉裕という時代のくさびの大きさを、あらためて痛感させられた。すべてのエピソードと接し、この感想を抱くことが叶ったのは、自分にとって実りであったように思う――とは言え、皆さんはそんなこちらの感傷に付き合う必要もないです。
たくさんの人物が示す、さまざまな感情たち。それを少しでも共有していただけたのであれば幸いです。
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