顧愷之2 我が箏の腕   

ある人が顧愷之こがいしに訪ねた。


「君がそうを爪弾いて歌うのは、

 嵆康けいこうが事を爪弾いて歌うのとくらべて、

 どうだろうな」


すると顧愷之は答えた。


「私の歌を後発だからと、

 切り捨てるものも少なくない。

 が、見識ある人たちは

 我が歌の詩情の気高さを読み取り、

 称賛してくれているよ」




或問顧長康:「君箏賦何如嵇康琴賦?」顧曰:「不賞者,作後出相遺。深識者,亦以高奇見貴。」


或るもの顧長康に問うらく:「君が箏ぜる賦は嵇康が琴ぜる賦とでは何如?」と。顧は曰く:「賞ぜざる者は、後に出でたると作して相い遺つ。深く識りたる者は、亦た高奇なるを以て貴きと見る」と。


(文學98)




劉注によれば顧愷之には卓絶した絵の腕、卓絶した文の腕、そして卓絶した愚かさが同居している、と評されていたという。そこを踏まえると、この受け答えもピントを喰っていないし、コミュ障っぽさは漂わせている。……と言いたいところなんだけど、この時代の優れているとされるやり取りって、大体コミュ障っぽいんだよねえ。お前らちゃんと会話しろよって何度ツッコんだことか。まぁ、その辺もハイコンテクストなやり取り、と完結させるべきなのかな。

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