顧愷之3 大風に遭う   

顧愷之こがいし殷仲堪いんちゅうかんの部下として

荊州けいしゅう府に仕えていたことがあった。


ある時休暇を願い出て、

里帰りをした。


里帰りをするとは言っても、

そのための旅装、旅費を

殷仲堪の方で負担する義理はない。


のだが、旅具を用立てて、用立ててよぅ!

顧愷之、めっちゃ食い下がってきた。


やれやれ、仕方ない。

殷仲堪、いろいろ用立ててやり、

ようやく顧愷之は出発できた。


が、そんな顧愷之。

途中の破冢はちょうと言う所で大風に遭い

見事に旅具は大破。


本人は無事だったが、

この時のことを殷仲堪に宛てて

手紙にして送っている。


「破冢、つまり「墓を破る」などという

 地でえらい目に遭いましたが、

 いやはや、まさしく墓から

 這い出た気分です。


 旅人はその後無事に旅をつづけ、

 刺史より賜った旅具にも

 あれ以上には異常もございません」


おい殷仲堪てめえ、

よくもぼろ旅具押し付けてきやがったな、

てきなふいんきがありますね……。




顧長康作殷荊州佐,請假還東。爾時例不給布颿,顧苦求之,乃得發。至破冢,遭風大敗。作牋與殷云:「地名破冢,真破冢而出。行人安穩,布颿無恙。」


顧長康の殷荊州が佐に作さるに、假を請うて東に還る。爾の時、例にして布颿を給せざるも、顧は苦ろに之を求め、乃ち得え發す。破冢に至り、風に遭いて大いに敗るる。牋を作し殷に與えて云えらく:「地が名は破冢、真に冢を破りて出でたり。行人は安穩、布颿は恙無し」と。


(排調56)




布颿

船に張る帆のことだそうである。そいつが大風にあって大破したにもかかわらず、「つつがなし」と言い切る顧愷之さん。京都人かな?


あと箋疏見たら「安穏は帆に使うべき言葉で、つつがなしは人に使うべき言葉。これが逆になってるのはおかしい」とか言われた。さて、じゃあそこを踏まえると、どうこのエピソードを排調的に解釈できるんでしょうね……宿題だな、これは。

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